伏見桃山城 | 伏見城をイメージした模擬天守のある公園

伏見桃山城

伏見桃山城は伏見のシンボル。天守の中には入れませんが、周りは公園として整備されているので散策は楽しめます。お土産や売店はないですよ^^

この天守閣は昭和39年(1964年)にオープンした遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」のシンボルとして建設されました。カッコいいお城のデザインのいいとこ取りで設計されたみたいです。

豊臣秀吉・徳川家康が築城した「伏見城」とは全く別のものです!

かつての伏見城は広大な城郭で、本丸は現在の桃山御陵(明治天皇陵)あたりにありました。この付近を散策しつつ過去の栄華を偲んでみてはいかがでしょうか?

基本情報
伏見桃山城
所在地 京都市伏見区桃山町大蔵45
TEL.075-602-0605(伏見桃山城運動公園)
開園時間 7:00~17:00
無料 ※模擬天守内部は非公開
京都市スポーツ協会

※ライトアップ
金・土・日 19:00~21:00(夜間は閉園。公園外から見てください。)

【1】伏見桃山城の見どころ

・伏見城跡と「桃山」の由来

桃山は、1623年(元和9年)に伏見城が廃城となった後、城跡一帯に桃の木がたくさん植えられた事に由来する比較的新しい地名です。

模擬天守の「伏見桃山城」という名は、かつての「伏見城」との混同を避ける意図があったと考えられます。

伏見城の廃城後の跡地は、伏見奉行所が管理し幕末まで立入禁止。さらに明治時代に大部分のエリアが明治天皇の陵墓(伏見桃山陵)とされたことから現在も無許可での立入りは禁止です。

ちなみに模擬天守がある御花畑山荘址は、徳川家康が伏見城を再建する際に放棄したエリアになります。

伏見桃山城 模擬大手門
▲模擬大手門

・模擬天守と公園

模擬天守(鉄筋コンクリート構造)は、かつてこの場所にあった遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」のシンボル。

城郭のデザインは、洛中洛外図に描かれた伏見城や、現存する城郭を参考に建設されました。

本物の「伏見城」は、江戸幕府による一国一城令のもと元和9年(1623年)に破城され、詳しい資料は残されていないのです。

キャッスルランド廃園後は、地元の要望で解体せずに京都市に寄贈されました。現在は、耐震強度の基準を満たしていない可能性があり天守内部には立ち入りできません。

お城の周りは寂びれた公園で、いわゆる観光地らしい施設はないのでご注意ください。ドリンクの自販機が模擬大手門の前にある程度です。

伏見桃山城 模擬天守
▲伏見桃山城 模擬天守

近鉄伏見桃山城

廃城となった古城山には、伏見の人びとによって桃の木が植えられ、元禄時代には桃の名所として名をあげた。したがって“桃山”という地名は案外新しいのである。

昭和38年3月、近畿日本鉄道株式会社が遊園地キャッスルランドをここに開設し、大天守閣と小天守閣との連結式の近鉄桃山城を、旧二の丸西北方の御花畠山荘址に建てた。

大天守の方は、姫路城を参考にし名古屋城と同じ大きさにつくられ、小天守の方は彦根城に模してつくられたという。

外形も位置も当時のものとはまったく異なるが、下町の方から桃陵の丘に建つこの天守閣の雄姿を見るとき、豊太閤の見果てぬ夢と往時がしのばれる。

出典:京都伏見歴史紀行(1983年発行)山本眞嗣・水野克比古著

・伏見桃山城のあゆみ

  1. 1964年(昭和39年)模擬天守は、遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」のシンボルとして建設。園内にはジェットコースター、ゴーカート、プールなどの遊戯施設もありました。
  2. 1978年(昭和53年)年間入場者が約100万人となりますが、その後はレジャーの多様化や少子化などで入場者数が減少。
  3. 2003年(平成15年)に閉園。模擬天守は地元の要望もあり京都市に寄贈され、周囲は伏見桃山城運動公園として整備されました。
伏見桃山城
▲伏見桃山城 模擬天守
伏見桃山城
▲近くで見ると痛みが目立ちます‥
伏見桃山城公園
▲公園内の橋
伏見桃山城 公園
▲広々とした公園
ミィコ
伏見桃山城は、日本のお城のイメージを素直に再現したような建造物。現在、天守閣に上がれないのは残念です。

【2】幻の首都、伏見

豊臣秀吉が天下統一した時代の伏見は、水運により大坂と京都とを結ぶ要衝の地。本拠である大坂と朝廷に影響力を行使する聚楽第(甥で関白の秀次が所在)の間にも城があれば、二元統制を行う秀吉にとって大変好都合でした。

1593年(文禄2年)秀吉は、現在の伏見桃山陵(明治天皇陵)を中心とする地域一帯に、本格的な城郭の建設を開始しました。

歴史に「たら・れば」は禁句ですが、秀吉がもう少し長生きしていたら、伏見は日本の首都として繁栄していたかもしれません^^

・豊臣秀吉「伏見城」の歴史

  1. 1592年(文禄元年)巨椋池を望む月見の名所に隠居屋敷「伏見指月屋敷」を造営。
  2. 1593年(文禄2年)明の使節を迎え日本の国威を見せつける目的と、同年誕生した豊臣秀頼に大阪城を与えると想定して、大規模な土木工事を開始し、隠居屋敷から本城「指月城(しげつじょう)」へと改修。
  3. 1594年(文禄3年)対岸に支城の「向島城(むかいじまじょう)」を築城、城下町の開発も急速に進められ、全国各地から有力大名や商工業者が移住。しかし‥
  4. 1596年(文禄5年)9月に「慶長伏見地震」が発生し城が倒壊。地震を契機に同年10月「慶長」に改元。
  5. 1596年(慶長元年)倒壊した城の資材を再利用して、木幡山(こはたやま)に「伏見城」を築城。城内には舟入御殿や茶亭、茶道の学問所も設けられました。
  6. 1598年(慶長3年)豊臣秀吉 城内で死去。
伏見城 推定地
▲豊臣秀吉が築城した、伏見城の推定位置

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▲出土した金箔瓦/京都市埋蔵文化財研究所蔵, パブリック・ドメイン, Link

・徳川家康「伏見城」の歴史

  1. 1599年(慶長4年)秀吉の遺言で徳川家康は大坂城へ入城。3月には留守居役として伏見城に入城するも同年9月に大坂城に移動。その間、関ケ原の戦いの前哨戦となる伏見城の戦いで炎上し落城。
  2. 1600年(慶長5年)家康は関ケ原の戦いに勝利し、木幡山伏見城を踏襲して再建。その際、弾正丸・蔵丸・得善丸・御花畑山荘と呼ばれている北西部の曲輪群とそれを取り巻く堀は放棄。
  3. 1603年(慶長8年)家康は伏見城で征夷大将軍の宣下を受ける。(以後三代徳川家光まで伏見城で将軍宣下式を行う)
  4. 1605年(慶長10年)本丸が完成し、2代将軍 徳川秀忠の将軍宣下が執り行われる。家康は駿府城に移り翌年には伏見城の作事は停止。
  5. 1619年(元和5年)伏見城の廃城が決定。
  6. 1623年(元和9年)三代将軍 徳川家光の将軍宣下の後、廃城。天守は二条城、多くの建物は福山城・淀城、その他も全国各地に移築。
ミィコ
秀吉が築城したお城は、金の瓦などが出土していることから、さぞかし豪華な外観だったんでしょうね。

【3】伏見桃山城 アクセス

・最寄り駅は「丹波橋駅」

京阪本線「丹波橋駅」
※北改札口 1番出口 (伏見桃山城・伏見北堀公園)方面へ。徒歩約18分。

近鉄京都線「近鉄丹波橋駅」
※東出口(伏見桃山城)方面へ。徒歩約18分。

※地図の [B] 地点が伏見桃山城の入り口です。

桓武天皇陵 参道入口
▲桓武天皇陵の参道を直進。
桓武天皇陵 参道
▲参道を道なりに進みます。
伏見桃山城 入口
▲車道に出たら左折。伏見桃山城の駐車場ゲートの奥に大手門があります。

・祇園四条駅から

京阪本線 淀屋橋行 特急に乗車。「丹波橋駅」まで約10分。
※北改札口 1番出口 (伏見桃山城・伏見北堀公園)方面へ。徒歩約18分。

・京都駅から

近鉄京都線 すべての列車が停車。「近鉄丹波橋駅」まで約8~11分。
※東出口(伏見桃山城)方面へ。徒歩約18分。

ミィコ
京都駅からは、JR奈良線や地下鉄を使って行く方法もありますが、乗り換えが面倒なので却下しました^^

【4】近くの名所旧跡

・桓武天皇 柏原陵

第50代 桓武天皇は、2度の遷都(長岡京→平安京)や東北への軍事遠征を主導するなど、歴代天皇の中でもまれに見る積極的な親政を実施した天皇です。 特に、延暦13年(794年)の平安遷都は日本史を語る上でも絶対外せないですよね。

伏見桃山城へ行く途中に参道を通らせていただくので立ち寄って参拝しましょう!

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・伏見桃山陵(明治天皇陵)

第122代 明治天皇の陵墓です。かつて伏見城の本丸があった場所に明治天皇陵が作られました。参拝を兼ねつつ、秀吉の伏見城の大きさを偲ぶのもいいのでは。

伏見桃山城からは、来た道を戻り左手の森の中につづく桓武天皇陵の参道を行けば明治天皇陵の参道と合流します。

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・御香宮神社

御香宮神社の表門は伏見城から移されたものです。境内には、伏見城の石垣の遺構もあります。

最寄り駅は京阪本線「伏見桃山駅」、近鉄京都線「桃山御陵前駅」になるので、伏見桃山城から徒歩で移動すると25分くらいかかります。

境内にある「伏見城跡出土遺物展示室」では、出土した瓦約100点が展示されています。開館時間:10:00~16:00/入場無料 ※臨時休館あり。

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ミィコ
伏見桃山城は、廃墟まではいかないけれど結構寂れてます^^

※この記事の史実に関する記載は、京都伏見歴史紀行、Wikipedia等を参考に作成しました。

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猫好き管理人ミィコです。京都散策に役立つブログを目指して、スローペース更新中。基本的に市バス・電車で移動です。主に週末ふらふらしています。facebookでブログ更新お知らせ中!