智積院 | 長谷川等伯の障壁画・庭園、見どころとアクセス

智積院

智積院(ちしゃくいん)は、真言宗智山派の総本山。全国に3000余の末寺があります。

見どころは、長谷川等伯の障壁画(国宝)や、利休好みと伝わる名勝庭園です。実は、これらの財産が智積院にある理由は、豊臣秀吉との因縁の歴史が深く関係しているのです。

智積院の歴史を超簡単にまとめるとともに見どころをご紹介します。

基本情報

真言宗智山派 総本山智積院
所在地 京都市東山区東大路通り七条下る東瓦町964
TEL.075-541-5361
智積院 公式サイト
境内無料

有料拝観(収蔵庫及び名勝庭園)
拝観受付時間 9:00~16:00
拝観料 一般500円 高校生300円 中学生300円 小学生200円
※団体割引(それぞれ20人以上)50円引き
※休み 12月29日、30日、31日

【1】智積院と豊臣秀吉の因縁の歴史

智積院 門
▲智積院の総門(東福門院旧殿の門を移築)

・隆盛を極めた根来寺と学頭寺院「智積院」

智積院の歴史は、弘仁7年(816年)、真言宗の宗祖である弘法大師 空海が嵯峨天皇の許可を賜り、高野山(和歌山県)に真言密教を広めるために開いた道場から始まります。

その後、弘法大師は20年にわたり全国に教法を広めた後、承和2年(835年)永遠の瞑想に入られました。 そして300年後・・・

  1. 根来山(根来寺)の誕生
    長承元年(1132年)、活力を失いつつあった高野山の信仰を立て直そうと、興教大師 覚鑁(こうぎょうだいし かくばん)が、鳥羽上皇の許可を得て高野山内に学問所「大伝法院」を建立、宗祖・空海の教義を復興しようと努めます。

    しかし、覚鑁の改革を良く思わない一部の僧侶の激しい反発があり、保延6年(1140年)には覚鑁の寺院が焼き討ちされるという事件が発生。そのため、覚鑁は座主を降り、かつて寄進を受けた根来山(和歌山県)に移り、一山総称としての根来寺(ねごろじ)を形成していくことになります。覚鑁は康治2年(1143年)に入滅。
  2. 根来山の隆盛と「智積院」
    それから100年以上後の正応元年(1288年)、大伝法院の学頭であった頼瑜(らいゆ)が、大伝法院の寺籍を高野山から根来山に移した事により根来山は隆盛。

    最盛時には2900もの坊舎と約6000人の学僧を擁し、大伝法院(根来寺)の塔頭寺院が多数建立されました。その中でも学頭寺院として僧侶に学問を授ける最高指導者の役割を担ったのが「智積院」です。

・織田信長と友好関係

室町時代末期(1550~1570年頃)には、根来寺(根来山)は巨大な勢力に成長。

種子島から伝来したばかりの火縄銃を根来寺僧が持ち帰り、自衛のため僧衆による鉄砲隊を編成するとともに、武将・諸侯の傭兵としても活動、織田信長とも友好関係にありました。

・豊臣秀吉に焼き討ちされる

天正10年(1582年)本能寺の変で信長が没した後、根来寺が徳川方に通じたことから豊臣秀吉と対立。天正13年(1585年)秀吉の軍勢の焼き討ちによって根来山内の堂塔、仏像、経典のほとんどが灰となり、事実上壊滅させられました。

智積院の住職であった玄宥(げんゆう)僧正は弟子とともに難を逃れましたが、その後10年以上、苦心しながら各地を流転することになります。

・徳川家康の帰依で「智積院」再興

慶長3年(1598年)豊臣秀吉が没すると、玄宥僧正は徳川家康に願い出て、京都に智積院 再興の第一歩を踏み出します。

慶長6年(1601年)には、家康より秀吉の霊を祀る豊国神社境内の坊舎と土地が与えられ、名実ともに智積院は再興。さらに、秀吉が3歳で夭折した長男鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲禅寺も拝領し、境内伽藍が拡充されました。

祥雲禅寺
豊臣秀吉が長男鶴松(棄丸)の菩提を弔うために建立した寺院。天和2年(1682年)の火災で焼失し何も残っていません。しかし、その客殿を飾っていた長谷川等伯筆の金碧障壁画は持ち出され、現在は智積院に保管されています。また、名勝庭園も祥雲禅寺から引き継ぎ修復されたものです。

智積院 玄宥僧正像
▲智積院を再興した玄宥僧正の像
ミィコ

豊臣秀吉に排斥された智積院に、秀吉の残した財産を与えるとは、徳川家康も気が利いてますね。玄宥僧正はどう感じたんでしょう? 因果応報でしょうか‥

【2】智積院の見どころ

・智積院 金堂

もともとあった金堂は、元禄14年(1701年)に智積院 第10世 専戒僧正が発願、桂昌院(徳川5代将軍・綱吉の母)の寄進と学侶からの寄付金を資金として、宝永2年(1705年)建立されたものでしたが、惜しくも明治15年(1882年)火災によりに焼失しました。

現在の金堂は、弘法大師の生誕1200年の記念事業として昭和50年(1975年)に完成。堂内には昭和の祈りを込めた本尊大日如来が安置されています。

智積院
▲金堂

・長谷川等伯の障壁画(国宝)

桃山美術の豪華絢爛さを今に伝える障壁画です。

長谷川等伯らがダイナミックに大自然を描き出した「楓図」「桜図」「松と葵の図」「松に秋草図」等は国宝に指定されています。収蔵庫で拝観する事ができます。写真不可。

オリジナルの国宝は豪華絢爛とはいえ、古いものなので、かなりくすんだ色調になっています。

Érable entouré d'herbes d'automne (détail) par Hasegawa Tōhaku.jpg
▲楓図(智積院蔵), by 長谷川等伯, パブリック・ドメイン, Link
Pine tree Flowering plants Chishakuin Tohaku.JPG
▲松に草花図(智積院蔵), by 長谷川等伯, パブリック・ドメイン, Link
Cherry-tree.jpg
▲桜楓図のうち桜図 (智積院蔵), by 長谷川久蔵, パブリック・ドメイン, Link
智積院 収蔵庫
▲拝観受付の奥にひっそり佇む収蔵庫

名勝庭園前の大書院には、当時を再現した複製障壁画が飾られています。背景の金色に、草花や桜が浮き上がって豪華絢爛、キラキラ輝いています。

智積院 長谷川等伯 障壁画レプリカ
▲複製障壁画
智積院 長谷川等伯 障壁画レプリカ

・利休好みの庭園

豊臣秀吉が建立した祥雲禅寺時代に原形が造られ、智積院第七世、運敞(うんしょう)僧正が指揮して修復し、延宝2年(1674年)に完成。東山随一の庭と絶賛されたそうです。

中国の仏教の聖地・廬山(ろざん)をかたどった、築山・泉水庭の先駆として貴重な遺産といわれています。大書院の華やかな障壁画と、縁側の下まで入り込んだ池が織りなす、贅沢で解放感のある庭園です。

春にはサツキツツジ、秋には紅葉が庭に華やかさを添えます。特に、サツキが咲き終わった5月下旬頃に植木の刈込みが行われるため、もっとも整った庭園を見ることができるそうです。

智積院 名勝庭園
智積院 名勝庭園
智積院 名勝庭園
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名勝庭園は「利休好みの庭」と伝えられるそうです。利休は鶴松が亡くなる5カ月ほど前に秀吉の命令で自害しています。運敞僧正は秀吉に排斥された人々に思いをはせて、利休好みと言われるスタイルの作庭を指示したのでしょうか?

・秋の紅葉

紅い紅葉に囲まれた鐘楼(しょうろう)のある風景が印象的。
総門の右手にある、智積院会館から鐘楼へ至る小道沿いの紅葉も大変美しいです。隠れた紅葉の名所に決定~! 2018年12月3日撮影

智積院 紅葉
智積院 紅葉
智積院 紅葉
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美しい紅葉が見ることが出来るとは知らなかったので、得した気分でした^^

【3】智積院 アクセス

  • バス停「東山七条」から徒歩約1~2分。
  • 京阪本線「七条駅」から徒歩約10分。
[地図]
A地点:京阪本線「七条駅」
B地点:智積院

・京都駅から

  • 京都駅前バスターミナルのりば案内
    [D1のりば] 洛バス100 清水寺・祇園・銀閣寺行に乗車「東山七条」まで約9分。
    [D1のりば] 市バス110 祇園・平安神宮行に乗車「東山七条」まで約9分。
    [D2のりば] 市バス206 東山通り・北大路バスターミナル行に乗車「東山七条」まで約11分。
  • TAXI 所要時間 約9分/910円
    総距離 約2.6km タクシー料金検索
    ※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。

・祇園四条から

  • 京阪本線 淀屋橋行きに乗車「七条駅」まで約3分。智積院まで徒歩約10分。
    ※特急も停車します。
ミィコ

アクセスは良好。

【4】付近の見どころ

徒歩5分以内です!

・京都国立博物館

千年の都京都ゆかりの文化財を中心とした展示です。
京都国立博物館

・三十三間堂

前後10列の階段状に整然と並ぶ等身大の1000体の観音立像が有名。
三十三間堂

・養源院

織田・豊臣・徳川の血縁が合流した寺院。琳派の絵画に興味がある方は必見!

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※この記事の史実に関する記載は、智積院公式サイト・駒札・パンフレット、Wikipedia等を参考に作成しました。