大徳寺 興臨院 | 前田利家ゆかりの塔頭寺院。枯山水や茶室が見どころ

興臨院タイトル

大徳寺 興臨院(こうりんいん)は通常非公開の塔頭寺院ですが、春と秋に特別公開されています。

能登の戦国大名・畠山義総によって建立され、その後、加賀百万石を領する前田家の菩提寺となりました。

室町時代の本堂や表門、資料を元に昭和53年(1978年)に復元された枯山水庭園、昭和3年(1928年)に建立された茶室「涵虚亭(かんきょてい)」などが見どころです。

基本情報

興臨院
所在地 京都市北区紫野大徳寺町80
TEL.075-491-7636
通常非公開 ※特別公開あり

【1】興臨院とは

能登の戦国大名・畠山義総(はたけやま よしふさ)が、開山に大徳寺86世・小渓紹怤(しょうけいじょうふ)を迎えて建立しました。

小渓紹怤は大徳寺 南派の祖・東渓宗牧(とうけい そうぼく)に参じたことから、興臨院は大徳寺の龍源門下・本派南派に属します。

畠山氏が没落した後は、加賀の戦国大名・前田利春、利家らが再興、前田家の菩提寺となり今日に至ります。

興臨院 扁額
▲方丈の扁額

・寺名の由来

開基・畠山義総の法号「興臨院殿伝翁胤大居士」から名付けられました。

・興臨院の歴史

大徳寺の歩み

  1. 嘉暦元年(1326年)大燈国師が開創した小庵「大徳」は花園天皇(北朝)、後醍醐天皇(南朝)両天皇の帰依を受け勅願所となり、法堂完成と同時に龍宝山大徳寺と命名されました。
  2. 永享3年(1432年)大徳寺 第26世・養叟宗頤(ようそう そうい)は、世俗化しつつあった五山十刹から離脱、座禅修行に専心するという独自の道を選び、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄えます。
  3. 享徳2年(1453年)の火災と応仁の乱(1467-1477年)で当初の伽藍を焼失。その後、一休宗純が堺の豪商らの協力を得て復興しました。

龍源院の歩み

  1. 大永年中より天文2年間(1521年~1533年)に能登の戦国大名・畠山義総が大徳寺86世・小渓紹怤(仏智大通禅師)を開山として建立。畠山家の菩提寺となります。
  2. 創建直後に本堂・唐門を焼失。天文年中(1532~1555年)に再建されたのが現在の本堂です。
  3. 天正5年(1577年)畠山義総の死後、畠山家は上杉謙信に攻略され没落*。
  4. 天正9年(1581年)加賀百万石の基礎を築いた戦国大名・前田利家により改修が行われ、前田家の菩提寺として再興されます。
  5. 昭和50年(1975年)より3年間にわたり重要文化財本堂・唐門(玄関)・表門などの解体修理し、再建当時に復旧。同時に庫裡も新築されました。

*後年、畠山義総の子孫は、江戸幕府 高家となり畠山家を復興しました。

前田利家(まえだとしいえ)[1539~1599年]
安土桃山時代の武将。通称犬千代。加賀(金沢)藩主前田家の祖。織田信長に仕え,桶狭間の戦をはじめ多くの戦いに功をたて,1575年越前府中城主となる。賤ヶ岳の戦では柴田勝家を離れ豊臣秀吉につき,加増され金沢に移る。五大老の一人。秀吉死後は秀頼を補佐。

出典:平凡社 百科事典マイペディアより抄録

・寺宝

椿尾長鳥堆朱盆(つばきおながどりついしゅぼん/重要文化財)を所蔵。

彫漆という手の込んだ技法の工芸品で、禅宗とともに中国から輸入され、室町時代には唐物として書院飾にかかせないものとなり、茶の世界にも用いられました。

※京都国立博物館に委託されているので、お寺には展示されていません。

ミィコ

前田利家が再興した後も、畠山義総の法号ゆかりの興臨院の名が引き継がれたんですね。

【2】興臨院の見どころ

・表門、唐門、方丈(重要文化財)

「興臨院の古門」と呼ばれる表門は創建当時(1521年~1533年)のもの。
唐門は創建直後に焼失、天文年中(1532~1555年)に再建。唐破風、檜皮葺、波型の連子窓、客待の花頭窓が室町時代の禅宗様式の特徴をよく表しています。

方丈(本堂)は室町時代の方丈建築様式の特徴をみせる入母屋造・檜皮葺の建物。床の間は日本で最初のものであるといわれます。

興臨院 表門
▲興臨院 表門
興臨院
▲唐門
唐破風の屋根は葉っぱに隠れています^^
興臨院 庫裏
▲唐門と庫裡

・方丈前庭

方丈前庭は、昭和50年(1975年)より3年間にわたり行われた方丈の解体修理完成に際し、資料を元に「昭和の小堀遠州」と称えられた日本の造園家、中根金作(なかね きんさく [1917年~1995年])よって復元されたものです。

その昔、中国の僧、寒山拾得が生活していた天台山国清寺の石橋を模し、大石・松をあしらって理想的な蓬莱世界を表現したものです。

興臨院 石庭
▲方丈前庭
興臨院 石庭
▲方丈前庭
松の前にある二つの石に架かっている石橋に注目!
興臨院 石庭
▲方丈前庭と花頭窓
興臨院 苔庭
▲方丈の裏庭

・茶室「涵虚亭」

涵虚亭(かんきょてい)は、昭和3年(1928年)に壇越の山口玄洞氏によって建立されました。名前の由来は中国北宋の政治家・文章家の蘇軾(そしょく)の詩だそうです。

古田織部好みと言われる四畳台目に隅板を加えた茶室で、2つの入り口(貴人口と利休が好んだ躙口)が隣り合う構造になっています。

茶室内は写真不可なので、茶室に至る廊下とお庭の写真です^^

興臨院 茶室
▲左奥が茶室
興臨院 中庭
▲茶室の手前のお庭
ミィコ

西の庭には、貝多羅樹(バイタラジュ)の名木があります。葉に竹串などで文字を書くと黒く浮かび上がることから「葉書(はがき)」の語源になったと言われます。

【4】御朱印

御朱印は書置きのみで、庫裡で拝受することが出来ます。
釈迦牟尼仏(釈迦如来)と書かれています。

興臨院 御朱印
ミィコ

書置きの御朱印の墨文字は印刷です^^

【5】大徳寺 興臨院へのアクセス

最寄り駅は、バス停「大徳寺前」。

[地図]
B地点:興臨院

A地点:バス停「大徳寺前」

・京都駅から

  • 地下鉄烏丸線 国際会館行に乗車「北大路駅」下車→ 市バスに乗換→「大徳寺前」下車 。所要時間:約25分。
  • 京都駅前バスターミナルのりば案内
    [A2のりば] 市バス205 北大路バスターミナル行「大徳寺前」まで約45分
    [A3のりば] 市バス206 北大路バスターミナル行「大徳寺前」まで約40分
    [B2のりば] 洛バス101 北大路バスターミナル行「大徳寺前」まで約42分
  • TAXI 所要時間 約21分/2,170円
    ・総距離 約6.7km タクシー料金検索
    ※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。

・四条河原町から

  • [Fのりば] 市バス205 洛北高校・北大路バスターミナル行「大徳寺前」まで約31分

・北大路バスターミナルから

  • 洛バス101 京都駅前行「大徳寺前」まで約4分
  • 洛バス102 錦林車庫前行「大徳寺前」まで約4分
  • 市バス204 北大路通り・金閣寺・西ノ京円町行「大徳寺前」まで約5分
  • 市バス205 西大路七条・京都駅行「大徳寺前」ま約5分
  • 市バス206 千本通り・京都駅行「大徳寺前」まで約5分
  • 市バス北8  佛教大学・松ヶ崎駅前行「大徳寺前」まで約5分
ミィコ

せっかく大徳寺に行ったなら、常時拝観可能な塔頭を拝観して、素敵なお庭を愛でましょう^^

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※この記事の史実に関する記載は、大徳寺パンフレット、興臨院パンフレット、駒札、Wikipedia等を参考に作成しました。