東福寺 | 紅葉や苔が美しい禅寺。見どころ10選

東福寺 見どころ10選

東福寺は大きな伽藍が立ち並ぶスケールの大きな禅寺。

秋の通天橋の紅葉や、作庭家・重森三玲による方丈庭園が有名で、京都ガイドには必ずと言っていいほど掲載されています。

でも、それだけじゃないんです。たくさんの見どころの中から10か所ピックアップしてダイジェストでご紹介します。

京都駅からのおすすめルート、最寄り駅「東福寺駅」からの正式参拝コースも詳しくご説明!

基本情報

東福寺(臨済宗東福寺派大本山)
所在地 京都市東山区本町15丁目778

境内無料
拝観時間
・4月~10月末 9:00~16:00 (受付終了) ※16:30閉門
・11月~12月初旬 8:30~16:00 (受付終了) ※16:30閉門
・12月初旬~3月末 9:00~15:30 (受付終了) ※16:00閉門

有料拝観
・通天橋と開山堂 400円(小中学生 300円)
・東福寺本坊庭園 400円(小中学生 300円)
東福寺 公式サイト

【1】東福寺とは?

嘉禎2年(1236年)、鎌倉時代の摂政・九條道家が禅寺建立を初願しました。そして寛元元年(1243年)、宋での修行を終えて帰国した新進気鋭の禅僧、円爾(えんに)を開山に招き、禅寺建立プロジェクトがスタート。

寺名「東福寺」は奈良の東大寺、興福寺の二大寺から1字ずつ取られました。

しかし、道家は完成を見ずに没し、初願から19年後の建長7年(1255年)、息子の九條実経(一条家の祖・一条実経)の代に完成しました。

円爾 [1202年- 1280年] 
開山の円爾は、道家の期待通り東大寺・興福寺の規模を超える、天台・真言・禅の三宗兼学の寺として東福寺を建立し、任務を十二分に果たしました。

禅宗(臨済宗)を根本としながらも、真言・天台をまぜて禅宗を広め、東大寺大勧進職に就くなど他宗派でも活躍。没後の応長元年(1311年)には、花園天皇から「聖一」の国師号が贈られました。

・東福寺の歴史

東福寺は火災で何度も伽藍を焼失。その都度、復興・再建され現在に至ります。

  1. 嘉禎2年 (1236年) 九條道家が建立を初願。
  2. 寛元元年(1243年)禅僧 円爾を開山に仰ぎ、天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔が完成しました。
  3. 元応元年(1319年)、建武元年(1334年)延元元年、(1336年)と相次ぐ火災のために伽藍の大部分を焼失、復興開始。
  4. 貞和3年(1346年)に復興を果たし、禅宗寺院としての寺観を整えます。当時の仏殿には高さ5丈(約15m)の釈迦像が安置されていたと伝わります。
    その後、足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理が加えられ、京都最大の禅苑として兵火を受けることなく君臨しました。
  5. 明治14年(1881年)仏殿・法堂、方丈、庫裡を焼失。
  6. 方丈・庫裡は明治23年頃に再建。大正6年(1917年)に本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工、昭和9年(1934年)に落成し現在に至ります。

・京都五山

京都五山の格付け
別格:南禅寺
1. 天龍寺
2. 相国寺
3. 建仁寺
4. 東福寺
5. 万寿寺

建久2年(1191年)、南宋から帰国した僧侶栄西(建仁寺開山)らによって伝えられた禅宗はその後隆盛を極め、鎌倉時代の末期には次々と大禅刹が建立されました。

室町幕府は古い寺社と結びつく南朝や公家勢力に対抗して、禅宗(臨済宗)を優遇すると共に、大禅刹を五大官寺として格付けし管理・統制しました。それが「京都五山・鎌倉五山」です。

順位は幾度か変動し、現在の順位は至徳3年(1386年)室町幕府3代将軍・足利義満によって決められたものです。

京都五山はあくまで足利氏の政治、政略的な格付けです。都合の悪い大禅刹は除外されました。

大徳寺:後醍醐天皇(南朝)と関係が深かったため除外。
妙心寺:大内義弘と関係が深かったため、義満の怒りを買い寺領没収。再興は江戸時代。

・禅面は「伽藍面」

禅面(ぜんづら)とは、禅宗の大寺院の個性を表現した俗称。東福寺は「伽藍面」と呼ばれていました。

  • 東福寺の伽藍面(がらんづら):東福寺の三門や仏殿など、禅宗の寺としては最大級の大きさの伽藍があることから。
  • 建仁寺の学問面(がくもんづら):漢文学の詩文芸術に秀でた禅僧を輩出し「五山文学」の隆盛を牽引したことから。
  • 大徳寺の茶面(ちゃづら):千利休が大徳寺に帰依。多くの大名が利休から茶の湯を学び、茶室を持つ塔頭が多いことから。
  • 南禅寺の武家面(ぶけづら):武家の篤い信仰を得て繁栄したことから。
  • 妙心寺の算盤面(そろばんづら):組織運営で臨済宗きっての派閥となったことから。日本の臨済宗寺院、約6,000 のうち約3,400が妙心寺派。
  • 相国寺の声明面(しょうみょうづら):禅宗の声明である梵唄(ぼんばい)が、お経や回向文の曲節の美しさとして伝承されていることから。
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京都五山は様々な日本文化の発信基地でもあったんですね。

【2】見どころ

東福寺はかなり広いので、事前にざっくり位置関係を確認した方が効率的に拝観できると思います。

※東福寺のパンフレットは、公式サイトからダウンロード可能です。

東福寺パンフレット"
▲東福寺境内案内図 パンフレットより

・01・三門(正門)

東福寺の三門(さんもん)は、室町幕府 第4代将軍 足利義持による再建。国宝に指定されています。

三門とは三解脱門とも呼ばれ 「空門(くうもん)・無相門(むそうもん)・無作門(むさもん)」を表しています。「解脱=さとり」を求めている人は、この門を通り中にお入りなさいという意味だそうです。

東福寺 三門
▲三門 第一印象は大きいっ!
東福寺 三門
▲扁額「玅雲閣」

扁額は足利義持の筆です。「妙」は「女」偏が一般的ですが「玄」偏を用いています。玄の意味「奥深い道理」と、妙の意味「真理・美しい」を合わせて強調しているそうです。

東福寺 三門
▲横から見た三門

大屋根の四隅の角柱は、通称「太閤柱」と呼ばれています。天正大地震による三門の傷みを、豊臣秀吉が天正13年に大修理した際に補足した柱です。確かに太閤柱がないと地震で倒れそうです‥

三門の2階内部(通常非公開)
二階内部には、天上界、悟りに達した精神界究極の世界を表現した装飾が施されています。

中央に宝冠釈迦如来坐像、左前に月蓋尊者、右前に善財童子、両側に十六羅漢を安置。
天井や柱には、東福寺の僧である兆殿司・寒殿司の筆で、極彩色の迦陵嚬伽(かりょうびんが/極楽に住む人面鳥身の架空の鳥)や飛龍(極楽に住む応龍)、金襴巻や牡丹唐草等が描かれています。

東福寺三門の内部
▲三門の2階内部(特別公開の看板より)
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三門の内部にひっそりと華麗な世界が眠っているなんて贅沢ですねぇ。次回特別公開の機会があれば見たいです。

・02・東司(トイレ)

東司(とうす)とは便所の建物で、禅堂の横には必ず置かれます。

東福寺の東司は、禅寺としては日本最古最大で、現存する唯一の遺構です。「百雪隠(ひゃくせっちん)」、「100人便所」とも言ったそうです。禅僧は用便も修行として、厳しい作法が定められていました。

また、当時の排泄物は貴重な堆肥肥料であり、京野菜の育成に欠かせない存在でした。禅寺にとっても現金収入の大きい糧となっていたと云われています。

東福寺 東司
▲東司 外観
東福寺 東司
▲内部の遺構
東福寺 東司
▲再現イラスト
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基本的には現代のトイレと変わらないですね。個室があって、お香もたかれています。

・03・浴室(サウナ風呂)

禅宗伽藍の現存最古(室町時代)の浴室。現在でも使用可能なレベルのシステムが採用されているそうです。

板戸を立てた二つの蒸し風呂、後方には釜や焚き口があり、蒸気を簀の子を通して下から送る構造です。※建物の内部は見ることはできません。

当時は100人単位の僧侶が修行していたので、沐浴すると膨大な量のお湯が必要になり、貴重な水はもとより、水を沸かす薪を調達すると、東山三十六峰が禿山になる可能性がありました。

そのため、お湯ではなく「蒸気」で体の垢をふやかし擦り落とすことで、お湯の使用量を格段に節約し自然を大切にしたのです。

東福寺 浴室
▲浴室
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この浴室はエコの先駆けですね。現代の電気やガスのありがたみを感じます!

・04・禅堂(400人収容)

400人の僧が修行可能な禅堂は、貞和3年(1347年)の再建。中世期より遺る唯一の座禅道場(重要文化財)で鎌倉風の華頭窓が特徴です。

お知らせ

毎週日曜日の早朝に日曜坐禅会が開催されています。
参加無料・予約不要
午前6:00 坐禅堂の掃除開始
午前6:20 坐禅の説明
午前6:30~7:30迄 坐禅
公式サイトのお知らせをご確認ください。

東福寺 禅堂
▲禅堂も大きいです
東福寺 禅堂
▲禅堂の入り口
東福寺 禅堂
▲禅堂の華頭窓
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座禅は興味あるけど未体験です。1時間もじっとしていられるかなぁ。あと、早起きも‥

・05・本堂(蒼龍の天井画)

明治14年(1881年)の火災で仏殿と法堂を焼失。現在の本堂は、大正6年(1917年)から再建工事にかかり、昭和9年(1934年)に完成したものです。

入母屋造、裳階付き。高さ25.5メートル、間口41.4メートルの大規模な堂で、昭和期の木造建築としては最大級になります。

そして本堂の天井一面には、堂本印象筆の迫力ある巨大な蒼龍図が描かれています。中には入れませんが、本堂正面の格子の間から覗けます。

東福寺 本堂
▲本堂とイブキの古樹
東福寺本堂 天井画
▲「 蒼龍 」堂本印象筆の天井画

大涅槃図
涅槃会(ねはんえ)の期間(3月14日、旧暦2月14日頃)には、京都三大涅槃図の1つと言われる「大涅槃図」が御開帳され法要が執り行われます。

この大涅槃図は、室町時代の画聖、兆殿司(明兆)によって描かれたもので、縦約12m/横約6mと非常に大きいものです。

さらには、他の涅槃図と異なり、猫(魔除けの猫と伝わります)が描かれているという大変珍しい特徴があります。

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涅槃図に猫が描かれているなんて親近感UPです^^

・06・樹齢750年超のイブキ

江戸時代にはすでに古樹として知られていました。「都名所図会」には、「円柏(イブキ)の古樹は開山国師、宋国より携へ来る」という記載とともに「唐木」として描かれています。

東福寺 唐木 イブキ
▲ 伽藍もイブキもスケールが大きいです
都名所図会 6巻 東福寺
▲名所図会 6巻 天明6年(1786年)発行 国立国会図書館
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都名所図会のイブキは、まだ小さい感じですね。この時から200年以上経過した現在。ぐんぐん成長して大きくなったようです。

・07・東福寺 本坊庭園

東福寺本坊庭園は、明治14年の火災により仏殿、法堂、庫裏とともに焼失、明治23年(1890年)に再建されました。

禅宗の方丈には、古くから多くの名園が残されてきましたが、広大な方丈の東西南北に四庭が配されたものは、東福寺本坊庭園のみです。方丈とは、禅宗寺院における僧侶の住居で、後に相見(応接)の間の役割が強くなりました。

現在の庭は、作庭家・重森三玲(1896-1975)によって昭和14年(1939年)に完成されたものです。鎌倉時代の質実剛健な風格を基調に、現代芸術の抽象的構成を取り入れた近代禅宗庭園の白眉として、広く世界各国に紹介されています。

東福寺 庫裡
▲庫裡 本坊庭園の受付
東福寺本坊庭園 看板
▲ 本坊庭園は京都の名庭として有名

北斗七星、蓬莱、瀛洲、壺梁、方丈、京都五山、須弥山、市松の八つの意匠を盛り込み、これが釈迦の入滅を表す「釈迦八相成道」にもあたることから、「八相の庭」と名付けられました。

東福寺本坊庭園 東庭
▲東庭
星座の「北斗七星」を表現。写真は石が4つしか写ってませんが‥
東福寺本坊庭園 南庭
▲南庭
蓬莱、瀛洲、壺梁、方丈の四神仙島を石の構成で表現
東福寺本坊庭園 南庭
▲南庭
京都五山を表現した苔山
東福寺本坊庭園 西庭
▲西庭
伝統的な市松模様を、サツキの刈込と葛石の使用によって表現
東福寺本坊庭園 北庭
▲北庭
西庭の大市松が小さくなり、東北方向の谷に消えていくという表現手法
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ガイドブックに必ず載っているといっても過言ではない市松模様の庭。もふもふの苔が可愛いです。

・08・通天橋(紅葉の名所)

通天橋(つうてんきょう)は、仏殿・方丈から開山堂(常楽庵)に至る渓谷「洗玉澗」(せんぎょくかん)に架けられた橋廊です。渓谷を渡る僧の労苦を救うために、禅僧・春屋妙葩が天授6年(1380年)に架けたと伝えられます。

昭和34年(1959年)に台風で崩壊しましたが2年後に再建、その際橋脚部分は鉄筋コンクリートとなったそうです。「東福寺三名橋」の一つです。あとの二つは、偃月橋と臥雲橋です。

東福寺 通天橋
▲通天橋は絶景紅葉の名所
東福寺
▲通天橋から続く回廊
東福寺
▲苔のじゅうたん
Hiroshige People under maple trees by a stream.jpg
▲昔から紅葉の名所
By 歌川広重, パブリック・ドメイン, Link
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青紅葉と苔に覆われた緑の風景も美しくておすすめです。秋の紅葉の季節は混雑必至です^^

・09・常楽庵 開山堂(京の五閣)

常楽庵は、開山の円爾像を安置している開山堂のことを指します。開山堂南西には円爾が生活していたという普門院があり、これらの建物は重要文化財に指定されています。

現在の建物は文政2年(1819年)焼失後の再建で、文政9年に開山堂・昭堂、塔司寮、庫裏、全域が竣工しました。

常楽庵の前にも印象的なお庭があります。参道の東側は緑が美しい築山風の池泉鑑賞式庭園、西側は枯山水庭園で、波紋で市松模様がつけられた砂地に石組みが配されています。二つの庭園は対峙しながらも見事に調和しています。

開山堂・昭堂は上部に楼閣風の伝衣閣(でんねかく)をもち、京の五閣の一つと言われています。

「京の三閣」は、金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)、飛雲閣(西本願寺)。これに呑湖閣(芳春院〈大徳寺塔頭〉)を加えて「京の四閣」、さらに伝衣閣(東福寺)を加えて「京の五閣」といいます。

東福寺 常楽庵開山堂
▲常楽庵開山堂
東福寺 常楽庵開山堂
▲白砂の石庭は市松模様
東福寺 回廊
▲青紅葉の中の回廊
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青紅葉の風景を楽しみながら、回廊を上がっていくと、目の前が開けて常楽庵が現れるのが印象的でした!

・10・偃月橋、臥雲橋

東福寺には、上流から偃月橋・通天橋・臥雲橋と呼ばれる「東福寺三名橋」があります。

通天橋は、開山堂とセットの有料拝観となりますが、偃月橋と臥雲橋は費用はかかりません。臥雲橋から通天橋を望む風景も素晴らしいです。

偃月橋(えんげつきょう)

重要文化財。「日本百名橋」の一つ。
慶長8年(1603年)建築の単層切妻造・桟瓦葺きの木造橋廊です。

場所は、方丈庭園受付のある庫裡の横を道なりに進んだ奥にあります。橋を渡ると塔頭の竜吟庵です。行き止まりなので同じ道を戻ります。

東福寺 偃月橋
▲上流にある「偃月橋」
東福寺 竜吟庵
▲偃月橋を渡ると竜吟庵

臥雲橋(がうんきょう)

東福寺の境内の外になります。禅堂の横の日下門から出て東福寺と塔頭の間の道を右へ進みます。

そのまま道なりに歩いていくと「東福寺駅」方面に出ます。

臥雲橋
▲下流にある「臥雲橋」
臥雲橋から通天橋を望む
▲「臥雲橋」から通天橋を望む
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木々の間を渡る橋から見る景色は、風情があって別世界にいるようです^^

【3】紅葉の楽しみ方と穴場

東福寺は昔から紅葉の名所として有名。紅葉が盛りの週末は、すごい人出なので覚悟して行きましょう。

少しでも人出が少ない時間帯を狙うなら朝イチ、平日なら人出はまだ少な目だと思われます。11月は朝の8:30から通天橋に入れます。

東福寺境外の臥雲橋から紅葉と通天橋の風景を見るなら、8:30より早く行くのもいいと思います。ちなみに11月~12月の夜明けは、6:30~7:00くらい。

臥雲橋は穴場っぽい場所なんですが、地元民はみんな知ってる紅葉スポットなので、じつはそれほど穴場じゃないかもです^^

東福寺の紅葉
▲「臥雲橋」からの紅葉と通天橋
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青紅葉も大変美しいので、人混みが苦手な方はオフシーズンがおすすめです。

【4】東福寺 アクセス

京都駅や祇園四条からもアクセスは良好。最寄駅から東福寺六波羅門まで徒歩10~15分。

・京都駅から

  • JR奈良線
    「東福寺駅」まで一駅、乗車時間は約2~3分。快速も止まります。
     下車後、東福寺六波羅門まで徒歩約15分。
  • TAXI 京都駅八条口から
    ※紅葉シーズンは混雑するので要注意。

・祇園四条から

  • 京阪本線
    「東福寺駅」まで3駅、乗車時間:約5分。特急は止まりません。
     下車後、東福寺六波羅門まで徒歩約15分。
    「鳥羽街道駅」まで4駅、乗車時間:約7分。※特急は止まりません。
     下車後、東福寺六波羅門まで徒歩約10分。

【5】参拝コース

東福寺は大きな禅寺なので、門も複数あります。
少し遠回りでも正式参拝にこだわるコースと、参拝順にこだわらない時短コースをご紹介。

・正式参拝コース

禅寺は、三門から参拝するのが正式な順序です。

東福寺の場合は、南大門からのゆるやかな上り坂を直進すると勅使門に至るので、この道が正統な参道になります。

勅使門は閉じられているので、隣の六波羅門(重要文化財)から境内に入ります。

JR奈良線・京阪本線「東福寺駅」からの正式参拝
京阪電車の改札口前方の道路を右に曲がり、高架をくぐってさらに直進。途中、北門・中門がありますが、南大門の「東福寺 参詣道」のサインまで曲がらないようにしましょう! 六波羅門まで徒歩約15分。

正式参拝の場合は、京阪本線「鳥羽街道駅」が近いです。
六波羅門まで徒歩約10分。

東福寺 南大門 参道サイン
▲南大門前の「東福寺 参詣道」サイン
東福寺 南大門 サイン
▲南大門前のサイン あと5分!
東福寺 南大門
▲南大門をくぐって直進
東福寺 六波羅門
▲六波羅門から東福寺境内に入ります

・参拝順序を気にしない時短コース

東福寺駅から何度か曲がるのでちょっとわかりにくですが、臥雲橋を渡って直進し日下門から境内に入ります。

このコースも東福寺と塔頭の間の歩道を歩くので、緑が多く風情があります。禅堂の横に出るので、三門を見学するのを忘れないように^^

東福寺 日下門
▲日下門

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東福寺の塔頭寺院のご紹介。随時追加予定です
勝林寺 | 写仏体験&手書き御朱印の拝受
光明院 | 波心庭の拝観方法とおすすめアクセス方法

ミィコ

東福寺は入り口が何か所もあるので、気が付いたら境内かも。

※この記事の史実に関する記載は、東福寺公式サイト、駒札、「京都の寺社505を歩く」等の書籍を参考にしました。