大雄院(だいおういん)は、日本最大の禅寺「妙心寺」内に立ち並ぶ46の塔頭寺院のひとつ。
江戸時代末から明治中期にかけて活躍した絵師、柴田是真(しばたぜしん)の若き日の襖絵が有名です。
通常は非公開なので、公式サイトで特別拝観のスケジュールをチェックしましょう!
現在、戦災で焼失した明治宮殿天井画「花の丸図(是真の代表作)」を、襖絵として復活させるプロジェクトが進行中で、春と秋の「特別拝観」の際に鑑賞することが出来ます。
特別拝観の限定御朱印も要チェック!見どころとアクセス方法をご紹介します。
タップできる|目次|
【1】春の特別拝観
大雄院は、春の特別拝観、秋の特別拝観が行われています。
※常時拝観はされていません。
特別拝観以外には、坐禅会や音楽イベントなども開催されていますので
最新情報は、公式サイト 、Twitter をチェック!
・特別拝観 限定御朱印
特別拝観がある時は、限定御朱印の拝受が可能です。まず、御朱印所で朱印帳を預けてから拝観するのがお薦めです。
2019年 春の特別拝観(終了)では、ゆっくり拝観した後に御朱印所を訪ねると混んでいて、30分くらい待たないといけないという事。なので、この日は書置きの御朱印を拝受しました。日付は吉日になっています^^
2019年、春の特別拝観の限定御朱印、とても可愛いです^^
【2】大雄院の由緒
創建者は石河光忠 [1594-1628年](当時9歳/後の尾張藩名古屋城代)。
豊臣秀吉の家臣だった石河光元(竜野城主)の長子で、父の菩提を弔うために慶長8年(1603年)に大雄院を創建しました。表門は創建当時のものです。
土地は叔父の石川貞清が寄進し、開祖は叔父の慧南玄譲(えなんげんじょう):美濃鏡島城主 石河家の水庵宗掬(すいあんそうきく)の法孫。歓請開山は慧南玄譲の法祖、石河氏の菩提寺 美濃乙津寺の2世 蘭叔玄秀(らんしゅくげんしゅう)。
徳川家とのつながり
石河光忠の母「お亀の方」は、夫・石河光元の没後、徳川家康に見初められ側室となり、尾張藩の初代藩主となる徳川義直(とくがわ よしなお)を出産します。
そのため、家康の実子と異父兄弟となった光忠は徳川家に仕える事となり、後に家康の命で尾張藩主の義直に付属し名古屋城代となりました。
石河家は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは豊臣方であったにも関わらず、徳川の時代でも栄える大名家となったのです。
創建時は、お亀の方が徳川家康より賜った伏見の屋敷が移築されました。その後、寛文10年(1670年)に再建、方丈も享保12年(1727年)に再建されました。
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将軍の母の血縁の力ってすごいですね^^
【3】大雄院 見どころ
柴田是真の襖絵が有名です。
そして、是真が描いた明治宮殿天井画「花の丸図」の下絵をもとに、新たな襖絵を制作するプロジェクトが2017年に発足、3年かけて花の丸の襖絵18枚が完成しました。
・庭園
・柴田是真の襖絵
柴田是真は、江戸時代末から明治中期にかけて活躍した絵師です。
若き日の是真は大雄院で筆をとった後、江戸へ戻って活躍しましたが、江戸大火で多くの作品が焼失。その上、現存する作品の多くが海外に流出したため、大雄院に残る是真作品は大変貴重なものです。
大雄院の本堂にある障壁図72面は、天保元年(1830年)是真が日本画の四条派を学ぶため京都へ遊学、修業の終わりに筆をとったものです。
当時24歳の是真(正確には、是真の名を名乗るより前「令哉(れいさい)」の号を使用)による肉筆の襖絵は、表現者としての才能の一端を感じさせる貴重な作品群です。
※襖絵は写真不可。
柴田是真
出典:Wikipedia、大雄院襖絵プロジェクト フライヤーより抄録
文化4年(1807年)生~明治24年(1891年)没
江戸時代末から明治中期にかけて活動した漆工家、絵師・日本画家。日本の漆工分野において、近世から近代への橋渡しの役割を果たした工人。
明治皇室御用達の職人集団「帝室技芸員」第一期の筆頭で、明治宮殿の「千種の間 花の丸天井」は傑作であり代表作と言われています。数多くの草花を円形の中に落とし込んだデザインは、後世の絵師に大きな影響をあたえました。
・平成の大雄院襖絵プロジェクト
『平成の大雄院襖絵プロジェクト(2020年4月完成)』とは、柴田是真の代表作、明治宮殿天井画「花の丸図」を襖絵として復活させるとともに、宮絵師の画技を後世に伝えるものです。
明治宮殿は第二次世界大戦末期の空襲で焼失しましたが、是真直筆の「花の丸図」下絵は残されていたのです。
その下絵をもとに、日本で唯一の宮絵師・安川如風さんが大雄院の襖絵として新たに制作、美しい意匠が見事に復活しました。
宮絵師安川 公式サイト
資料:明治宮殿 千種の間
格天井いっぱいに描かれた、柴田是真による100種以上の美しい草花の花の丸。モノクロ写真でも豪華さが伝わってきます。
毎日新聞社「一億人の昭和史13」より, パブリック・ドメイン, Link
明治宮殿は、1888年(明治21年)に旧江戸城西の丸に建設された建物。第二次世界大戦末期まで皇室の中心的施設でした。1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布式も、ここで行われました。
襖絵は、近くで見ても修正の痕跡なんて見当たりません。←あたりまえ!? すごい集中力と技術が必要だと思いました^^
【4】大雄院 アクセス
禅寺は三門から参拝するのが正式とされます。妙心寺は南総門から入った所に三門があります。大雄院の場所はちょっとわかりにくいので、地図で確認するのがお薦めです。
[1] 南総門から
地図のブルー・ラインは、妙心寺の正式な参拝コース。
- 最寄駅:JR山陰線 / 嵯峨野線「花園駅」
- 最寄バス停:「妙心寺前」
[2] 北総門から
地図のオレンジ・ライン。山内独特の風情を楽しめます。
- 最寄駅:京福電鉄 北野線「妙心寺駅」
- 最寄バス停:「妙心寺北門前」
・京都駅から
- JR山陰線 / 嵯峨野線
亀岡・福知山方面、嵯峨嵐山、園部行き乗車「花園駅」まで約12分。花園駅から大雄院まで徒歩約10分。
- 市バス
★京都駅前バスターミナルのりば案内
[D3のりば] 市バス26 御室仁和寺・山越行き乗車「妙心寺北門前」まで約42分。大雄院まで徒歩約5分。 - TAXI 所要時間 妙心寺前まで 約20分
総距離 約6.7km タクシー料金検索
※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。
・三条京阪から
- 市バス
[A1のりば] 市バス10 北野天満宮・御室・山越行き乗車「妙心寺北門前」まで約35分。北門から大雄院まで徒歩約5分。
[Fのりば] 京都バス 63、64、65、66 嵐山・清滝・有栖川行き乗車「妙心寺前」まで約26分。妙心寺前から大雄院まで徒歩約12分。 - TAXI 所要時間 約17分
総距離 約5.7km タクシー料金検索
※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。
大雄院に訪れたなら、妙心寺や他の塔頭寺院の参拝もお薦めします!
【5】常時拝観できる妙心寺塔頭
大雄院を訪れる際は、他の寺院も拝観してみてはいかがでしょうか? 妙心寺山内で一年を通して拝観可能な塔頭は3か所。退蔵院、桂春院、大心院です。
※妙心寺公式サイト|拝観コース例
山内塔頭寺院
・通年公開/退蔵院、桂春院、大心院
・特別公開/大法院、東林院
・限定公開/大雄院、慧照院
山外塔頭寺院
・通年公開/龍安寺(世界文化遺産)
・限定公開/西源院
・妙心寺山内 案内図
※大雄院はNo.20です。
1.天球院、2.隣華院、3.光国院、4.雲祥院、5.長慶院、6.天祥院、7.壽聖院、8.金牛院、9.智勝院、10.蟠桃院、11.桂春院、12.徳雲院、13.大法院、14.大龍院、15.春光院、16.麟祥院、17.大通院、18.海福院、19.養徳院、20.大雄院、21.玉龍院、22.通玄院、23.霊雲院、24.雑華院、25.如是院、26.福寿院、27.聖沢院、28.東海庵、29.大心院、30.東林院、31.玉鳳院、32.開山堂、33.涅槃堂、34.天授院、35.退蔵院、36.衡梅院、37.長興院、38.養源院、39.慈雲院、40.龍泉庵、41.慧照院、42.龍華院、A.宗務本所、B.花園会館
妙心寺山内は広いです。妙心寺の仏殿・法堂、塔頭寺院を見学したい時は、あらかじめコース確認をお勧めします。
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※この記事の史実に関する記載は、書籍「妙心寺 六百五十年の歩み」、大雄院公式サイト、パンフレット、Wikipedia等を参考に作成しました。
大雄院|妙心寺塔頭
所在地 京都市右京区花園妙心寺町52
TEL.075-463-6538
大雄院 公式サイト