仏国寺 | 伏見の高台にある見晴らしのいい黄檗宗の寺院

仏国寺 入口

仏国寺(ぶっこくじ)は、深草から宇治につながる八科峠(やしなとうげ)近くにひっそりたたずむ黄檗宗の寺院。

見どころは、高泉(こうせん)和尚銅碑。また、隣接する墓地には小堀遠州のお墓もあります。

高台にあるので境内は明るく、見晴らしも良いです。

基本情報

仏国寺 [正式名:天王山 仏国寺]
所在地 伏見区深草大亀谷古御香町30
TEL.075-641-3139
境内無料
拝観時間 8:30~17:00
仏国寺紹介サイト

【1】仏国寺は黄檗宗の寺院

江戸時代の延宝6年(1678年)高泉和尚が、この地にあった永光寺を復興して「仏国寺」と名付けたのが起源とされます。

往時は、講堂や多くの伽藍を備えた黄檗宗の主要寺院として隆盛を誇ったといいますが、現在は本堂と庫裏をとどめるのみです。

仏国寺 本堂
▲仏国寺 本堂(仏殿)

・開山は高泉和尚

高泉和尚は黄檗宗中興の祖と称される禅僧。

寛文元年(1661年)日本の黄檗宗大本山である萬福寺の開山・隠元禅師の招きで来日。後水尾上皇や将軍 徳川綱吉から崇敬され、のちに萬福寺五世となりました。

諡号(しごう):大円広慧国師(だいえんこうえこくし)。

高泉性潡(こうせん しょうとん)
[1633‐1695]
江戸前期の黄檗宗の禅僧。中国福州(福建省)福清県の出身。福州黄檗山で隠元隆琦の法を嗣ぐ慧門如沛(によはい)の弟子となったが,1661年(寛文1)29歳のとき隠元に招かれて,京都の宇治黄檗(おうばく)山に入り,92年(元禄5)に万福寺第5世住持となった。
後水尾上皇に十牛頌を奉り,将軍徳川綱吉に禅要を説き,加賀の松雲公前田綱紀の帰依を得るなど,宮廷や将軍をはじめ諸大名と積極的に交流し,黄檗宗興隆に尽力して中興の祖とも称される。

出典:平凡社世界大百科事典
仏国寺 開山
▲開山の高泉和尚像

・福聚毘沙門天の由来

お寺の入口に「福聚毘沙門天」という石碑があります。

ある日、高泉和尚がお寺近くの小藪で古仏面を発見。弟子たちと他の木片部分を拾い集め修復すると毘沙門天になったと伝わります。この霊像は寺の仏殿に安置され、山号の「天王山」はこれにちなむといわれます。

仏国寺 鐘楼
▲福聚毘沙門天の石碑
仏国寺 毘沙門天
▲福聚毘沙門天

・仏国寺のあゆみ

かつて、この地には「永光寺」というお寺がありました。

  1. 江戸時代、延宝6年(1678年)高泉和尚が「永光寺」を復興し「仏国寺」と名づけました。そして、第108代 後水尾上皇や第112代 霊元天皇から勅額を賜るなど繁栄しました。
  2. 後に衰微し、明治元年(1868年)以降は荒廃。
  3. 大正11年(1922年)まで、萬福寺塔頭・天真院が管理。
  4. 近年、仏殿・納骨堂などを再建。
仏国寺 庫裏
▲仏国寺 庫裏
ミィコ

明るく清々しい境内です。残念ながら、往時の隆盛をしのばせる雰囲気はないですが‥

【2】仏国寺 見どころ

黄檗宗の寺院なので、日本の寺院にはない中国風の意匠を見つけることが出来ます。

  • 龍文の石條(せきじょう):正方形の平石を菱形に並べ両側を石條で挟んだ参道は、龍の背の鱗に見立てた意匠です。
  • 摩伽羅(まから):魔除けとして屋根に乗せられた想像上の動物。
仏国寺 黄檗宗
▲左:龍文の石條、右:摩伽羅

・本堂

「大円覚」と書かれた後水尾上皇宸筆の勅額、御本尊の「釈迦三尊像」、「福聚毘沙門天像」、隣の部屋には開山の坐像が安置されています。

本堂はいつも開いているとは限らないみたいです。
この日は境内で偶然ご住職に出会い「本堂に上がられますか?」とお声がけいただきました。そして、写真もOKですよと言いながら扉を開けてくださいました。

仏国寺 後水尾上皇の勅額
▲後水尾上皇の勅額「大円覚」
仏国寺 本堂
▲本堂
仏国寺 釈迦三尊像
▲御本尊:釈迦三尊像
仏光寺
▲仏国寺の書

・高泉和尚の銅碑と墓

高泉の墓石の隣にある「高泉和尚銅碑/大円広慧国師碑」は、亀の台石「亀趺(きふ)」に乗った銅碑。江戸時代の銅碑の例として希少だそうです。

碑文は、高泉和尚の教えをうけた近衛家熈(このえ いえひろ)の撰ならびに書。重要文化財に指定されています。

仏国寺 高泉和尚銅碑
▲高泉和尚銅碑と墓
仏国寺 亀趺
▲亀趺

亀趺は、中国では1500年以上前から見られる様式。日本には江戸時代に伝わり、大名家の墓に使われるなど流行しました。

近衛家熈
[1667-1736]
江戸中期の公卿。関白基煕(もとひろ)の子。母は後水尾天皇の皇女常子内親王。関白、摂政、太政大臣、准三宮を歴任。1725年(享保10)落髪して法名を真覚、予楽院と号した。
学問を好み、詩歌、書、茶の湯、立花など諸芸に通じ、ことに書においては平安朝の上代様(じょうだいよう)の復興を志向した能書家として大成した。

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)より抄録

・小堀遠州の墓

仏国寺墓地に隣接する墓地に小堀遠州のお墓があります。大徳寺塔頭・孤篷庵にある遠州のお墓からの分骨ともいわれます。

場所はちょっとわかりにくくて、参道の最初のカーブの右手あたり。参道からは直接入れないので、仏国寺の墓地をぐるっと回って下りて行きます。

仏国寺 小堀遠州の墓
▲小堀遠州の墓

小堀遠州(こぼりえんしゅう)
[1647-1579]
江戸初期の武将,茶人。名は政一,通称作介。宗甫,孤篷庵(こほうあん)と号す。近江国坂田郡小堀村に生れ,豊臣秀吉,徳川家康に仕え,遠江(とおとうみ)守に任ぜられ,伏見奉行を務めた。土木,建築,造園にすぐれ,多くの名園や茶席を残した。また古田織部に茶を学び遠州流の祖となり,中興名物の名で呼ばれる茶道具を残した。

出典:平凡社百科事典マイペディアより抄録

・桃水雲渓の墓

世間の規範を超越した風狂の人として知られた、曹洞宗の僧・桃水雲渓(とうすいうんけい)のお墓もあります。高泉和尚と親交があったことから、この地に葬られました。

無縫塔に「円寂雲渓水公老宿之塔」と刻まれ、前方に「桃水和尚之墓」と記した石標があります。場所は小堀遠州のお墓へ行く途中です。

仏国寺 桃水雲渓の墓
▲桃水雲渓の無縫塔(中央)

無縫塔(むほうとう)とは、主に僧侶の墓塔として使われる石塔(仏塔)です。

桃水雲渓(とうすい-うんけい)
[1612-1683]
曹洞(そうとう)宗。肥後(熊本県)流長院の囲巌宗鉄(いがん-そうてつ)の法をつぎ,能登(のと)総持寺,摂津法厳寺などをへて肥前島原禅林寺の住持となる。
晩年は寺をでて乞食(こつじき)姿で草鞋(わらじ)や酢をうってくらし,乞食桃水,酢屋道全(すや-どうぜん)ともよばれた。

出典:講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusより抄録
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明るい境内なので、お墓も怖い雰囲気はなかったです。

【3】仏国寺 御朱印

境内に御朱印の案内はありません。
今回は、たまたまご住職に出会い、本堂で参拝させていただいている間に御朱印をいただくことができました。

福聚毘沙門天のお札を貼った御朱印です。

仏国寺 御朱印
▲仏国寺 御朱印
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運よくご住職に出会えたら、御朱印をいただくことができます。

【4】仏国寺 アクセス

最寄り駅からは上り坂。周辺は住宅地です。

  • JR奈良線「JR藤森駅」から、徒歩約20分。
  • 京阪本線「墨染駅」から、徒歩約27分。

[地図]
A地点:仏国寺

B地点:JR奈良線「JR藤森駅」
C地点:京阪本線「墨染駅」

・京都駅から

  • JR奈良線 城陽、奈良行に乗車「JR藤森駅」下車。乗車時間:約9分。
    ※快速は停車しません。

・三条京阪から

  • 京阪本線 淀屋橋or中之島行に乗車「墨染駅」下車。乗車時間:約15分。
    ※特急は停車しません。
八科峠の道標
▲八科峠の石標
ミィコ

仏国寺は、京都一周トレイル・東山コースの道標「東山 F13」、八科峠のすぐ近くです。

「京都一周トレイル」は、京都市を一周できるトレッキングコース。東山・北山東部・北山西部・西山・京北の5つのコースに分かれているので、少しづつ楽しむことができます。
参考: 京都一周トレイル 公式サイト

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※この記事の史実に関する記載は、仏国寺駒札、書籍「京都大事典」「京都の寺社505を歩く」、Wikipedia、コトバンク等を参考に作成しました。