落柿舎 | 嵯峨野にある向井去来の草庵。芭蕉も訪れ嵯峨日記を執筆

落柿舎 門

落柿舎(らくししゃ)は、松尾芭蕉の弟子・向井去来(むかいきょらい)が別荘として使っていた、嵯峨野にある渋くて可愛い草庵です。

ちょっと変わったこの名前は、庵の周囲にあった40本の柿が一晩ですべて落ちたエピソードから去来がつけた愛称です。松尾芭蕉も3度訪れ、滞在中に「嵯峨日記」を著した場所としても知られています。

日本昔話に出てくるような懐かしい風情を感じながら、縁側に腰かけて一句ひねってみてはいかが?

受付でパンフと一緒に俳句投稿用紙もいただけるので記念に投稿しましょう。

基本情報
落柿舎
所在地 京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町20
TEL.075-881-1953

■開園時間
 3月~12月/9:00~17:00
 1月、2月/10:00~16:00
■休日 12月31日、1月1日
■入場料 1名 250円

落柿舎 公式サイト

【1】落柿舎とは

落柿舎 遠景
▲落柿舎

・嵯峨野にある向井去来の別荘

落柿舎は、俳人 向井去来の別荘で、貞享2~3年(1685~1686年)頃、豪商の別邸(1,000坪)を去来が買い取り、後日、小さく改築したものです。

松尾芭蕉は3度にわたってこの庵を訪れ、特に1691年(元禄4年)には4月18日から5月4日までと長く滞在し「嵯峨日記」を著したことでも知られます。

現在の庵は、明和7年(1770年)に去来の親族で俳人・井上重厚が弘源寺跡に再興したもので、当初の庵の正確な場所は不明だそうです。

現在は、公益財団法人落柿舎保存会によって運営されています。

・落柿舎の由来

去来の『落柿舎記』に名前の由来になったエピソードが記されています。

当時の庭には柿の木が40本あり、その柿の実が一夜のうちに落ち尽くしたのが「落柿舎」の名の由来です。

元禄2年(1689年)頃、去来が在庵中に、都から柿を扱う老商人が訪ねてきて、庭の柿を一貫文で売る約束をして代金を受け取りました。しかしその夜、嵐が吹き、一晩にして柿がすべて落ちてしまったのです。

翌朝来た老商人はその有様にびっくり、去来は不憫に思って代金を全額返しました。この老商人が帰る時に、去来は友人あての手紙を託し、その中で自ら「落柿舎の去来」と称したといいます。

・去来と落柿舎、芭蕉の歩み

  • 寛永21年(1644年) 芭蕉:伊賀上野に生れる。
  • 慶安4年(1651年)去来:長崎の儒医、向井元升の次男として生れる。
  • 萬治元年(1658年) 去来:向井家、京都に移り住む。
  • 貞享元年(1684年)去来:上洛中の江戸の俳人其角(きかく)と親交。
  • 貞享2年(1685年)去来:この頃、嵯峨に草庵を構える。
  • 貞享3年(1686年)去来:「伊勢紀行」の草稿の批評を芭蕉に乞う。
  • 元禄2年(1689年)芭蕉:「おくのほそ道」の旅に出る。落柿舎に初訪問。去来:秋頃からこの庵を「落柿舎」と称する。
  • 元禄4年(1691年)芭蕉:4月18日~5月4日まで落柿舎に滞在し「嵯峨日記」を執筆。去来も聖護院村からしばしば落柿舎に来庵。蕉風俳諧の白眉、俳諧の古今集と言われた去来凡兆編「猿蓑」刊行。
  • 元禄7年(1694年)芭蕉:閏5月22日に落柿舎を訪れる。「落柿舎制札」はこの頃に書かれた。9月に郷里を出立、大阪へ向う。9月10日容態悪化。10月12日病死。享年51歳。
  • 元禄12年(1699年)去来:3月「旅寝論」を書き終える。
  • 禄15年(1702年)去来:芭蕉俳諧の真髄を伝える「去来抄」の草稿に着手。
  • 宝永元年(1704年)去来:9月10日、聖護院近くの寓居にて病没。享年54歳。

向井去来 [1651-1704年]

江戸前期の俳人。儒医向井元升 の次男として長崎に生まれ,少年時代に父に伴って京都に移住した。一時福岡の叔父のもとに身を寄せて武芸を学んだ。その功あって25歳のときに福岡藩に招請されるが,なぜか固辞し以後武芸を捨てて京都で浪人生活を送った。

貞享初年から文通により松尾芭蕉の教えを受け,同3(1686)年に江戸に下り,初めて芭蕉と会う機会に恵まれた。元禄2(1689)年の冬,近畿滞在中の芭蕉を自分の別荘である嵯峨の落柿舎に招き,同4年の夏には芭蕉の宿舎として落柿舎を提供している。

この間「俳諧の古今集」と称される『猿蓑』の編集に,野沢凡兆と共に従事し,芭蕉から俳諧の真髄を学ぶ機会に恵まれた。その著『去来抄』は,蕉風俳論の最も重要な文献とされているが,本書にはこのときの体験に基づく記事が多い。篤実な性格は芭蕉の絶大な信頼を得て,芭蕉は戯れに彼を「西三十三ケ国の俳諧奉行」と呼んだという。

しかしこの去来にも,若いころは女性に溺れるような多感な一面があったらしく,丈草書簡に「此人(去来)も昔は具足を売て傾城にかかり候」と記されている。彼は一生正式な結婚をせず,可南という内縁の女性と暮らしたが,この女性はもとは京都五条坂の遊女であったという。<参考文献>大内初夫,若木太一『俳諧の奉行向井去来』

出典:朝日日本歴史人物事典
ミィコ
向井去来のお父さんは、本草学者・儒医として名声を得た医学者。お兄さんも儒医。裕福な家だったようですね。1,000坪の別荘はそうそう買えないですよね^^

【2】落柿舎見どころ

・壁にかけられた、蓑と笠

落柿舎の入口横の壁には蓑(みの)と笠(かさ)がかけてあります。

これは、庵主の在庵と不在を示す印で、蓑と笠がかけてあったら在庵、なければ外出中という意味です。落柿舎の象徴として常にかけてあります。

落柿舎 笠と蓑

・茅葺き屋根の本庵

本庵は、茅葺き屋根の小さくて可愛いお家。
質素だけど風雅な雰囲気の空間で、松尾芭蕉もここでの滞在を楽しみつつ「嵯峨日記」を執筆したんだろうなぁと想像がふくらみます^^

落柿舎 外観
▲落柿舎 本庵

庵の中へは入れませんが、縁側に腰かけてちょっと休憩しつつ、投稿する俳句を用紙に書いたりすることができます^^

落柿舎 生け花
▲さりげなくお花がお出迎え
落柿舎 台所
▲台所
落柿舎 書斎
▲書斎

・洛中最古の句碑

庭には洛中で一番古いと言われる句碑があります。

「柿主や梢はちかきあらし山」去来

他にも、庭には所狭しと全部で13の句碑が立っています。庭の奥には次庵、ししおどし・藤棚の休憩所もあります。

ミィコ
質素だけど、そこが渋くて可愛い草庵です。こんな別荘欲しいなぁ

【3】俳句投稿

入場する時に、落柿舎の入場チケット・落柿舎投句短冊・季刊誌「落柿舎」をもらえます。

思いついた俳句は、短冊に記入し、本庵にある投句用の箱にいれてエントリー完了。秀句に選ばれたら、季刊誌に掲載され自宅にも郵送してもらえるそうです。

落柿舎 チケット
▲ 落柿舎投句短冊・季刊誌「落柿舎」・入場チケット
ミィコ
いきなり一句は、なかなかひねり出せないです~!

【4】落柿舎 アクセス

・最寄り駅

[A] 最寄り駅
[B] 落柿舎

電車最寄り駅

地図の上から、
・JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」徒歩約15分
・京福電鉄 嵐山線「嵐山駅」徒歩約12分
・阪急電車 嵐山線「嵐山駅」徒歩約23分

観光ポイント
嵯峨嵐山を効率よく巡るには、地図とにらめっこして計画するのがお薦めです。落柿舎からさらに北方面へ足を延ばす場合は電車の駅はありません。帰りは嵯峨嵐山へ戻ってくるか、バス停をチェックしておきましょう。

京都市交通局観光マップ「地下鉄・バスなび」

最寄りバス停

京都市バス
 11、28、93番で「嵯峨小学校前」徒歩約7分
京都バス
  61、72、83番で「嵯峨小学校前」徒歩約7分

・京都駅から

★京都駅前バスターミナルのりば案内
[C6乗り場] 市バス28 大覚寺行「嵯峨小学校前」まで約48分。
※下車、徒歩約7分。

JR嵯峨野線 [31/32/33番のりば] 「嵯峨嵐山駅」まで約17分。
※下車、徒歩約15分。

・三条京阪から

[C2乗り場] 市バス11 嵐山・嵯峨・山越行き「嵯峨小学校前」まで約53分。
※下車、徒歩約7分。

ミィコ
嵯峨嵐山は名所旧跡が多いので、一緒に訪れるのがおすすめ。すぐ近くに、二尊院、常寂光寺があります。

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※この記事の史実に関する記載は、落柿舎公式サイト、落柿舎パンフレット、駒札、Wikipedia等を参考に作成しました。