八坂庚申堂 | 庚申信仰の日本最初の霊場。くくり猿で御利益を拝受

八坂庚申堂

八坂庚申堂は日本三庚申のひとつ。

境内には、奉納されたカラフルな願掛けの お猿さん「くくり猿」がいっぱい。撮影スポットとしても大人気です。

そして、お猿さんと言えば、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿像も香炉の足元や屋根の上に見つけることが出来ます。

なぜ「猿」の御守りや像が誕生したのでしょうか?

庚申信仰の歴史、くくり猿の祈願方法、ご利益、御朱印、アクセス方法をご紹介します。
あわせて、門前の石碑「夢見坂」の由来もご紹介。

基本情報

八坂庚申堂(やさかこうしんどう)
[正式名称:大黒山 金剛寺 庚申堂]

所在地 京都市東山区金園町390-1
TEL. 075-541-2565
八坂庚申堂 公式サイト

【1】庚申信仰と猿の関係

庚申信仰(こうしんしんこう)とは、奈良時代に中国から伝わった三尸説(さんしせつ)の「庚申(かのえさる)の日」をもとに、「猿(さる)」を神徒と考える日本古来の民間信仰などが複雑に絡み合った日本独自の信仰です。

・庚申信仰とは?

始まりは、奈良時代に中国から伝来した道教の説く「三尸説」。

人の体内には三尸という3種類の悪い虫が棲み、庚申の日の夜、眠っている間に体から出て天帝にその人の罪を告げ口しに行くといいます。そして、天帝は罪の大きさに合わせて、その人の寿命を短くする罰を与えるというものです。

そこで、寿命を短くされないように、庚申の日の夜は身を慎んで徹夜する信仰と行事「守庚申(しゅこうしん)」が生まれました。

眠らなければ、三尸が体から出ることが出来ないと言う発想です^^

守庚申は、庚申待(こうしんまち)、庚申会(こうしんえ)、庚申講などとも呼ばれ、日本では平安時代の貴族社会で始まり、のちに庶民にも広がりました。

庚申(かのえさる)とは
中国の陰陽五行説の十干十二支(じっかんじゅうにし)の組合せの一つ。組み合わせは60通りあるので、「庚申」も60日または60年ごとにめぐってきます。

※十干十二支:古代中国に起源をもつ、暦年・暦日等を数える方法。

・日本では「猿」が重要な存在

庚申信仰は、三尸説の「庚申」の日と、神様の使徒を「猿」と考える日本古来の民間信仰が混ざりあい、「猿」を共通項にした新たな信仰へと変化していったと考えられています。

干支の「申(さる)」=「猿(さる)」という事も関係ありそうです。日本人は語呂合わせが大好きですからね^^

・猿が仕える神様「青面金剛」

15世紀後半になると、神仏を供養することで禍から逃れ、現世利益を得ようとする流れから、本尊を祀るという形へと変化していきます。

そして、日本独自の庚申信仰の本尊は「青面金剛」とされ、その脇に神様の神徒「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿も一緒に祀られました。

信仰が一番多彩に盛り上がったのは江戸時代。

現在も、病気平癒・災難厄除け・学業成就・商売繁盛・縁結び・安産などの御利益で信仰されています。

青面金剛(しょうめんこんごう)
元来は、密教で鬼病を流行させる鬼神。体は青色で、二本、四本または六本の腕があり、弓矢宝剣を握り、頭髪はさか立ち、体に蛇をまとい、足に鬼を踏んでいる。

※日本では、後世、庚申信仰に取り入れられ「庚申さん」の本尊となりました。三尸の虫を退治してくれる神として信仰されています。

八坂庚申堂 門
▲八坂庚申堂の門
八坂庚申堂 くくり猿
▲本堂。三猿がお守りしています。
八坂庚申堂 三猿
▲門の上の三猿「見ざる、言わざる、聞かざる」
ミィコ

密告されないように徹夜する風習から始まり、日本で猿の信仰と習合した後、猿がお仕えする神が出現。順番が面白いですね。

【2】八坂庚申堂とは?

八坂庚申堂は、日本最初の庚申信仰の霊場として信仰を集めました。
大阪の四天王寺庚申堂、東京の入谷庚申堂(現存せず)と並ぶ日本三庚申の一つです。

・八坂庚申堂の歴史

  1. 平安時代の天徳4年(960年)天台宗の僧侶・浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)が、本尊・青面金剛にすべての人々がお参りできるよう八坂の地に庚申堂を建立。
  2. 江戸時代の延宝六年(1679年)に本堂再建。

八坂庚申堂の本尊・青面金剛は、飛鳥時代に中国大陸より渡来した秦河勝により、秦氏の守り本尊としてお祀りされたものです。

・開基 浄蔵貴所の霊験

開基の僧、浄蔵貴所は、無敵の霊験をもつ修験者でもありました。
死んだ父親を復活させたり、傾いた八坂の塔を霊力でまっすぐに直した話が有名です。

浄蔵 [891-964年]
平安中期の天台宗の僧。浄蔵貴所ともいう。三善清行の子。4歳で千字文を読み,7歳で父を説得させて仏門に帰し,熊野,金峯山などの霊山を遍歴して苦行を積んだ。延喜2(902)年,12歳のときに宇多法皇に会い,弟子となる。清涼房玄昭のもとで受戒,三部大宝などを受け,大恵大法師について悉曇の音韻を習得する。19歳で比叡山横川に籠り毎日法華六部誦経,毎夜六千反礼拝を行う。加持の名手として国家的祈祷から貴人の病気治療までかなりの験徳を発揮したようで,入京した平将門を調伏したとか,死んだ父清行を蘇生させたとかいう霊験譚が多い。

出典:朝日日本歴史人物事典より抄録
ミィコ

八坂庚申堂は開基の霊験もあいまって、実は隠れたパワースポットです。

【3】くくり猿で願掛け

八坂庚申堂の境内に入ると、カラフルな「くくり猿」が目を引きます。

「くくり猿」は庚申さん(本尊 青面金剛)のお使いです。お猿さんに願いを託して庚申さんに伝えてもらいましょう。

・紐でくくられている理由

「くくり猿」は、体内に御本尊・青面金剛の御札が納められたお守りです。欲に走ろうとする心を戒めるために、手足をくくられ身動きができない姿をしています。

ちなみに、周辺の店舗の軒先などで見かける五連のくくり猿は、家庭円満や商売繁盛、お客さまとのご縁(五猿)を結ぶ等の願掛けをしているものだそうです。

・願掛けのポイント

願い事を叶えるには、一つ欲を我慢して祈願するのが秘訣だそうです。「二兎を追う者は一兎をも得ず」という諺を思い出しますね^^

また、願掛けする際に紐で結ぶことから「猿結び=縁結び」のご利益があるとされ、特に若い女性に人気です。

八坂庚申堂 くくり猿
▲手足が紐でくくられています
八坂庚申堂
▲本堂の くくり猿
ミィコ

カラフルなくくり猿であふれている光景は、華やかで印象的。明るい気持ちでお参りすれば、願いが叶いそう!

【4】可愛い手づくり授与品

ご祈祷により魂が込められた授与品が用意されています。
御利益は「猿」つながりの語呂合わせにもなっていて親しみがわきます^^

  • 病気がサル(去る)
  • 災難がサル(去る)
  • 煩悩がサル(去る)
  • 見ざる、言わざる、聞かざる
  • 猿結び=縁結び
八坂庚申堂 猿の授与品
▲手づくりの猿の授与品

お猿さんをかたどった可愛いオリジナル授与品は、すべて職人さんの手作りだそうです。お参りの記念に持ち帰りたくなりますね。

・三猿(さんえん)

「見ざる、言わざる、聞かざる」のポーズをしたお猿です。近世になると庚申の猿にちなんで、このような行為をつつしむことが人生を安全幸福におくる秘訣だとする教えが尊ばれました。

・指猿(ゆびざる)

手足を器用に使うお猿さんにあやかって、手先が器用になると言われているお守りです。一つ一つが個性的で、とぼけた表情が可愛く魅力的です。

職人さんの手捻り、手描きで、一つとして同じものはありません。もの作りや手先を使う仕事をしている人に喜ばれそうなお守りです。

八坂庚申堂 指猿
▲指猿(ゆびざる)

・御朱印

「見ざる、言わざる、聞かざる」のお猿さんのハンコが可愛い御朱印です。

八坂庚申堂御朱印
▲八坂庚申堂 御朱印
ミィコ

指猿に一目ぼれしました!

【5】夢見坂とは?

八坂庚申堂の門前に「夢見坂」と彫られた石碑があります。「夢見坂」とは、東大路通り交差点から法観寺(八坂の塔のある寺)までの「八坂通り」の別名。八坂の塔を望める京都らしい街並みと石畳が風情ある坂道です。

「夢見坂」は法観寺の開基といわれる聖徳太子が、いつか京都に都が遷るという夢を見たという言い伝えから名づけられたそうです。

京都 夢見坂
▲夢見坂
夢見坂の石碑
▲夢見坂の石碑

[地図]
B地点:八坂庚申堂

A地点:東大路通りの交差点
C地点:法観寺 [八坂の塔]

ミィコ

ロマンチックな「夢見坂」は聖徳太子が由来だったとは!聖徳太子の見た夢の通り、京都が都になりましたね^^

【6】八坂庚申堂 アクセス

最寄り駅から清水寺へ行く途中にあります。八坂の塔のすぐ近くです。

・最寄り駅から

  • 市バス「清水道」から徒歩約4分。
  • 京阪本線「祇園四条駅」1番出口から 徒歩約15分。
  • 京阪本線「清水五条駅」4番出口からも徒歩約15分。※特急は停車しません。
  • 阪急京都線「京都河原町駅」1B出口から 徒歩約18分。

[地図]
B地点:八坂庚申堂

A地点:京阪本線「祇園四条駅」1番出口

・京都駅前バスターミナルから

  • 京都駅前バスターミナルのりば案内
    [D1のりば] 洛バス100 清水寺祇園・銀閣寺行に乗車「清水道」下車。乗車時間:約14分。
    [D2のりば] 206 東山通・北大路バスターミナル行に乗車「清水道」下車。乗車時間:約17分。

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