大徳寺 黄梅院 | 織田信長、豊臣秀吉、千利休ゆかりの寺院

大徳寺 黄梅院

大徳寺の塔頭寺院 黄梅院(おうばいいん)は、織田信長が父・信秀の追善菩提のため羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に命じて建立させた小庵に始まります。

見どころは、千利休が作庭した直中庭(じきちゅうてい)をはじめ、波頭庭(はとうてい)、作仏庭(さぶつてい)などの禅宗庭園、書院・自休軒(じきゅうけん)、本堂の障壁画、小早川隆景が寄進した禅寺で現存する最古の庫裡など盛りだくさん。

黄梅院の歴史や見どころ、御朱印をご紹介します。

2020年(令和2年)6月1日より一般公開中。春と秋の特別公開もあります。お休みや拝観時間変更などのお知らせは公式instagramをチェック。

ミィコ

【ご注意】春と秋の特別公開時は、受付より奥は写真撮影不可だそうです。

基本情報

黄梅院
所在地 京都市北区紫野大徳寺町83-1
TEL.075-492-4539
公式 instagram

【1】黄梅院とは

黄梅院は、織田信長・豊臣秀吉・小早川隆景・千利休をはじめとする桃山時代の戦国大名や文化人と縁の深い寺院です。

永禄5年(1562年) 28歳の織田信長は、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)を伴い初めて入洛。秀吉を京都所司代に任じると同時に、11年前に亡くなった父・織田信秀(法名・万松院殿)の追善菩提のための小庵「黄梅庵」を建立させました。その小庵が黄梅院の始まりです。

黄梅院 表門
▲表門、小早川隆景の寄進

・黄梅院の由来

名前の由来となったのは中国の黄梅県破頭山東禅寺。中国禅宗の五祖、弘忍(ぐにん)/大満禅師が住しておられた場所です。お釈迦様から32代受け継がれた大満禅師の徳を称えて「黄梅院」と名付けられました。

黄梅院 本堂扁額
▲本堂の扁額

・黄梅院の歴史

黄梅院は由緒ある禅寺「大徳寺」の塔頭寺院です。

大徳寺の歩み

  1. 嘉暦元年(1326年)大燈国師が開創した小庵「大徳」は花園天皇(北朝)、後醍醐天皇(南朝)両天皇の帰依を受け勅願所となり、法堂完成と同時に龍宝山大徳寺と命名されました。
  2. 永享3年(1432年)大徳寺 第26世・養叟宗頤(ようそう そうい)は、世俗化しつつあった五山十刹から離脱、座禅修行に専心するという独自の道を選び、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄えます。
  3. 享徳2年(1453年)の火災と応仁の乱(1467-1477年)で当初の伽藍を焼失。その後、一休宗純が堺の豪商らの協力を得て復興しました。

黄梅院の歩み

  1. 永禄5年(1562年)織田信長は羽柴秀吉に命じ、父・信秀の追善菩提のために小庵「黄梅庵」を建立。開祖は大徳寺98世・春林和尚。
  2. 天正10年(1582年)本能寺の変で信長が急逝。密葬の後、秀吉は黄梅庵に築を加えるが主君の塔所としては小さすぎると判断。新たに大徳寺山内に法名から名をとった「総見院」を建立。
  3. 天正14年(1586年)秀吉が黄梅庵の本堂と唐門を改築。
  4. 天正17年(1589年)大徳寺112世・玉仲和尚の代。鐘楼・客殿・庫裏等を毛利元就の子・小早川隆景が改築落成。名を「黄梅院」に改める。

織田信長[1534~1582年]
戦国・安土桃山時代の武将。信秀の子。桶狭間(おけはざま)に今川義元を討って尾張一国を統一。のち、京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭を追放、武田勝頼を三河の長篠(ながしの)に破ったのち、安土に築城。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあって自殺。

出典:小学館 デジタル大辞泉

豊臣秀吉[1536~1598年]
安土桃山時代の武将。尾張の人。幼名、日吉丸。初名、木下藤吉郎。織田信長に仕え、戦功をたて、羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀・柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一。この間、天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり、豊臣を賜姓。また、検地・刀狩りなどを行い、兵農分離を促進した。のち、明国征服を志して朝鮮に出兵したが、戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。豊太閤。

出典:小学館 デジタル大辞泉

千利休[1522~1591]
安土桃山時代の茶人。堺の人。名は与四郎。宗易(そうえき)と号す。侘茶(わびちゃ)の大成者で、千家流の開祖。茶の湯を武野紹鴎(たけのじょうおう)に学ぶ。草庵風の茶室を完成し、朝鮮の茶碗や日常雑器を茶道具に取り入れ、また楽茶碗の制作・指導などをした。織田信長・豊臣秀吉に仕えたが、のち秀吉の命により自刃。

出典:小学館 デジタル大辞泉
ミィコ

信長の父・織田信秀は尾張国を代表する勢力を築き、信長の飛躍の基盤を作った智勇に優れた武将。信長も尊敬していたんでしょうね。

【2】黄梅院の見どころ

直中庭、波頭庭、作仏庭などの禅宗庭園は、それぞれ異なったスタイルが魅力。建築物も書院や茶室、本堂の障壁画、禅寺で現存する最古の庫裡など見どころ満載です。

・前庭と唐門

表門から庫裡、その左手にある唐門に至る前庭は美しい苔とモミジに覆われています。

正面の庫裡の左手に唐門(重要文化財)があるのですが、モミジの葉が茂っていて、うっかり見逃してしまいました!

黄梅院 玄関の庭
▲黄梅院の前庭
黄梅院 鐘楼
▲鐘楼の鐘は加藤清正が寄進

・書院「自休軒」

自休とは、おのずから立ち止まって真剣に物事に対すること。一考すること。扁額「自休」は大徳寺開山・大燈国師の筆によるもので、後の一休禅師・利休居士の名前にも引用されたと伝えられています。

住持の書斎として使われた、この書院「自休軒」には、茶を喫し一休みするための茶室「昨夢軒(さくむけん)」もあります。千利休の茶道の師・武野紹鴎の作で、書院の中に組み込まれていることから、囲み式書院造りと言われています。

黄梅院書院 自休軒
▲大徳寺開山 大燈国師筆「自休」の額
黄梅院書院 自休軒

・書院前庭「直中庭」

「直中庭(じきちゅうてい)」は書院・自休軒の前に広がる苔一面の池泉式枯山水庭園。豊臣秀吉の希望により千利休が66歳の時に作庭した庭園です。

手前に秀吉の軍旗「千成瓢箪」をかたどった池、正面に大徳寺2世 徹翁和尚が比叡山より持ち帰ったと伝わる三尊石、左に加藤清正伝承の朝鮮灯篭が配されています。

三尊石は、中央:不動明王、右:矜羯羅(こんがら)童子、左:制吒迦(せいたか)童子を表し、前の平らな石は礼拝石で神仏に祈る心が表現されています。

また作庭に当たっては「瓢鮎図(ひょうねんず)/妙心寺塔頭 退蔵院蔵」にもある、有名な禅の問題「瓢箪でナマズを押さえることが出来るか?」をベースとしたと思われるそうです。

黄梅院 直中庭
▲直中庭と三尊石、瓢箪池
黄梅院 直中庭
▲直中庭
黄梅院
▲本堂から書院を望む

・本堂と襖絵

本堂は、天正14年(1586年)に豊臣秀吉の援助で落慶。禅宗特有の様式がよく表われた檜皮葺き入母屋造の建物です。

本堂の襖絵(現在複製)は、桃山時代を代表する画家のひとり・雲谷等顔(うんこくとうがん)によるもので、室中の竹林七賢図、檀那の間の西湖図、礼の間の芦雁図など計44面です。本堂と共に重要文化財に指定されています。

黄梅院 本堂
▲本堂の襖絵

・本堂前庭「破頭庭」

「破頭庭(はとうてい)」という名は「黄梅院」と同じく、中国の黄梅県破頭山東禅寺に由来します。

前方、苔の面にある石は、右:文殊菩薩、左:普賢菩薩。左隅の平べったい石は修業中に求道者の姿を表しています。この三石は聴門石と呼ばれ、本堂中央に祀られている釈迦の説法を聞いている姿とされています。

黄梅院 波頭庭
▲破頭庭
黄梅院 波頭庭
▲破頭庭の聴門石

・本堂北庭「作佛庭」

作佛庭(さくぶつてい)は本堂の北側の庭です。北東に枯山水の滝を表す立石、南への流れの中に小舟を浮かべ、本堂前の破頭庭へと連なるように作庭されているそうです。

すべての物は絶えず生まれては変化し、移り変わっていくこと「生々流転」を表したものだとか。

また、名前の由来は「佛(ほとけ)を作る」ではありません。自分自身の中にある佛に気づくという意味です。佛を生かすも殺すも自分自身の心しだい。一度きりの人生を心して生きましょうというメッセージが込められているそうです。

黄梅院 作仏庭
▲作佛庭
黄梅院 作仏庭

・本堂東側「閑座庭」

閑座庭(かんざてい)は、本堂の東側、庫裏との間にある石庭。

少し休んで心静かに座して、外に向いている心を内に向け、自分を見つめる大切さを伝えているお庭です。

黄梅院 閑座庭
▲閑座庭

・庫裡

庫裡(くり)とは仏教寺院における伽藍のひとつ。僧侶が居住する場所で台所の機能も持つ建物です。

黄梅院の庫裡は、小早川隆景の寄進で天正17年(1589年)に完成。日本に現存する禅宗寺院の庫裡として最古のものです(重要文化財)。

黄梅院 庫裏
▲左の建物が庫裡
黄梅院 庫裏
▲庫裡の台所
ミィコ

黄梅院は豊かな庭に囲まれたお寺でした^^ 受付から玄関までの通路にも、お庭・茶室・腰掛・灯篭などが散在、玄関から書院へも渡り廊下からお庭を楽しむことが出来ます。

【4】御朱印

御朱印は庫裡で拝受することが出来ます。
ご住職は拝観者それぞれに違う言葉を書いて、その意味を説明してくださいます。

黄梅院 御朱印
ミィコ

ん、夫婦道!‥ 細かいことは気にせず、ありがたく拝受しました。縁あった人たちとは仲良く過ごしたいものですね。^^

【5】大徳寺 黄梅院へのアクセス

最寄り駅は、バス停「大徳寺前」。
黄梅院へは南門からが近いです。

[地図]
B地点:黄梅院

A地点:バス停「大徳寺前」

・京都駅から

  • 地下鉄烏丸線 国際会館行に乗車「北大路駅」下車→ 市バスに乗換→「大徳寺前」下車 。所要時間:約25分。
  • 京都駅前バスターミナルのりば案内
    [A2のりば] 市バス205 北大路バスターミナル行「大徳寺前」まで約45分
    [A3のりば] 市バス206 北大路バスターミナル行「大徳寺前」まで約40分
    [B2のりば] 洛バス101 北大路バスターミナル行「大徳寺前」まで約42分
  • TAXI 所要時間 約21分
    ・総距離 約6.7km タクシー料金検索
    ※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。

・四条河原町から

  • [Fのりば] 市バス205 洛北高校・北大路バスターミナル行「大徳寺前」まで約31分

・北大路バスターミナルから

  • 洛バス101 京都駅前行「大徳寺前」まで約4分
  • 洛バス102 錦林車庫前行「大徳寺前」まで約4分
  • 市バス204 北大路通り・金閣寺・西ノ京円町行「大徳寺前」まで約5分
  • 市バス205 西大路七条・京都駅行「大徳寺前」ま約5分
  • 市バス206 千本通り・京都駅行「大徳寺前」まで約5分
  • 市バス北8  佛教大学・松ヶ崎駅前行「大徳寺前」まで約5分
ミィコ

織田信長・豊臣秀吉ゆかりの寺院ですが、彼らに直接関わるモノはありません^^ 信長に興味ある方は「総見院」を要チェックです。

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※この記事の史実に関する記載は、大徳寺パンフレット、黄梅院パンフレット、駒札、Wikipedia等を参考に作成しました。