仁和寺 | 御室御所と呼ばれた門跡寺院、桜の名所

仁和寺

仁和寺(にんなじ)は平安時代の創建。

皇室とゆかりの深い「門跡寺院」の先駆けで、最高位の門跡寺院にふさわしい王朝文化を感じさせるお寺です。

開基の第59代 宇多天皇は、現存する最古の天皇の日記「寛平御記」のツンデレな猫日記が再注目され愛猫家としても有名^^ 醍醐天皇に譲位後、仁和寺で出家し第一世となりました。出家した上皇を「法皇」と称した初例でもあります。

宇多天皇と仁和寺の歩みや、見どころをご紹介します。ちなみに現在の伽藍は江戸時代の再建です。

基本情報

真言宗御室派総本山 仁和寺
所在地 京都市右京区御室大内33
TEL. 075-461-1155

境内入場無料
※ただし、御室桜の開花時(4月)の「さくらまつり」期間中は有料。
料金:大人・高校生1名 500円、小・中学生 200円

■御殿
料金:大人・高校生1名 500円、小・中学生 300円
3月~11月 9:00~17:00 受付終了16:30
12月~2月 9:00~16:30 受付終了16:00
■霊宝館(期間限定)
料金:大人1名 500円、高校生以下無料
春:4月1日~5月第4日曜日
秋:10月1日~11月23日

仁和寺 公式サイト

【1】仁和寺とは

仁和寺は皇室とゆかりの深い「門跡寺院」の先駆けです。

※門跡寺院:皇族・貴族の子弟が出家し住職となる特定の位の高い寺院。

・仁和寺の由緒

仁和2年(886年)第58代 光孝天皇の勅願により「西山御願寺」の建立を開始。しかし寺の完成を見ずに翌年崩御されたため、宇多天皇が遺志を引き継ぎ、仁和4年(888年)に落成。年号にちなんで「仁和寺」とされました。

その後、仏道に熱中した宇多天皇は、昌泰2年(899年)仁和寺で出家、第一世となります。出家した上皇を「法皇」と称した初例でもあります。

宇多天皇と仁和寺の歩み

  • 貞観9年(867年)58代 光孝天皇の第七皇子として誕生。
  • 元慶8年(884年)臣籍降下、源定省(みなもとのさだみ)と称します。
  • 仁和2年(886年)光孝天皇「西山御願寺」の建立を発願。
  • 仁和3年(887年)光孝天皇が危篤となり皇族復帰。立太子した日に光孝天皇が崩じ59代天皇に即位。
  • 仁和4年(888年)光孝天皇が発願した寺が完成。寺号は年号から「仁和寺」とされます。
  • 寛平3年(891年)関白 藤原基経の死後、菅原道真を重用し親政を行う。
  • 寛平9年(897年)31歳の時に当時13歳の醍醐天皇に譲位。醍醐朝を通じてその発言力は大きく、病気がちの醍醐天皇に代わって実際の政務をみていた可能性もあると考えられています。
  • 昌泰2年(899年)仏道に熱中、東寺で受戒した後、仁和寺で出家し法皇となる。
  • 延喜4年(904年)仁和寺に御室がもうけられる。
  • 承平元年(931年)仁和寺で崩御。宝算65。

・別名は御室御所

宇多天皇の出家後、仁和寺伽藍の西南に設けられた住まいとなる僧房/室(むろ)は、御室(おむろ)と尊称され「御室御所」と呼ばれました。

「御室」の名称は、京都市右京区の仁和寺門前に広がる地域の地名として今に伝えられています。

時は下り、慶応3年(1867年)第30世 純仁法親王が還俗したことにより皇室出身者が住職となる宮門跡の歴史は終了。明治維新以降は「旧御室御所」と称しています。

・御朱印は「旧御室御所」他

御朱印は金堂前の納経所と御殿の入り口で拝受する事ができます。御朱印は参拝した証の宝印なので、金堂(本堂)に参拝してから拝受しましょう。

  • 拝観時間
    3月~11月 9:00~17:00 受付終了16:30
    12月~2月 9:00~16:30 受付終了16:00
  • 御朱印の種類(常時)
    「旧御室御所」御殿
    「阿弥陀如来」本尊
    「勢至菩薩」京都十三仏第9番札所
    「水掛不動尊」近畿三十六不動尊霊場第14番札所
    「御室弘法大師」京都三弘法(東寺・神光院・仁和寺)
  • 限定御朱印
    「薬師如来」 霊明殿本尊 ※毎月8日限定
    ※特別公開時にも限定御朱印が登場します。
旧御室御所 御朱印
▲ 御殿の御朱印は菊紋が印象的な「旧御室御所」
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仁和寺の第一世 宇多天皇は、やるべき仕事はしっかりこなし、趣味も積極的に楽しんだ方のようですね^^

【2】宇多天皇と国風文化

寛平の時代、11世紀に頂点に達する「国風文化」が急速に発展。きっかけは宇多天皇の活動によるところが大きいと言われています。

宇多天皇は文章を書くことや詩歌にすぐれ、著作の多くは原本が存在しませんが、様々な書物に引用された逸文が江戸時代に収集され、かなり復元されています。

また、歴史書「日本三代実録」「類聚国史(るいじゅこくし)」の編纂プロジェクトも推進されました。

【著作】

  • 「寛平御記(かんぴょうのぎょき)」在位(887~897年)中の日記。現存する天皇の日記として最初のもの。朝廷の儀式に詳しく、摂政・関白をはじめ貴族の必読の書物とされました。
  • 「寛平御遺誡(かんぴょうのごゆいかい)」醍醐天皇譲位の際に与えた訓戒。

・和歌の発展

宇多天皇が和歌の振興のために催した大規模な歌合は「古今和歌集」勅撰への気運を高め、多くの歌人を生み出す契機となりました。

【著作】

  • 「亭子院御集」「寛平御集」和歌の作品集・御集(ぎょしゅう)
  • 「古今集」などの勅撰集にも収録

国風文化(こくふうぶんか)
中国の影響が強い奈良時代の文化(唐風)に対して、国風(和風・倭風)文化と呼ぶ。日本の歴史的文化の一つ。

貴族たちの間では、中国の文化や文物に対するあこがれの一方、日本的なものを表現しようという気風が高まり、仮名の発達とあいまって和歌は次第に公的な文化として復権するようになった。

『新撰万葉集』には漢詩(からうた)と和歌(やまとうた)が並べて記され、和歌が公的な文学としての地位を回復してゆく姿が見られる。

宮中や貴紳の邸宅で歌合が行われ、中でも寛平5年(893年)のころに行なわれた『寛平御時后宮歌合』は、のちに最初の勅撰和歌集『古今和歌集』の編纂において多くその歌が採られた。

この頃から、和歌といえば短歌形式(五七、五七、七 )のものをさすようになった。

・御室流華道

花を愛した宇多法皇が流祖。法皇は桜一枝を御室の醍醐帝に届け、一枝を御室の宝瓶に挿して、人心教化の一法として挿花の道を示したといわれます。

中世には歴代門跡が家元となり名匠・技芸練達者に称号を授与。近世その称号をもつ華道家が集い御室流となりました。

御室流いけ花
▲御室流いけ花

・日本最古の飼いネコ記録

猫好きの間では宇多天皇は愛猫家として有名! 寛平御記には、宮中の儀式の記録だけではなく、漆黒の美しい愛猫紹介も残されているんです。

愛猫を美辞麗句を駆使して賞賛、日々の溺愛ぶりをアピールした最後のオチがほほえましくて最高なんです^^ 日本最古の「ツンデレ猫日記」として、1,000年後に拡散されているなんて宇多天皇もビックリかもしれませんね。
※寛平御記マンガ→ くるねこ大和
※原文と現代語訳→ さるねこふみ別館

寛平御記の原本はないのに、なぜ猫日記の部分が残っているかと言うと、源氏物語の注釈書『河海抄』に引用されているからなのです。「うちの御祢古=(内裏の御猫)」 として当時から有名だったようです。
※河海抄引用→ 猫ジャーナル

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黒猫は天皇に即位された前後の期間に飼われていました。その後も猫を飼われていたのかは不明です。

【3】名勝 御室桜

仁和寺の遅咲きの桜は「御室桜(おむらざくら)」として知られています。背丈が低く根元から枝を張るのが特徴で、下記のように形容されました。

「仁和寺や 足もとよりぞ 花の雲」
「わたしやお多福 御室の桜 はなが低うても人が好く」
※お多福は御室桜の別名

・背が低い遅咲きの桜

御室桜の起源は平安時代といわれ、現在の約200本の木は江戸時代初期に植えられたそうです。江戸中期になると観桜の名所となり上皇も観桜したと伝わります。満開の花を愛でる人々の風景は、都名所図会にも紹介されています。

大正13年(1924年)に国の名勝に指定されました。

・背丈が低い理由

御室桜の背丈が低い理由は、粘土質の土壌が関係しているそうです。土中に酸素や栄養分が少ないことが、桜が根をのばせない要因の一つと考えられ、 詳しくは現在も調査中です。

品種:御室有明(オムロアリアケ)
別名:お多福

5月の御室桜
▲5月の御室桜
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桜の花が開く時期は、境内へも入場料が必要です!

【4】おすすめ拝観ルート

初めて仁和寺に訪れたなら、金堂(本堂)と御殿の見学は外せません!御殿は有料なので二王門を入った左手の拝観券売り場でチケットを購入しておきます。

霊宝館の拝観期間の場合は、共通券がお得。霊宝館では企画展とともに、国宝 阿弥陀三尊像を拝観できます。

境内に入ったら、まずは直進。雅で美しい金堂(本堂)に参拝します。伽藍の配置は、二王門→ 中門 → 金堂となっていて、二つの門と金堂は等間隔・一直線上に配されています。

仁和寺背後の「大内山」には宇多天皇の御陵があります。

【境内地図】仁和寺公式サイト

拝観順例

  1. 二王門→ 中門→ 五重塔
  2. 金堂(本堂)→ 経蔵→ 九所明神→ 金堂に戻る
  3. 鐘楼→ 水掛不動尊→ 御影堂→ 観音堂
  4. 霊宝館
  5. 御殿
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お土産や授与品は御殿内の売店が充実しています!中門を入った所の休憩所にもお土産コーナーがあります^^

【5】仁和寺 見どころ

創建は平安時代。 応仁の乱(1467~1478年)で一山のほとんどを兵火で焼失しました。

そんな中、本尊の阿弥陀三尊をはじめ什物、聖教などは仁和寺の院家であった真光院に移され、法燈とともに今に伝えられています。

再興のはじまりは寛永11年(1634年)。徳川幕府3代将軍家光が仁和寺再興を承諾し、正保3年(1646年)御所から紫宸殿(金堂)、清涼殿(御影堂)など多くの建造物が下賜されて仁和寺が再建されました。

参拝順にご紹介します。広大な境内は約3万坪です。

・二王門(重要文化財)

日本の寺院建築の様式(和様)で建立された高さ18.7mの大きな門です。
三代将軍 徳川家光の寄進で1641年~1645年頃に完成。南禅寺 三門(禅宗様)、知恩院 三門(禅宗様)とともに京都三大門と言われています。

門の正面左右には金剛力士像(仁王、二王)2体、背面には唐獅子像2体が安置されています。口を開いた阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)で一対となっています。

仁和寺 二王門
▲仁和寺 二王門

・御殿の勅使門

大正3年(1914年)建造。御殿の白書院正面、東に面して建つ四脚門で、前後唐破風造側面入母屋・檜皮葺になっています。

壁面や桟唐戸は、花菱や鳳凰・唐草などを図案化した流麗な透彫りで埋め尽くされています。明治期の建築家 亀岡末吉の意匠感覚が発揮されたデザインです。

※御室流いけ花展の日に伺ったので、花があちこちに飾られていました。普段はありません。

仁和寺 勅使門
▲仁和寺 勅使門
仁和寺 勅使門
▲仁和寺 御殿 南庭

・中門(重要文化財)

中門(ちゅうもん)は、二王門と金堂の中間にある門です。 江戸時代、寛永年間(1624~1644年)建立。

仕様は、3間1戸・切妻造・本瓦葺の和風八脚門。側面の妻部には二重虹梁蟇股があります。

中門
日本古代の寺院や貴族邸宅などで,外郭と内郭を形づくる築地塀や回廊などがあるとき,内郭の門を中門という。古代寺院では金堂を囲む回廊に開かれた正門で,外郭の正門(南大門など)とともに仏門といわれ,他の僧門と区別された。7世紀末までは中門は重層入母屋造の奥行きの深い立派な門で,両脇に金剛力士など伽藍守護の像を置いた,聖と俗の空間の関門であった。

出典: 平凡社 世界大百科事典
仁和寺 中門
▲仁和寺 中門

左の脇間、西方天(広目天)
右の脇間、東方天(持国天)

仁和寺 中門
▲中門の東方天(持国天)

・五重塔(重要文化財)

建立:江戸時代(1644年頃)
様式:和風建築

塔の各層がほぼ同じ大きさになっているのが特徴です。塔身32.7m、総高36.18m。本瓦葺。

塔の内部は、初層西の須弥壇中央には定印の大日如来、脇に五智如来(胎蔵界) の無量寿如来・天鼓雷音・宝幢如来宝・開敷華王如来が描かれ、中央は心柱・彩色画・菱格子文・格天井などで飾られているそうです。

仁和寺 五重塔
▲仁和寺 五重塔
仁和寺 五重塔
▲五重塔の初層

・金堂(国宝)

建立:桃山時代 慶長18年(1613年)
本尊:阿弥陀三尊

金堂は仁和寺の本堂。寛永年間(1624~1644年)に、後水尾天皇と中宮 東福門院の意向により御所の正殿である紫宸殿(ししんでん)を移築したものです。

桃山時代の宮殿建築を伝える現存最古の紫宸殿として国宝に指定されています。お寺の本堂というよりは御殿という表現のほうがしっくりくる品格ある建物です。

※紫宸殿:御所の中心的建物
※宮殿建築:天皇が使用する建物の総称

仁和寺 金堂
▲仁和寺 金堂

金堂の屋根の上には永遠の象徴とされる「亀瓦」がのっています。亀の上に仙人・黄石公(こうせきこう)が書物を手にして立つ意匠です。

黄石公は兵法の祖として仰がれるとともに、3000~4000年に一度水面に顔を出す亀を3、4回見たとされることで永遠の象徴とされています。

仁和寺 金堂 亀瓦
▲仁和寺 金堂「亀瓦」

※内部は通常非公開
金堂内には、本尊である阿弥陀三尊像や、四天王像などが安置され、本尊の後ろ側にある壁には不動明王など五大明王が描かれています。五大明王の壁画は、移築後に絵師 木村徳応が手掛けたとみられるそうです。

・経蔵(重要文化財)

建立:正保年間(1624~1648年)
様式:禅宗様。内部は鏡天井、床は瓦敷。正面中央に両開きの板唐戸、左右に花頭窓付、正面桟唐戸。3面4面(方3間とも)、単層、宝形造、本瓦葺。

※内部は通常非公開
経蔵(きょうぞう)には、経の本棚ともいえる輪蔵(りんぞう)があります。内部中央に八面体の回転式の書架が設けられ、各面に96箱・合計768箱の経箱が並び多数の経典を集めた天海版の一切経が納められている。

また、輪蔵の周囲には釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩など6体が安置され、壁面に八大菩薩・十六羅漢などが描かれている。

仁和寺経蔵
▲経蔵

・九所明神社(重要文化財)

五重塔の北東隅にある、仁和寺の鎮守社。初代別当・天幽仙が勧請。

九所明神本殿(中殿)左殿・右殿は、鎌倉時代(1212年)に境内南より遷宮した記録が残っています。有名な神社が取り揃えられていますね。

建物は寛永年間(1624~1643年)の再建で、社前の織部型石燈籠(キリシタン燈籠)が印象的です。

仁和寺鎮守社
▲九所明神
鎮守社駒札
▲駒札

・鐘楼(重要文化財)

江戸時代の建立。
梵鐘は外部からは全く見えません。入母屋造、本瓦葺。階上は朱塗で高欄付。裾袴式。

仁和寺 鐘楼
▲鐘楼

・水掛不動尊

近畿三十六不動霊場の14番札所。
湧き水を中央の不動明王に掛けながら祈願すると、その願いが叶うと言われています。

不動明王の足下の岩は「菅公腰掛石」と呼ばれています。左遷が決まった菅原道真が太宰府に旅立つ前に訪れ、宇多法皇のお勤めが終わるまでこの石に腰掛けて待ったと伝わります。

仁和寺 水掛不動尊

・御影堂(重要文化財)

建立:寛永年間(1624~1644年)
本尊:弘法大師

真言宗の祖師である 弘法大師 空海、仁和寺開山 寛平法皇(かんぴょうほうおう)、第二世 性信親王(しょうしんしんのう)を安置。

現在の御影堂(みえどう)は、慶長年間(1596~1615年)造営の内裏清涼殿の一部を賜り再建されたもの。蔀戸の金具などは清涼殿のものを利用。※清涼殿:内裏の殿舎の一つであり、天皇の日常生活の居所。

仁和寺 御影堂
▲御影堂

・観音堂(重要文化財)

建立:江戸時代初期 寛永18年(1641年)~正保元年(1644年)
本尊:千手観音菩薩

現在も仁和寺に伝わる法流の相承などに使用されています。

※内部は通常非公開。
本尊 千手観音菩薩と脇侍 不動明王・降三世明王、その周りに二十八部衆を安置。須弥壇(しゅみだん)の背後や壁画・柱などには極彩色で仏・高僧が描かれています。※須弥壇:本尊等の仏像を安置するために一段高く設けた場所。

仁和寺 観音堂
▲観音堂

・仁和寺 御殿(本坊)

御殿の拝観は有料ですが、仁和寺を訪れたらなら必見です。

白書院・黒書院・宸殿・霊明殿は渡り廊下で結ばれ、趣の異なる二つの庭園、枯山水庭園と池泉回遊式庭園を楽しむことが出来ます。屋敷内も、欄間や飾り金具などの細かなディティールまで意匠が凝らされ、雅な面影が随所に散りばめられています。

そして、宸殿の絵画にも注目。御所御用絵師・原在泉(1849~1916年)筆により、近代(1913年)に描かれたものです。

  • 上段の間の床「遠山流水」
  • 襖絵には四季折々の情景が描かれています。春「桜花」、夏「葵祭之図」、秋「大堰川三船之図」、冬「鷹野行幸図」

他にも

  • 谷文晃(1763~1840年)筆「雪竹図」4面
    森徹山(1775~1841年)筆「秋山狐鹿図」4面
    東洋(1755~1839年)筆「高士探梅図」
    岸駒(1749~1838年)筆の金地墨画「山水図」4面
  • 黒書院に、堂本印象(1891~1975年)筆の襖絵
  • 白書院に、福永晴帆(1883~1961年)筆の四季の松の襖絵
仁和寺 御殿
▲御殿入口から見た本坊表門

「南庭」は枯山水式庭園。勅使門、二王門が借景になっています。庭面の大部分を占める白砂に砂紋が東西に引かれ、宸殿前に「左近の桜」「右近の橘」が植えられている。本来は「左近の梅」「右近の橘」ですが、宇多天皇が桜を好んだことから「左近の桜」に改めたそうです。

仁和寺御殿 南庭
▲仁和寺御殿 南庭

「霊明殿」は、近代(1911年)に建立された御殿内の唯一の仏殿。本尊の薬師如来坐像と、歴代の位牌が安置されています。

霊明殿
▲霊明殿

宸殿北の「北庭」は池泉回遊式庭園。寛永年間(1624~1643年)に作庭され、改修や荒廃を経て大正期(1912~1926年)に作庭家・7代小川治兵衛により整備されました。

高い築山には茶室「飛濤亭」が建ち、その奥に中門、さらに五重塔を借景としています。 茶室も拝観可能ですが、5名以上で7日前までに要予約となります。茶室「飛濤亭・ 遼廓亭」拝観料金1,000円(別途、御殿拝観料も必要)

仁和寺御殿 北庭
▲仁和寺御殿 北庭

・仁和寺霊宝殿

春と秋の期間限定での展示で、チケットは御殿との共通券が少しお得です。

仁和寺の宝物は仁和4年の創建以来、 本尊の阿弥陀三尊像をはじめ仏画、工芸品など数千点に及びます。所蔵品は平安時代から現代まで幅広く所蔵されており、一部は霊宝館において公開されています。

特に本尊の仏像を間近でゆっくり拝観することが出来ます。

  • 公開期間 
    春:4月1日~5月第4日曜日
    秋:10月1日~11月23日
  • 営業時間
    9:00~17:00(受付は16時30分まで)
  • 料金
    一般 500円 
    高校生以下無料
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境内はかなり広いので良い運動になります^^ 散策を楽しみながら、ゆっくり拝観してください。

【6】仁和寺 アクセス

最寄り駅

  • 京福電鉄 北野線「御室仁和寺駅」
    ※改札口から仁和寺の二王門が見えます。徒歩約3分。
  • バス停「御室仁和寺」
    ※仁和寺二王門前にあります。下車すぐ。

[地図]
A地点: 京福電鉄 嵐山線「御室仁和寺駅」
B地点:仁和寺 二王門

・京都駅から

  • 市バス
    ★京都駅前バスターミナルのりば案内
    [D3乗り場] 市バス26 山越中町行「御室仁和寺」まで約40分。
    [JR3乗り場] 西日本JRバス 高雄京北線 栂ノ尾行「御室仁和寺」まで約33分。
  • JR+市バス
    JR嵯峨野線 [31/32/33番のりば] 乗車→ 円町駅 [乗換え]→ 市バス26「御室仁和寺」まで約10分。※合計所要時間:約27分~42分。

・三条京阪から

  • 市バス
    [A1乗り場] 市バス10 北野天満宮・仁和寺行「御室仁和寺」まで約40分。
    [A2乗り場] 市バス59 金閣寺・龍安寺・仁和寺行「御室仁和寺」まで約40分。

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ミィコ

京福電鉄北野線を使うと、北野白梅町(北野天満宮)や撮影所前駅(太秦映画村)まで5分くらいで移動できます。

※この記事の史実に関する記載は、仁和寺公式サイト、駒札、京都風光サイト、Wikipedia等を参考に作成しました。