建仁寺 | アクセスと見どころ。双龍図、風神雷神図、庭園etc

建仁寺

建仁寺は京都最古の禅寺。世界の観光客で賑わう祇園の花見小路の隣にあるとは思えない静寂な空間です。

京都一番の繁華街、祇園四条もすぐ近くなので、ショッピングや食べ歩きに疲れたら建仁寺に参拝して、しばし自らの心を見つめ直すのもいいですね。

風神雷神図や雲龍図など多数の貴重な絵画や美しい禅庭を鑑賞することができる、美術館のようなお寺です。

由緒や見どころ、アクセス方法をご紹介します。

基本情報

建仁寺
所在地 京都市東山区大和大路通四条下る小松町
TEL.075-561-6363
建仁寺公式サイト

境内(無料)
本坊(有料)
拝観料金 一般500円 中高生300円 小学生200円
拝観期間
・3月1日~10月31日 10:00~16:30(17:00閉門)
・11月1日~2月28日 10:00~16:00(16:30閉門)

【1】京都最古の禅寺・建仁寺

建仁寺は、栄西禅師が京都における臨済宗の拠点として、鎌倉幕府2代将軍・源頼家の援助をうけ、建仁2年(1202年)に建立した京都最古の禅宗寺院です。

後に応仁の乱(1467年~1477年)による焼失のほか、応永4年(1397年)、文明13年(1481年)など度重なる火災で荒廃しますが、その都度、幕府の援助で復興しました。
※創建当時の建物は残っていません。

栄西の読み方は、寺伝では「ようさい」、一般には「えいさい」。

・日本臨済宗の開祖 栄西

中国の禅宗の一つである臨済宗を、日本に正式に伝えたのは栄西禅師が最初とされています。

栄西は永治元年(1141年)に備中国(岡山県)に生まれ、13歳で比叡山に上り翌年出家、天台・密教を修学します。

しかし当時の比叡山は堕落していました。そんな日本の仏教を立て直すべく、栄西は禅宗が盛んな南宋に留学し正式に学ぶことを決意。仁安3年(1168年)と文治3年(1187年)の2回渡航します。

2度目の渡宋の際には天台山に登り、万年寺の住持虚庵懐敞(きあんえじょう)のもとで臨済宗黄龍派(おうりょうは)の禅を5年にわたり修行。建久2年(1191年)、印可(師匠の法を受け継いだという証明)と「明菴(みょうあん)」の号を授かり帰国しました。

建仁寺 開山堂
▲開山堂(非公開)

・日本の茶租 栄西

栄西禅師は広く一般社会に茶を飲む習慣を広めた「日本の茶祖」としても知られています。

留学した南宋では禅宗僧侶の規則として、茶礼・点茶・煎茶などの儀式が確立しており、改めて「茶」の薬効に注目した栄西は、在宋中に「茶」の効用と作法を研究しました。

そして、日本に茶種を持ち帰るとともに「喫茶養生記」を執筆するなど、効用や栽培方法の普及に勤め、武士や庶民にも茶を飲む習慣を広めたのです。

日本に茶種が初めて伝来したのは奈良時代と考えられ、平安時代には貴族・僧侶など、一部の上流社会でのみ喫茶が愛されていたそうです。

喫茶養生記
「茶は養生の仙薬・延齢の妙術である」という言葉ではじまり、喫茶の法、茶樹の栽培、薬効等茶に関する総合的著述になっています。上下二巻。

栄西禅師 茶祖の碑
▲茶碑

・栄西の布教戦略と鎌倉幕府

当時の京都は比叡山延暦寺(天台宗)の勢力が強大だったため、栄西は、はじめに九州・博多を中心に臨済宗を布教して、後に京都へ進出するつもりでした。しかし‥

  1. 建久5年(1194年)比叡山より禅宗停止を命ぜられます。
  2. 建久6年(1195年)博多に日本最初の禅道場・聖福寺を建立。真言宗の印信を受けるなど既存勢力との調和・牽制を図りました。
  3. 建久9年(1198年)禅が仏法復興に重要であることを説く『興禅護国論*』を執筆。京都での布教に限界を感じ、禅の振興活動をしながら、幕府の庇護を期待して鎌倉へ向かいます。
  4. 正治2年(1200年)鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の一周忌の導師を務め、その妻・北条政子建立の寿福寺の開山となります。
  5. 建仁2年(1202年)鎌倉幕府2代将軍・源頼家の援助により、京都における臨済宗の拠点として、元号を寺号とした「建仁寺」を建立。伽藍は百丈山**を模して造営されました。

満を持して京都に建立された「建仁寺」ですが、創建時は当時の情勢に対応して、三宗兼学(天台・真言・禅)の道場としてスタート。幕府や朝廷の庇護のもと禅宗の振興に努めました。

*興禅護国論
鎌倉時代の仏教書。3巻。日本臨済禅(りんざいぜん)の開祖栄西(えいさい)が、二度にわたる入宋(にっそう)で中国臨済宗の法を受け、日本に臨済宗を広めようとして1198年(建久9)に著した書物。当時はまだ叡山(えいざん)の天台宗を中心とする旧仏教の影響力が強く、新来の禅宗は排斥攻撃を受けたので、それに対し禅をおこすことが護国繁栄につながると力説したもので、日本における禅宗独立宣言の書とみられる。原文は漢文で、10門よりなり、引用などはすべて典拠を掲げて厳密を期している。巻首には作者不明の栄西の伝記、巻後には栄西自身の未来記を付す。[藤井教公]
『市川白弦他校注『日本思想大系16 中世禅家の思想』(1972・岩波書店)』

出典:日本大百科全書

**百丈山(ひゃくじょうざん)
中国の江西省奉新県にある山で、大雄山ともいう。興元1年(784年)に百丈懐海が入山し郷導庵(百丈寺)を創建、最初の独立の禅宗寺院となった。

・建仁寺の歩み

  1. 建仁2年(1202年)栄西が京都における臨済宗の拠点「建仁寺」を建立。栄西は建保3年(1215年)建仁寺で入滅。享年75歳
  2. 寛元・康元年間(1243年~1256年)の火災等で荒廃。
  3. 正嘉元年(1258年)東福寺開山、円爾弁円(えんにべんえん)が入寺し復興。
  4. 正元元年(1259年)宋の禅僧、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺。純粋に禅の道場となり、室町幕府により京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け繁栄。
  5. 戦乱と幕府の衰退により再び荒廃
  6. 天正年間(1573-1592年)安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が徳川幕府の保護のもと再建修築。制度や学問も整備。
  7. 明治時代、臨済宗建仁寺派として独立し建仁寺は大本山となる。また廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、境内が半分近くに縮小され現在に至る。
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比叡山延暦寺の妨害に屈せず、戦略的に禅を布教し建仁寺を建立した栄西、カッコいいです!でもって、昔から禅とお茶は切り離せない関係だったんですね。

【2】建仁寺 見どころ

重要文化財の建築物をはじめ、有名な「風神雷神図」の複製や「雲龍図」などの貴重な絵画、美しい禅庭などを鑑賞することができます。写真撮影OKです!

・風神雷神図屏風(国宝)

風神雷神図屏風には落款も印章もありませんが、琳派の始祖と言われる絵師・俵屋宗達の最高傑作と名高い作品です。

屏風全体に押された金箔は無限の奥行を感じさせる濃密な空間 、風神・雷神の存在が際立つダイナミックな構図が超有名で、国宝に指定されています。

実物は京都国立博物館に寄託されていますが、大書院には高精細デジタル複製、ビデオルームの隣の部屋には陶板複製が置かれています。

建仁寺 風神雷神図
▲風神雷神図 陶板複製
金澤翔子 風神雷神
▲金澤翔子さんの書「風神雷神」

・方丈襖絵「雲龍図」

海北友松によって桃山時代に描かれた方丈襖絵「雲龍図」「花鳥図」「竹林七賢図」「琴棋書画図」「山水図」は重要文化財。高精細デジタル複製画が常設一般公開されています。

方丈 雲龍図
▲雲龍図

・法堂天井画「双龍図」

法堂の天井画は、平成14年(2002年)創建800年を記念して描かれた、小泉淳作画伯の「双龍図」です。強面なのに、ファンキーな表情の双龍、親近感がありますね^^

龍の天井画
龍は、仏法を守護する存在として禅宗寺院の法堂の天井にしばしば描かれてきました。また、「水を司る神」ともいわれ、僧に仏法の雨を降らせると共に、建物を火災から守るという意味がこめられています。建仁寺では、創建以来初めての天井画になります。

建仁寺 天井画
▲双龍図
建仁寺 法堂
▲法堂

・庭園「大雄苑」

明治~昭和初期の名作庭家、加藤熊吉作の枯山水式庭園「大雄苑(だいおうえん)」

方丈の前庭になります。栄西禅師が、百丈山(大雄山)を模して建仁寺を造営された意志を表現されているのでしょうか。凛として清々しい枯山水で、広々した大海原をイメージさせてくれます。景石(けいしき)は、縁起の良い数字、7、5、3のグループで据えられているそうです。また、南東の隅にある7重の塔は、織田有楽斎が兄の織田信長を弔うために建立したものです。

建仁寺 大雄苑
▲大雄苑

・庭園「潮音庭」

現代の造園家、作庭家である、北山安夫氏監修の「潮音庭(ちょうおんてい)」。
どの方向からも眺めてもバランスがいいように、庭の中央に三つの石(三尊石)が据えられ、円を描くように周りの景石がレイアウトされています。

建仁寺 潮音庭
▲潮音庭

・庭園「○△□乃庭」

こちらも、北山安夫氏監修の庭です。
○△□(まるさんかくしかく)という図形は、宇宙の根源的な形を表しているものとして、禅宗の四大思想(地・水・火・風)と重ねて表現されています。
地=□/井戸、水=○/苔と椿、火=△/白砂だそうです。風は庭を吹き抜けていくので、形あるものはないんですって。

建仁寺 ○△□乃庭
▲○△□乃庭

・建築物

  • 方丈(重要文化財):慶長4年(1599年)安芸国の安国寺から、安国寺恵瓊がに建仁寺に移築。建立は長享元年(1487年)。
  • 勅使門(重要文化財):寺の南側正面の四脚門。鎌倉時代末頃の建築とされ、柱や扉に矢が刺さった痕跡がありことから「矢の根門」「矢立門」とも呼ばれる。
  • 三門:江戸時代末期のもので、大正12年に静岡県の安寧寺から移建。望闕楼(ぼうげつろう)とは御所を望む楼閣という意味です。

その他、法堂、浴室など、京都府指定有形文化財指定の建築物も多数あります。

建仁寺 三門
▲ 三門「望闕楼」
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見どころいっぱい。有名な「風神雷神図」は、複製でも素晴らしいです!本坊内には、お土産やオリジナル御朱印帳、グッズが多種用意されています。

【3】建仁寺 アクセス

禅寺は、勅使門から入って三門を通り(現在は通れないので横から見て^^)、参拝&見学するのが正式なルート。とはいえ、他の観光との兼ね合いで北門からでも問題はないです^^

・北門へのルート/祇園四条駅から
・勅使門へのルート/清水五条駅から
・勅使門へのルート/バス停 清水道から

・電車 最寄り駅

  • 阪急京都線「京都河原町駅」1B出口から 北門まで 徒歩約10分
  • 京阪本線「祇園四条駅」6番出口から 北門まで 徒歩約7分
  • 京阪本線「清水五条駅」5番出口から 勅使門まで 徒歩約8分
    ※清水五条駅は、特急は停車しません。

・京都駅から

  • 市バス
    ★京都駅前バスターミナルのりば案内
    [D1乗り場] 洛バス100 清水寺祇園・銀閣寺行「清水道」まで約14分
    [D2乗り場] 市バス206 北大路バスターミナル行「清水道」まで約17分
    ※バス停「清水道」から 勅使門まで 徒歩約5分
  • TAXI 所要時間 約9分
    総距離 約2.7km タクシー料金検索
    ※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。
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交通アクセスは良好!

【4】近くの見どころ

  • 京都の街並みを楽しみたい方は「花見小路、石塀小路、祇園白川」あたり。
  • 桜の季節ははずせない「円山公園」
  • 名所旧跡「八坂神社、知恩院、高台寺、清水寺」etc。
  • 華やかで楽しい観光地好きの方は「二寧坂、産寧坂」あたり。
  • 散歩好きなら「三十三間堂、智積院」もギリギリ徒歩圏内。

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この一帯は適当に歩いても楽しめます。偶然の出会いを優先にふらふらするのも有りだと思います^^

※この記事の史実に関する記載は、建仁寺公式サイト・パンフレット、「京都の寺社505を歩く」「しかけに感動する京都名庭園」を参考に作成しました。