墨染寺 | 別名は桜寺。墨染桜が有名な桜の隠れた名所

墨染寺 本堂

墨染寺(ぼくせんじ)は、「墨染桜寺(ぼくぜんさくらでら)」「桜寺」とも呼ばれる日蓮宗の寺院。境内に咲く墨染桜(すみぞめざくら)が寺号の由来で、この付近の地名、墨染(すみぞめ)の由来でもあります。

参拝するなら、何といっても桜の季節がおすすめ!

墨染桜の由来やアクセス方法をご紹介します。

基本情報
墨染寺(ぼくせんじ)
所在地 京都市伏見区墨染町741
TEL.075-642-2675

【1】墨染桜とは?

・平安時代の伝説

平安時代、墨染桜と呼ばれた桜は「貞観寺(じょうがんじ)」の境内にあったようです。

貞観寺は、貞観16年(874年)第56代 清和天皇の勅願により、摂政 藤原良房(ふじわら の よしふさ)[804~872年] によって建立されました。場所は現在の墨染寺より東に位置し、広大な寺院だったと伝わります。

そして、良房の養子で太政大臣 藤原基経(ふじわら の もとつね)[836~891年] がこの地に葬られた際、上野岑雄(かんつけのみねお)が哀悼して、「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け(古今集)」と詠んだところ、桜が薄墨色の花をつけるようになったといいます。

後に応仁の乱(1467~1478年)で貞観寺は廃絶。境内にあったという墨染桜は、安土桃山時代に豊臣秀吉が貞観寺跡地に再興した墨染桜寺に引き継がれました。

・歌舞伎の演目にも登場

江戸時代、墨染は京街道・奈良街道・大津街道が交差するため、宿場町として賑わい、下流遊郭や常設の芝居小屋も繁盛していました。

墨染寺境内に置かれている「墨染井」は、明和5年(1768年)歌舞伎役者・2代目中村歌右衛門が寄進したものです。

天明4年(1784年)には「小野小町・桜・墨染」がキーワードの歌舞伎「重重人重小町桜(じゅうにひとえ こまちざくら)」、「積恋雪関扉(つもるこい ゆきの せきのと)」が江戸桐座で上演されました。「積恋雪関扉」は歌舞伎舞踊中の傑作と言われ、現在に伝わっています。

また、小野小町の「百夜通い伝説」で知られる深草少将にゆかりある欣浄寺(ごんじょうじ)も、墨染寺のすぐ近くです。

小町桜(こまちざくら)
[1] 桜の花の美称。
[2] 植物「墨染桜(すみぞめざくら)」の異名。
※常磐津・積恋雪関扉(関の戸)(1784年)「崩御を悲しむあまりにや、薄墨色に咲たるを、そなたの歌の徳によって、盛の色を増したれば、小町桜と言ひ伝ふ」

出典:精選版 日本国語大辞典より抄録

Yoshitoshi The Spirit of the Komachi Cherry Tree.jpg
▲『小町桜の精』(月岡芳年『新形三十六怪撰』)パブリック・ドメイン, リンク

墨染井
▲2代目中村歌右衛門寄進「墨染井」

・四代目 墨染桜

4代目墨染桜は、白からピンク色の可愛い花です。ギャザーがよったような花びらが乙女チックな感じ。悲しみは癒えて薄墨色は消えたようですね。

墨染桜(スミゾメザクラ)
[1] サトザクラの園芸品種。花は葉より早く咲き、単弁で大きく径三・五センチメートルぐらいで芳香に富む。花色はかすかに紅色を帯びた白色。花芽は緑色。観賞用に栽植される。
[2]京都市伏見区深草墨染町の墨染寺(通称、桜寺)の境内にある桜。藤原基経の死を悼んで上野峯雄(かみつけのみねお)が「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」と詠んだところ、墨染色に咲いたという。

出典:精選版 日本国語大辞典
墨染桜
▲四代目 墨染桜
墨染桜 看板
四代目 墨染桜

・その他の桜

ソメイヨシノや、八重桜、黄緑の桜なども咲き乱れます^^

墨染寺
墨染寺
墨染寺 境内
墨染寺 桜
墨染寺 黄桜
ミィコ
とっても可愛い花を咲かせている墨染桜。薄墨色に染まるような事件が起きないことを祈ります^^

【2】墨染寺とは

・豊臣秀吉の寄進で再興

安土桃山時代、豊臣秀吉は細川幽斎より聞いた「墨染桜の伝説」に感銘を受け、顕彰するために貞観寺の再興を思い立ったといわれます。

ちょうど姉の瑞竜尼(日秀尼)が法華経に篤く帰依し、日秀上人(にっしゅう)と親交があったため、貞観寺(現在地より東にあった)跡地を日秀上人に寄進。日蓮宗の墨染桜寺(ぼくせんおうじ)として再興させました。

当時の墨染桜寺は御成間御殿(おなりまごてん)をはじめ、7つの子院塔頭をもつ大寺院に整えられ、秀吉も度々寺を訪れたといいます。

しかし、徳川の時代には凋落し、縮小して現在地に移転したため往時の栄華を偲ぶものはありません。

豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)[1536~1598]
安土桃山時代の武将。織田信長に仕え、信長の死後、明智光秀・柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一。この間、天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり、豊臣を賜姓。また、検地・刀狩りなどを行い、兵農分離を促進した。のち、明国征服を志して朝鮮に出兵したが、戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。豊太閤。

細川幽斎(ほそかわ ゆうさい)[1534~1610]
安土桃山時代の武将・歌人。名は藤孝。足利義晴・義輝・義昭に仕え、のち織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に重用された。歌人としても有名で、三条西実枝から古今伝授を受けた。著「衆妙集」「詠歌大概抄」「百人一首抄」など。

出典:小学館デジタル大辞泉より抄録
墨染寺 門
▲墨染寺の山門
桜寺 扁額
▲桜寺の扁額

・墨染寺の歩み

  1. 貞観16年(874年)第56代 清和天皇の勅願により、摂政・藤原良房が広大な貞観寺を建立。その後衰微。
  2. 安土桃山時代、天正年間(1573~1591年)豊臣秀吉が貞観寺の跡地を日秀上人に寄進し、墨染桜寺として再興。
  3. 江戸時代、徳川の時代になると塔頭・威徳院(いとくいん)に統合縮小され現在地へ移転(山州名跡誌)。その後、荒廃。
  4. 年代不詳、宇治 直行寺・梅津 本福寺に住した、第37世 学妙上人により復興されたといいます。
名所図会 墨染寺
▲江戸時代・天明6年(1786年)頃の墨染寺|都名所図会 6巻
ミィコ
広大な寺院が歴史の流れにもまれて、こじんまりとしたお寺として残っているのもロマンですね^^

【3】墨染寺 アクセス

最寄り駅は、京阪本線「墨染駅」JR奈良線「JR藤森駅」です。

・京阪本線「墨染駅」(地図のB地点)から、徒歩約3分。
・JR奈良線「JR藤森駅」(地図のC地点)から、徒歩約13分。

・京都駅→ JR藤森駅

JR奈良線 城陽行、奈良行乗車「JR藤森駅」まで約9分。改札口を出て右へ。
※JR藤森駅は地図のC地点。快速は停車しません。

・京都駅→ 東福寺駅→ 墨染駅

JR奈良線 城陽行、奈良行乗車「東福寺駅 [乗換]」まで約3分→ 京阪本線 淀屋橋行きor中之島行きに乗り換え「墨染駅」まで約8分。改札口を出て右へ直進。
※墨染駅は地図のB地点。特急は停車しません。所要時間:約15~21分

・三条京阪→ 墨染駅

京阪本線 淀屋橋行きor中之島行き乗車「墨染駅」まで約15分。改札口を出て右へ直進。
※墨染駅は地図のB地点。特急は停車しません。

ミィコ
墨染駅近辺には、菖蒲の節句発祥の地・藤森神社があります。

関連記事です!

墨染駅近辺の神社のご紹介
藤森神社 | 勝運・学問と馬の神様、見どころ8選

※この記事の史実に関する記載は、墨染寺駒札、書籍「京都伏見歴史紀行」「京都の寺社505を歩く」、Wikipedia、京都風光サイト等を参考に作成しました。

ABOUTこの記事をかいた人

猫好き管理人ミィコです。京都散策に役立つブログを目指して、スローペース更新中。基本的に市バス・電車で移動です。主に週末ふらふらしています。facebookでブログ更新お知らせ中!