泉涌寺(せんにゅうじ)は皇室と深い関わりがあることから、御寺(みてら)と尊称される唯一の寺院です。
「降り参道」と呼ばれる下り坂の先に仏殿や舎利殿などがある、ちょっと印象的な伽藍配置の数少ない例としても知られています。
皇室とのゆかりを堪能するには、通常拝観に加えて、貴重な調度品や庭園を見ることのできる特別拝観がおすすめ。
また、観音堂に安置されている聖観音像のモデルは楊貴妃といわれ、美人祈願のご利益があると言われています。
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【1】泉涌寺とは?
真言宗泉涌寺派の総本山。
京都東山三十六峰のひとつ、月輪山(がちりんさん)の麓にたたずむ寺院です。
開山は俊芿(しゅんじょう)律師(りっし)。

・開山 俊芿律師のプロフィール
俊芿律師は、平安末期から鎌倉初期の僧。
1166年、肥後国(熊本県)に生まれ、4歳で寺に預けられ、若くして天台・真言などの仏教を学び終えたと言います。19歳で大宰府の観世音寺で具足戒(ぐそくかい)を受け、27歳ごろから戒律に専念、大小の戒律を学び、肥後に正法寺を創建しました。
そして34歳の時、弟子二人を伴って中国の宋に渡り、足掛け13年間、さまざまな師を訪ね仏教を学び、顕密両乗の奥義を究めて1211年に帰国。
しばらく正法寺に滞在した後、栄西禅師に迎えられ建仁寺で約1年過ごしますが、志を新たに四宗兼学の活動を開始。そのうち俊芿律師の噂は都で評判になり、多くの僧や朝廷・民間からの尊信を集めるようになりました。
1218年、満を持して、寄進を受けた仙遊寺(のちの泉涌寺)を、律を基本に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の道場とするための伽藍造営を計画し泉涌寺勧縁疏を作成。
後鳥羽上皇の帰依と絶大な援助を得ることに成功し造営計画は軌道にのり、承久の乱(1221年)で上皇が失脚したあとも、権力者である徳大寺公継、九条道家の篤い加護を得るとともに、鎌倉にも赴いて北条政子や北条泰時の崇拝も受け、1226年に大伽藍が完成しました。
1227年、泉涌寺で入滅。62歳。
1883年、月輪大師(がちりんたいし)。明治天皇による諡号宣下。
俊芿律師[1166年~1227年]
出典:泉涌寺パンフレットより抄録
別名を不可棄(ふかき)法師、あるいは我禅房(がぜんぼう)とも称します。
叡山西塔の忠尋座主の台教、谷阿闍梨皇慶の台密、それぞれの血脈を引いた法孫ながら、求法のため建久10年(1199)に入宋します。12年間におよぶ南宋留学では、南山道宣(596-667)が提唱し霊芝元照(1048-1116)が大成した南山律宗(四分律)を四明景福寺の如庵了宏について学び、また超果寺の北峯宗印(1148-1213)に天台教学、径山寺の蒙庵元聡(1136-1209)から臨済禅を修学するなど、俊芿律師は三学僧として承元5年(1211)に帰朝します。
・泉涌寺、名前の由来
- 寺院のルーツは、平安時代初期の天長年間(824年〜834年)に弘法大師 空海が結んだ草庵とも、左大臣 藤原緒継(をつぐ)が神修上人のために建立した法輪寺とも伝わります。
- 詳細は不明ですが、その寺は後に「仙遊寺(せんゆうじ)」と改称され、なんらかの経緯で豊前守・宇都宮信房の所有になったようです。
- 1218年、宇都宮信房が俊芿律師に帰依し仙遊寺の寺地を寄進し、俊芿が当時最先端を誇る宋代寺院伽藍の造営を志した時、境内から新しい清水が湧き出たといいます。その事にちなんで「泉涌寺」と改名されました。
聖泉は現在もこんこんと湧きつづけていて、屋形で覆って大切にされています。

「せんゆうじ」から「せんにゅうじ」。発音も似ていますね^^
【2】御寺、皇室との縁
皇室の御香華院(菩提所)ということから『御寺』と尊称されています。
泉涌寺霊明殿の背後にある「月輪陵(つきのわのみささぎ)」には、四条天皇を始めとして14人の天皇を含む25陵、5人の天皇の灰塚、9人の皇族の墓が営まれています。
・泉涌寺勧縁疏(かんえんそ)
泉涌寺勧縁疏は、1219年、俊芿律師が京都に本格的な四宗兼学の寺院(のちの泉涌寺)を造営するため、資金・物資の寄付を朝廷や貴族に呼びかけるために書いた文書です。
後鳥羽上皇にも献上され、趣旨に賛同された天皇家から多額の資金を賜わる大きなきっかけとなりました。
この疏は、皇室の菩提所としての礎を築いた貴重な記録としての歴史的な価値、そして、宋風の力強く洗練された書跡としての美術的な価値から国宝に指定されています。
勧縁疏
寺院の建立や修復、仏像の造立などのために、僧侶や関係者が貴族や有力者、一般の人々に対して喜捨(寄付)を募るために作成した趣意書・願文のことです。
・皇室の御香華院、御寺(みてら)
1219年、俊芿が作成した勧縁疏に賛同した後鳥羽上皇から支援を賜る。
1224年、伽藍完成に先立ち第86代後堀河天皇の勅旨により勅願寺となる。
1226年、泉涌寺の大伽藍完成。
1227年、俊芿入滅。
─ その後も皇室の帰依は篤く、
1242年、四条天皇の葬儀が泉涌寺で営まれ、山陵が造営。その後も、南北朝~安土桃山時代の諸天皇、江戸時代の後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の葬儀も執り行われました。
山陵は月輪山・月輪大師にちなみ「月輪陵 (つきのわのみさぎ)」と名づけられました。
月輪(がちりん/げつりん)
・満月のこと。太陽の「日輪(にちりん)」の対義語。
・悟りの心や菩提心を満月にたとえたもの。
・京都の地名「月輪(つきのわ)」は泉涌寺の所在地。

俊芿律師は、宋滞在中も北峯宗印の高弟として評価された方。プレゼン能力もさぞかし優れていたことでしょう!
【3】見どころ
- 通常拝観 [伽藍拝観]
大門で拝観券を購入します。 - 特別拝観 [御座所、海会堂]
本坊で拝観券を購入します。
御朱印もこちらで拝受できます。
※創建当初の伽藍は応仁の乱でほとんど消失。現在の伽藍は江戸期に整備されたものです。
※伽藍内部は写真不可です。

・大門(東山門)
泉涌寺道から大きな木々に囲まれた緑深い参道を登った所に建つ大門は、東山門とも呼ばれます。慶長度内裏の南門を寛永年間に移築した、簡素ながら堂々とした四脚門です。
墓股(かえるまた)に施された霊獣彫刻(唐獅子・龍・膜麟(きりん)・莫(ばく))に桃山建築の遺風を感じさせます。


・降り参道(下り参道)
大門をくぐると下り坂の先に仏殿があるという珍しい伽藍配置です。盆地の底に本堂を建てるのが修行に適していると考えられていたそうです。深く思考に沈めそうな感じがしますね^^

・泉湧水屋形|寺名由来の清泉
泉涌寺の名前の由来となった清泉は、今も絶えることなく湧き続け、屋形で覆って大切に守られています。場所は仏殿の右(南)側。堂の内部はあまり見えませんでした。
泉湧水屋形(せんにゅうすいやがた)
泉涌寺の名の由来となった清泉を覆う屋形で、寛文八年(1668年)に再建された。屋根は入母屋造、こけら葺きで、正面は桟唐戸(さんからと)で上部に欄間があり、屋根には軒唐破風(のきからはふ)を付けた優雅な意匠の建物である。内部は別所如閑(べっしょにょかん)筆の蟠龍図(ばんりゅうず)のある鏡天井となっている。京都府指定文化財。出典:泉涌寺 駒札より抄録

・仏殿(本堂)|本尊は三尊
1668年、四代将軍 徳川家綱による再建。
大門から「降り参道」をくだった正面にあるのが本堂仏殿です。重層建築のように見えますが、裳階(もこし)の付いた一重入母屋造りの本瓦葺き建物で、本格的な唐様建築(禅宗様式)の特徴を完備した代表作として国の重要文化財となっています。
建物内部の高い須弥壇には運慶作と伝わる本尊、阿弥陀・釈迦・弥勒の三尊が安置されています。本尊が、過去・現在・未来をあらわす三尊「三世仏」というのは、俊芿律師が留学した宋代寺院で流行していた形式で日本では珍しいそうです。
・天井:狩野探幽筆「雲龍図」
・本尊背後:狩野探幽筆「飛天図」
・裏壁:狩野探幽筆「白衣観音」


・舎利殿|貴重な仏牙舎利を安置
雅な雰囲気を感じさせるこの建物は、慶長年間(1596~1615年)に京都御所の御殿を移築改装したもので、仏殿と同時代に現位置へ移されました。
舎利殿には、舎利の中でも特に尊いと言われる仏牙舎利(ぶつげしゃり)が、舎利宝塔に納められ、韋駄天像・月蓋長者像とともに大切にお祀りされています。
通常内部は非公開ですが、天井には狩野山雪筆「鳴龍」、御内庫左右の板壁面には第六代・木村了琢筆「十六羅漢像」があるそうです。
毎年、請来の日とされる10月8日(旧暦9月8日)には舎利会法要が営まれ、参拝者で賑わいます。
俊芿律師が熱願されていた舎利は、弟子で首座となった湛海(たんかい)が1255年に宋朝より韋駄天像・月蓋長者像・楊貴妃観音像とともに請来しました。
湛海が請来した仏牙舎利は、韋駄天が中国の白蓮寺の住持、道宣律師にもたらしたという伝説を持ち、人々のあつい崇拝を受けていた至宝です。
初めて下賜を願い出た時は、もちろん許されませんでした。それでも諦めず数年後に、当時、中国にはもうなかった檜材を船に積んで再び宋にわたり、荒廃していた白蓮寺を修復。その見返りに仏牙舎利を持ち帰ることを許されたと言います。


・楊貴妃観音像
観音菩薩像は、湛海律師が南宋から請来した木像で、六羅漢像の中央に安置されています。彩色が多く残る像容の美しさから、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の面影を写させて造像したとの伝承を生み、江戸時代初め頃から「楊貴妃観音像」と呼ばれ、美人祈願の観音様としても信仰されています。
その美しさは、公式サイトの写真を参照してください^^

・心照殿
楊貴妃観音堂の右手にある宝物館。泉涌寺に伝わる開山大師の墨跡、歴代天皇の御尊影・御遺品ほか、仏画・経典・古文書など、国の重要文化財や府・市指定の文化財および未公開資料も多く収蔵しています。
年四回の企画展によって、 ふだんは一般の目にふれることの少ない資料を展示しています。
※休館日:毎月第4月曜日
「心照殿J 名前の由来
中御門天皇から俊芿律師に下賜された国師号「大円覚心照国師」から命名されました。

・特別拝観|御座所、御座所庭園、海会堂
御座所は両陛下はじめ、皇族方の御陵参詣の際の休憩所として現在も使われています。
すべての部屋の襖には様々な主題の絵が描かれ、雅で格式高い宮廷文化を身近に感じることができます。そして、小さいながらも自然と巧の技を織りまぜた庭園は、低い築山の裾に曲折する池、さつき、紅葉、雪見灯篭、梅もどき等々、四季折々に楽しませてくれます。
海会堂(かいえどう)は歴代天皇の念持仏をお祀りする場所です。念持仏とは、ひそかに自分の願いをかける仏様のことで、歴代天皇・皇后・皇族方の念持仏30数体が祀られています。
ちなみに、後水尾天皇の念持仏は釈迦如来、仁孝・孝明天皇は大日如来、明治天皇は文殊菩薩など、歴代天皇が仏教も信仰し、それぞれ独自の念持仏を持たれていたことを示しています。大正天皇以来、念持仏はなくなったそうです。


・非公開|霊明殿
霊明殿は歴代天皇の尊牌(位牌)をお祀りしている霊廟です。
明治15年に焼失し明治17年に明治天皇が再建された宸殿風の品格ある建築物で、荘厳具・仏具は皇族方からの寄進、毎日、御廻向(おえこう)のお香が絶えることがないそうです。
非公開ですが、勅使門は見ることができます。唐草と菊の御紋をあしらった透かし彫りで飾られた門は、格調高く荘厳な雰囲気を感じさせます。





御座所庭園で休憩すると、しばし癒されます^^
【4】御朱印
御朱印は本坊の入り口で拝受できます。
特別拝観のチケットもここで購入できますので、拝観前に御朱印帖をお預けして帰りに受け取ることも可能です。


通常の御朱印は三種類。基本の御朱印である霊明殿を拝受しました。
【5】泉涌寺 アクセス
参道はゆるい上り坂です。歩くのがつらい方は車がいいかも。
泉涌寺の大門の前が駐車場です。
・最寄駅から
- バス停「泉涌寺道」から徒歩約15分。
- JR奈良線、京阪本線「東福寺駅」から徒歩約20分。
[地図]
A地点:京阪本線「東福寺駅」
B地点:市バス「泉涌寺道」
C地点:泉涌寺
・京都駅から
- JR奈良線「東福寺駅」まで約2分。下車、徒歩約20分。
※みやこ路快速・区間快速も停車します。 - 市バス 京都駅前バスターミナルのりば案内
[D2のりば] 208 「泉涌寺道」まで約23分。下車、徒歩約15分。 - TAXI 京都駅八条口から所要時間 約10分。
総距離 約2.4km タクシー料金検索
※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。
・祇園四条から
- 京阪本線 淀屋橋行きに乗車「東福寺駅」まで約6分。下車、徒歩約20分。
※特急は停車しません。

この近辺には歴史あるお寺がたくさん。ゆっくり参拝するのがおすすめ^^
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東福寺駅近くにある名所旧跡です。
東福寺 | 紅葉や苔が美しい禅寺。見どころ10選
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※この記事の史実に関する記載は、御寺泉涌寺パンフレット・駒札、梅原猛「京都発見」等を参考に作成しました。





















泉涌寺(真言宗泉涌寺派総本山 御寺 泉涌寺)
所在地 〒605-0977 京都市東山区泉涌寺山内町27
TEL.075-561-1551
【拝観時間】
・3月~11月/9:00~16:30(閉門17:00)
・12月~2月/9:00~16:00(閉門16:30)
※毎月第4月曜日、心照殿(宝物館)は休館です。
【参拝料】
・伽藍拝観/大人(高校生以上)500円、子ども300円
・特別拝観/大人(中学生以上)500円
※特別拝観は、小学生以下の子どもは同伴者が必要です。
泉涌寺 公式サイト