桜町大神宮 [神明神社] | 桜町中納言と呼ばれた藤原成範が建立

桜町大神宮

桜町大神宮(さくらまちだいじんぐう)[正式名称:神明神社] は、天照大神・豊受大神をお祀りする由緒ある神社です。

とはいえ、昔は大神宮だったのかもしれませんが、今は訪れる人もほとんどいない、住宅地にひっそり佇む小さな神社です。

かつて、ご神木だった桜の木は普通の桜より長期間花が咲いたと伝わり、後に豊臣秀吉も花見の酒宴を盛大に催したといいます。

残念ながら現在は桜の木は一本だけです‥。

桜好きの公卿・藤原成範による創建エピソード、アクセス方法をご紹介します。

基本情報

桜町大神宮 [正式名称:神明神社]
所在地 京都市伏見区深草大亀谷万帖敷町141
櫻町大神宮奉賛会

【1】桜町大神宮とは?

桜町大神宮は、平安時代に「桜町中納言」と呼ばれた「藤原成範(ふじわら の しげのり)」が建立した神社です。

・創建は藤原成範

平安時代末期の治承2年(1178年)、公卿・藤原成範は桜花の命が短いことを惜しみ、篤く信仰していた天照大神に、もっと長く咲き続けられるよう祈願しました。

すると、神はその願いを受け止め、桜花の寿命を37日も延ばされたのです!

その御神徳に感激した成範が神社建立の志を立てると、夢に白羽の矢を持った神童が現れ「白羽の矢を置いた深草郷を探しそこで宮造りをせよ」と告げました。

夢告にしたがい大勢の家臣を連れて白羽の矢を大捜索。ようやく探し当てたこの地に桜町大神宮が創建されたのです。

ご神木は、もちろん桜です。

桜町大神宮の桜
▲現在は小さい桜の木が1本

・御祭神

皇室の御祖神(みおやかみ)、日本人の大御祖神として崇められる「天照大神」と「豊受大神」がお祀りされています。

駒札の説明によると、近年は安土桃山時代に合祀された佐田彦大神の御神徳「縁結び」「交通安全」で崇敬されているようです。

神明神社(しんめいじんじゃ)
天照大御神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社である。神社本庁によると日本全国に約5千社あるとされている。

出典:Wikipediaより抄録

主祭神

  • 天照大神(アマテラスオオミカミ)
    日本神話に主神として登場する女神。高天原を統べる主宰神で皇祖神とされる。太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持つ。奉祀されている有名な神社は「伊勢神宮(内宮)」。
  • 豊受大神(トヨウケノオオカミ)
    天照大神のお食事を司る饌都神(みけつかみ)。食物神、農業神。衣食住、産業の守り神としても崇敬される。奉祀されている有名な神社は「伊勢神宮(外宮)」。

安土桃山時代に合祀

  • 佐田彦大神(サタヒコノオオカミ)
    伏見稲荷大社で祀られる稲荷三神(上社・中社・下社の神の総称)の一柱で、主祭神のウカノミタマの配神。現在は伏見稲荷の中社の祭神であるが、もともとは上社の神とされていたようである。
桜町大神宮
▲神明鳥居と石碑
桜町大神宮 全景
▲神社全景

・豊臣秀吉も愛でた桜

安土桃山時代・文禄3年(1594年)豊臣秀吉が近くに伏見城を築城した際、城郭内となった「佐田彦神社」を桜町大神宮に合祀。

桜の季節には、武運祈願の参拝を兼ねて、たびたび盛大な雅宴を催したそうです。

通称どおり、昔はもっと大きく広い神社だったようですね。

現在は境内に大きな桜の切り株が2、3か所と、小さい桜1本を残すのみになっています‥ 花が長い期間咲くと言われた桜は寿命を全うしたようです。

社記によれば、第八十代高倉帝 治承2年(1178)、藤原中納言成範卿は、天照大神を篤く祈誓されていたが、桜花の短命を惜しんで、落下の遅きを神明に祈願された。神明はその願いの切なるを憐れみ、花の齢を三十七日延ばされたので、卿はその神徳の深さを感じ、霊社建立の志を立てられた。

ある夜の夢に、十四・五才の神童が白羽の矢を持って枕頭に立ち、「汝久しく祀社建立の志深ければ今その願いを遂げしめん、よってこの白羽の矢を深草郷の柏原に指し置くべし、探し求めて宮造りをせよ」との夢のお告げがあった。
成範卿は、家臣を多く召し連れて深草郷を訪ね、ついに白羽の矢を探し当て、ここに両大神宮(天照大神・豊受大神)を勧請して、数株の桜を植えて神木とされた。

後、文禄三年(1554)豊公伏見城築城の際に、城郭内となった「佐田彦神社」をここに移して合祀された。秀吉はこの地の桜花の永きを愛し、春ともなれば度々桜花を愛でるために武運祈願の参拝を兼ねて盛大な雅宴を催した。

この社は、佐田彦大神の徳「縁結び」「交通安全」の神として尊崇されている。

出典:神明神社(桜町大神宮)駒札
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残念ながら、御朱印やお守りなどの授与品はありません。

【2】藤原成範って何をした人?

藤原成範は中納言まで昇進しましたが、概して政治的な足跡には乏しく、自宅で歌合を催すなど和歌を大変好んだそうです。

・桜を愛した歌人・桜町中納言

桜を愛し、自邸にも桜を多く植えたことにより、桜町中納言と呼ばれました。勅撰歌人として「千載和歌集」に3首、「勅撰和歌集」に12首の作品が採録されています。

歌題/故郷の花

「ふるさとの 花に昔の こと問はば 幾代の人の こころ知らまし」(続古今120)

【通釈】由緒ある里に咲く、古木の桜 その花に昔のことを問うたなら、幾時代もの人々の心を知ることができるだろうに。

出典: やまとうた より抄録
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▲「桜町中納言」尾形月耕 , パブリック・ドメイン, Link

・藤原成範の経歴

  1. 保延元年(1135年)生まれ。藤原南家。後白河院の近臣、藤原通憲(信西)の三男。
  2. 1156年7月、保元の乱を経て、父・藤原信西が権勢を握ると共に急速に昇進を果たします。そして平清盛の娘と婚約し、前途は磐石であるかに見えたのですが‥
  3. 平治元年(1159年)の平治の乱において信西が殺害されると、当事者として信西の罪状が問われ連座する形で流罪となりました。
  4. しかし、永暦元年(1160年)2月には早くも赦免されて平安京に召し返され、同年12月本位に復して大宰大弐に任ぜられます。またこの頃、名前を成範と改めました。
  5. 仁安元年(1166年)以降昇進をつづけ、寿永2年(1183年)、正二位・中納言に至ります。同年12月に中納言を辞任。
    この間、後白河法皇に執事別当として身近に仕え、治承3年(1179年)の政変で法皇が鳥羽殿に幽閉された際にも、兄弟の脩範・静賢らと共にその傍に出入りすることを許されていたそうです。
  6. 文治3年(1187年)2月18日、病により出家。同年3月16日死去。享年53。
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この時代に趣味を楽しめる境遇にあったのはラッキーですね。

【3】桜町大神宮 アクセス

最寄り駅は、京阪本線「墨染駅」、JR奈良線「JR藤森駅」

・京都駅から

JR奈良線 城陽行、奈良行きに乗車「JR藤森駅」下車。乗車時間:約9分。※快速は停車しません。神社まで徒歩約7分。

・三条京阪から

京阪本線 淀屋橋行きに乗車「墨染駅」下車。乗車時間:約15分。※特急は停車しません。神社までは上り坂で徒歩約15分。神社周辺は住宅地です。

[地図]
A地点:京阪本線「墨染駅」
B地点:桜町大神宮
C地点:JR奈良線「JR藤森駅」

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桜町大神宮のロマンチックな建立エピソードから、想像の翼を広げて参拝してみてはいかがでしょうか。

※この記事の史実に関する記載は、神明神社(桜町大神宮)駒札、Wikipedia等を参考に作成しました。