六道珍皇寺 | 冥界への入口!冥土通い&黄泉がえりの井戸

六道珍皇寺

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は、盂蘭盆(うらぼん)に先立つ8月7日~10日に行われる、祖先の精霊を迎える行事「六道まいり」が有名です。この期間は境内に露店が建ち並び、参拝する大勢の人々で賑わいます。

そのかわり、お盆以外の時期はひっそりしていて、境内にある閻魔堂・迎え鐘・大石地蔵菩薩をゆっくり自由に参拝できます。

そして、小野篁(おの の たかむら)が冥土に通ったという伝説の井戸も、本堂右端の格子窓から覗けるようになっています‥が、裏庭の奥なので双眼鏡がないとよく見えないかも。間近に見たい時は特別拝観の時に伺いましょう!

特別拝観は毎月行われていて、日時は公式サイトでチェック。御朱印も色々なタイプを用意されています。

ちょっと怖い「六道の辻」とのゆかりや伝説などをご紹介します。

基本情報
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)
所在地 京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町595
TEL. 075-561-4129

参拝時間 9:00~16:00
※境内自由

六道珍皇寺 公式サイト

【1】六道珍皇寺と六道の辻

葬送地「鳥辺野」

六道珍皇寺は、鳥辺山の麓にあります。鳥辺山周辺は古くからの葬送地で「鳥辺野(とりべの)」と呼ばれていました。

平安時代、火葬は費用がかかることから、多くの庶民は風葬だったようです。風葬とは遺体を野ざらしにして葬ることで、遺体を鳥が食べて処理することから「鳥葬」とも呼ばれました。「鳥辺野」は、鳥が食べやすいように遺体を木の枝にかけたことからつけられた地名とも言われています。

墓は、三位以上の身分がないと造ることは許されませんでした。

徒然草に「あだし野の露、鳥辺野の煙‥」と描かれたように、当時は飢饉や疫病が度々流行し、遺骸を荼毘にふす煙が絶えませんでした。さらに麓には、火葬にすらできない人々の遺骸や髑髏が散在していたようです。

・六道の辻

六道珍皇寺
▲六道の辻の石碑

「六道の辻」は鳥辺野の入口にあたり、この世とあの世の境域と考えられた場所です。お盆に帰る精霊も必ずここを通ると信じられていました。

かつての六道珍皇寺の境内地は今の約10倍あり、寺の前の松原通り(旧五条通)は鳥辺野への幹線道路でした。

京の都で亡くなった人の亡骸を棺に納めて鴨川を渡ると、すぐ六道珍皇寺の境内となり、僧侶が引導を渡して最後のお別れをしました。その後、隠亡*(おんぼう)によって風葬地である鳥辺山へと運ばれたのです。

*隠亡:遺体を荼毘に付し墓地を守ることを業とした者を指す語。もとは下級僧侶の役目で「御坊」が転じたものと考えられている。

「六道の辻」は、現在の地名で言うと、松原通(旧五条通)が轆轤町(ろくろちょう)にさしかかるあたりです。

轆轤町(ろくろちょう)は、髑髏町(どくろちょう)だった!
このあたりは人骨が数多く出土したことから、かつては髑髏原(どくろがはら)と呼ばれ、これが転訛して「六道」「六原」「六波羅」と表記されるようになったと言われます。「髑髏町」の名残を留める現在の町名「轆轤町」は、江戸時代寛永年間に京都所司代によって改められました。轆轤引き職人が多く住んでいたことにも由来すると言われています。

・六道とは輪廻転生する6つの世界

六道(ろくどう)は仏教用語。人は死ぬと、現世での生き方を審判されて、六道(6種類の世界)のいずれかの世界に輪廻転生(りんねてんしょう)すると考えられていました。

ざっくり言うと、この世もあの世も六道のいずれかに所属するわけですね。

  • 地獄道(じごく):さまざまな苦しみを受け、六道のうち最も苦しみの多い世界。無間地獄。
  • 餓鬼道(がき):嫉妬、物惜しみ、欲望など、常に飢えと渇きに苦しみ悩まされる世界。
  • 畜生道(ちくしょう):殺傷しあう弱肉強食の世界。鳥獣虫魚などの動物に生まれ変わるという苦難の世界。
  • 修羅道(しゅら):争いが絶えず苦しみや怒りに溢れる世界。独善的で欲望を抑えることが出来ない世界。
  • 人道:人間界。生病老死、四苦八苦に満ちていますが、楽しみもある世界。
  • 天道:人間の世界より苦が少なく楽の多い世界。

・閻魔大王と小野篁の伝説

小野篁は亡き母に会いたい一心で、伝説の井戸から冥土へ初めて足を踏み入れました。すると、お母さんの霊は餓鬼道に堕ちて苦しんでいたのです。篁は母の霊を救うため閻魔大王に直談判をし、それをきっかけに冥官となりました。

以来、篁は現世と冥界を行き来して、昼は朝廷に出仕、夜は閻魔庁で閻魔大王の補佐として、無実の罪で地獄へ落ちた人を救ったり、裁きの助言をしていたと伝わります。

小野篁 [802-852年]
平安時代前期の漢詩人,歌人。小野妹子の子孫で,岑守 (みねもり) の子。少年時代弓馬に熱中したが,嵯峨天皇のいさめで学業に励んで大学に学び,『令義解 (りょうのぎげ) 』の撰定に加わった。承和5 (838) 年遣唐副使となったが病と称して渡航せず,隠岐国に流された。許されたのちに陸奥守などを経て参議にいたった。その博識,詩才は世に重んじられ,奔放な性格は野狂 (やきょう) と称された。また書家としても知られ,のちに彼を主人公にして『篁物語』が書かれている。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

閻魔
閻魔(えんま)は仏教、ヒンドゥー教などでの地獄、冥界の主。冥界の王として死者の生前の罪を裁く神。日本の仏教においては*地蔵菩薩の化身とみなされ同一視されている。

出典:Wikipediaより抄録

*地蔵菩薩:大きな慈悲の心で、六道で苦しむ人々を教化・救済する菩薩。

ミィコ
子供の頃、小さな嘘をついた後に見た地獄絵はとっても怖く感じました~。

【2】六道珍皇寺の歴史

開創は延暦年間(782年〜805年)。古くは宝皇寺、鳥部寺、愛宕寺(おたぎでら)とも呼ばれました。宝皇寺は、鳥辺山山麓一帯に居住していた鳥部氏の氏寺として建立されたようですが詳細は不明。

  1. 開創は延暦年間(782年〜805年)。宝皇寺、鳥部寺、愛宕寺と呼ばれる。
  2. 平安遷都(794年)の際、このあたりが東の墓所に定められる。
    奈良の大安寺の住持で、空海(弘法大師)の師にあたる慶俊僧都(きょうしゅんそうず)が珍皇寺を建立。
  3. ついで、空海が興隆し東寺の末寺となり、小野篁が壇越となって堂塔伽藍が整備。六道寺とも呼ばれました。この頃は真言宗。
  4. 永久年間(1113~1118年)に焼失、中世の兵乱で荒廃。
  5. 貞治3年(1364年)建仁寺の住持 聞渓良聰(もんけい りょうそう)により再興・改宗され現在に至る。現在は臨済宗建仁寺派。
ミィコ
境内より奈良時代の瓦が出土していることから、平安遷都以前に存在した寺院の跡を継いでいることはほぼ間違いないと考えられているそうです。

【3】六道珍皇寺の見どころ

閻魔堂(篁堂)、迎え鐘、大石地蔵尊は自由に参拝できます。

ただし、本堂の石庭、冥途通いの井戸&黄泉がえりの井戸、薬師堂 [収蔵庫] の薬師如来坐像(重文)は、寺宝展などの特別拝観限定の公開になります。

・閻魔堂(篁堂)

閻魔堂(篁堂)には、右手に笏(しゃく)を持った等身大の衣冠束帯姿の小野篁立像(江戸時代)・閻魔大王坐像(小野篁作)・弘法大師(空海)坐像などが合祀されています。

六道珍皇寺 閻魔堂
▲六道珍皇寺 閻魔堂

・迎え鐘(鐘楼)

この鐘は「迎え鐘」と呼ばれ、古来よりその音響が冥土にまで届くと言われ、精霊はその響きに応じてこの世に呼びよせられるといわれています。

窓の下の綱の結び目を手前に引いて鐘をつく、変わったスタイルの鐘楼です。

六道珍皇寺 鐘楼
▲迎え鐘(鐘楼)

・大石地蔵菩薩

縁起:六道の辻で、弘法大師(空海)が死者の霊魂の弔いと冥界での往生を願い、一夜にして高さ2m30㎝の石仏を刻まれたと伝わります。

六道珍皇寺 大石地蔵尊
▲大石地蔵菩薩
京都のお盆の行事と地蔵尊
平安時代初期、熱病で仮死状態となった小野篁は、地獄に落ちて苦しむ人々を救済している地蔵菩薩に出会います。その地蔵菩薩から「私たちの活動を人々に伝えてほしい」と告げられ、地蔵信仰を広めることを決意。生き返った篁は、1本の桜の木から6体の地蔵菩薩を彫り大善寺に祀ったと伝わります。

その6体の地蔵(六地蔵)は、後の保元年間(1156-1159年)、後白河法皇の命により、旅人の安全、庶民の疫病退散・福徳招来を願って京の出入り口6カ所に祀られました。

京のお盆行事、8月21日~23日の「六地蔵めぐり」、8月24日前後に行われる「地蔵盆」などは、篁の伝説と密接に絡みあっているのです。

・本堂

本堂内部や石庭・冥途通いの井戸は、特別公開の時に拝観することが出来ます。

冥途通いの井戸については、特別拝観以外の時期は本堂右端の格子窓から遠目に見ることが出来るようになっています。

六道珍皇寺 本堂
▲三界万霊十方至聖の石塔婆。奥が本堂
六道珍皇寺 本堂庭
▲本堂の石庭
六道珍皇寺 本堂庭

・冥土通いの井戸

平安時代初期、小野篁が現世と冥界を行き来するために使った井戸と伝わります。この井戸と篁・冥界を結びつける不思議な伝説は数多く残っています。

例えば、奈良の金剛山寺(矢田寺)の満慶上人が、篁を介して閻魔大王に招かれ、衆生を救うための菩薩戒を授けに閻魔庁へ赴いたのもこの井戸からだそうです。「矢田地蔵縁起」

六道珍皇寺 本堂裏庭
▲冥土通いの井戸
六道珍皇寺 冥途通いの井戸

・黄泉がえりの井戸

出口の井戸の伝説
嵯峨の大覚寺南付近の六道町に明治の初め頃まであったとされる福生寺(ふくしょうじ)の井戸が冥界からの出口として使われたと言われていました。

しかし、残念ながら今はその遺址もなく、井戸の伝承は福生寺の本尊として伝わる地蔵菩薩とともに清涼寺西隣の薬師寺に引き継がれています。

平安時代、鳥辺野とともに嵯峨野の奥、化野(あだしの)も葬送地だったので、帰路の出口説もうなずけます。

と、考えられていたのですが、2011年(平成23年)六道珍皇寺の旧境内地より冥土からの帰路の出口と考えられる「黄泉がえりの井戸」が発見されました!ただ、外側は綺麗に整備されているので一見古さは感じられません‥

嵯峨野が出口説も捨てがたいですが永遠の謎ですね。どちらにしても入口と出口が違う場所なのはSFっぽいです^^

六道珍皇寺 黄泉がえりの井戸
▲黄泉がえりの井戸
ミィコ
六道珍皇寺は、六道・閻魔大王・小野篁がキーワード。せっかくなら特別公開の時に伺うのがおすすめです。

【4】御朱印と閻魔王の可愛いおみくじ

御朱印は、通常の御朱印以外に特別公開限定バージョンなどがあります。予定は公式サイトに公開されています。

・閻魔王の御朱印

2020年9月の特別公開で拝受したファンキーな閻魔王の御朱印です。

六道珍皇寺 閻魔王御朱印
▲閻魔王の御朱印

・閻魔王のかわいい置物おみくじ

怖いけど可愛い閻魔王のおみくじ置物。小さいわりに重みがあるところに閻魔王の威厳を感じました^^

六道珍皇寺 閻魔王おみくじ
▲閻魔王の置物おみくじ
ミィコ
人々が地獄に輪廻転生しないように尽力した小野篁はある意味ヒーロー。でもやっぱり主役はインパクトで閻魔大王に軍配!?

【5】京都駅からのアクセス

六道珍皇寺は、最寄りバス停「清水道」から徒歩約5分です。京都駅前バスターミナルから約20~25分で到着です。

・市バス→ 清水道バス停

★京都駅前バスターミナルのりば案内

  • [D1のりば] 市バス 100、110
    清水寺・平安神宮・南禅寺・銀閣寺行き「清水道」まで約14分。
  • [D2のりば] 市バス 206、 86
    博物館三十三間堂・清水寺・祇園行き「清水道」まで約16分。

・TAXI→ 六道珍皇寺

  • 京都駅前→ 六道珍皇寺まで
    所要時間 約8分/910円
    ・総距離 約2.6km タクシー料金検索
    ※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。

【6】最寄駅からのアクセス

A地点:清水五条駅 [5]出口
B地点:六道の辻、六道珍皇寺
C地点:清水道バス停
D地点:祇園四条駅 [1]出口

・京阪本線「清水五条駅」

・[5]番出口から徒歩約15分
・[4]番出口→ 市バス80 祇園行→「清水道」下車 徒歩5分。

・京阪本線「祇園四条駅」

・[1]番出口から徒歩約15分
・[7]番出口→ 市バス207 東福寺九条車庫行→「清水道」下車 徒歩5分。

ミィコ
清水寺へ行く途中に訪ねるのもおすすめ。近くには名所旧跡が多いので、地図を見ながらプランを立てるのが効率良いです^^

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※この記事の史実に関する記載は、六道珍皇寺公式サイト、駒札、パンフレット、京都の史跡を訪ねる会編:六道の辻を歩く、Wikipedia・コトバンク等を参考に作成しました。

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猫好き管理人ミィコです。京都散策に役立つブログを目指して、スローペース更新中。基本的に市バス・電車で移動です。主に週末ふらふらしています。facebookでブログ更新お知らせ中!