下御霊神社 | 八所御霊を祀る、病気平癒・厄除けの社。御霊水も復活

下御霊神社 鳥居

下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)は、日本初の御霊会でお祀りされた六所御霊(=怨霊)を含む八所御霊をお祀りし、疫病厄災から都を守護する社、皇居の産土神として尊崇されてきました。

神社が鎮座されている寺町通は、カフェ・ギャラリー・骨董など色々なお店が並んでいるので、三条から京都御苑まで散歩がてら参拝もおすすめです。

下御霊神社は、京都御苑の西北に鎮座する御霊神社(=通称:上御霊神社/かみごりょうじんじゃ)と呼応しています。

アクセス方法や、近年復活した御霊水(=地下水)、御朱印、見どころなどをご紹介します。

基本情報

下御霊神社
所在地 京都市中京区寺町通丸太町下る
TEL.075-231-3530
拝観時間 6:00~19:30
授与所 9:00~17:00
下御霊神社公式サイト

【1】下御霊神社とは

平安時代の貞観5年(863年)、六所御霊(=怨霊)の祟りを鎮めるための「御霊会(ごりょうえ)」が天皇の禁苑「神泉苑」で初めて行われました。

その時にお祭りされた六所御霊は全て下御霊神社の御祭神(八所御霊)に含まれる事から、この御霊会が由緒とされ、創祀も同じ頃ではないかと推察されています。

・疫病、災害と御霊信仰

平安時代は災害や疫病の流行が繰り返し起こった不安な時代でもありました。

当時の人々は、厄災の原因は政争により都を追われ非業の死を遂げた人々の怨霊の祟りだと信じ、その解決策として、御霊としてお祭りすることによって、逆に災禍から守っていただこうという信仰がうまれました(御霊信仰)。

・創建の由緒

当初は、愛宕郡出雲郷(現在の寺町今出川の北)の下出雲寺(のちに廃絶)の境内に鎮座されたと伝わりますが、創建や変遷の詳細は不明です。

後に、京の郊外でそれぞれ祀られていた御霊をまとめ、八所御霊としてお祀りする事で御神徳がさらに高まると考えられたと思われます。

・下御霊神社の歩み

  1. 平安時代
    貞観5年(863年)神泉苑において、六所御霊を鎮魂する御霊会が開催。
    神泉苑の御霊会の祭神6座を「下出雲寺」に祀ったのが創祀と考えられています。
  2. 鎌倉時代
    初期頃に現在の新町出水あたりに遷座したと思われ、上下御霊社の祭礼では、剣鉾をはじめ風流を極め、天皇・上皇が桟敷で観覧された事が公家の日記等に記されています。
    正中元年(1324年)正一位の神階を授かります。
  3. 室町時代
    応仁の乱の兵火により、北山花園村に遷り祭礼は中断。再び新町出水辺りに戻り、少しづつ復興。「洛中洛外図屏風上杉本」には本社と当時あったと伝わる御旅所が描かれています。
  4. 安土桃山時代
    豊臣秀吉の京都区画整備にともない、現在地に遷座。
  5. 江戸時代
    ・延宝4年(1674年)神主が垂加神道の創始者・山崎闇斎の弟子となる。
    ・宝永5年(1708年)宝永の大火により全焼。
    ・宝永6年(1709年)仮皇居の内待所旧殿を下賜される。東山天皇が大宮神輿を寄付。
     神幸祭・還幸祭で仙洞御所・大宮御所の御門前に神輿を奉安し神主奉幣が恒例となる。
    ・享保8年(1723年)霊元法皇が行幸。
    ・享保13年(1728年)霊元法皇が参詣、願文を納める。京都御所の産土神とされた。
    ・天明8年(1788年)天明の大火により焼失。
    ・寛政2-3年(1790-91年)光格天皇により内侍所が寄進され復興された。
下御霊神社 遷座履歴
▲境内案内図より

下御霊神社の遷座履歴
(イ)平安時代:貞観5年(863年)下出雲路の「下出雲寺」に祀られたとされる。
(ロ)鎌倉時代:新町通り出水に遷座。
(ニ)南北朝時代:御所(内裏)が現在地に定まる。
(ハ)安土桃山時代:現在地に遷座。

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皇居の旧殿が下賜されるなど、皇室から篤く信仰されてきた下御霊神社ですが、現在は社殿がかなり痛んできている印象です‥

【2】御祭神と御利益

御霊信仰の御祭神がお祀りされています。
平安時代に多発した疫病災厄は怨霊の祟りだと恐れられました。その怨霊を「六所御霊/のちに八所御霊」としてお祭りし、災禍から守っていただくのが御霊信仰です。

・御祭神は八所御霊を含む9座

  • 本殿八座 [六所御霊を含む八所御霊]
    ・吉備聖霊(きびのしょうりょう)|六所御霊の和魂(にぎみたま)
    ・崇道天皇(早良親王)|光仁天皇第2皇子
    ・伊豫親王(いよしんのう)|桓武天皇皇子、贈一品
    ・藤原大夫人(藤原吉子)|伊豫親王の母
    ・藤大夫(藤原廣嗣)|平安時代初期の貴族
    ・橘大夫(橘逸勢)|平安時代初期の貴族
    ・文大夫(文室 宮田麻呂)|平安時代初期の貴族
    ・火雷天神(からいのてんじん)|六所御霊の荒魂(あらみたま)
  • 相殿一座
    ・霊元天皇|天中柱皇神(あめのなかはしらのすめがみ)

相殿にお祀りされている霊元天皇は、生前に崩御の後は下御霊神社に祀るように自ら望まれ御祭神となりました。このような例は他にはいそうです。

上下御霊神社の御祭神のうち六所御霊(崇道天皇・藤原大夫人・橘大夫・文大夫・火雷神/火雷天神・吉備大臣/吉備聖霊)は共通ですが、あと2所の御祭神は異なり、上御霊神社は井上内親王・他戸親王、下御霊神社は伊豫親王・藤大夫です。

・御利益

創建の由緒から、疫病災厄の御利益で篤く信仰されてきた神社です。

  • 厄除(厄払い、病気平癒、鎮災平安)
  • 家内安全、交通安全、学業、安産
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御祭神「六所御霊」のうち、吉備聖霊は上下御霊神社で解釈が異なっています。

【3】下御霊神社の見どころ

一番の見どころは、正門・本殿・拝殿。
特に本殿は仮皇居の賢所(かしこどころ)宮殿を下賜されたもので貴重です。

・正門

天明の大火(1788年)後に造営された仮皇居(御所)の建礼門を下賜されたと伝えられています。梁の中央に龍、表側の化粧梁には玄武と朱雀にのった仙人、裏側の梁には麒麟と鳳凰の彫刻が飾られています。

下御霊神社 正門
▲正門の梁の龍の彫刻

・本殿、拝殿

旧社殿は天明8年(1788年)の大火で焼失。本御殿は寛政2年(1790年)に仮皇居の賢所宮殿を下賜されたものです。(京都市指定有形文化財)

市内の御霊社特有の社殿で、本殿の前に切妻造の弊殿と唐破風造の拝所がつき、更に幣殿から南北に入母屋造の廊がのびています。屋根をそれぞれ交錯させて内部空間を作る特異な構成です。

賢所とは?
皇位継承の証である三種の神器のひとつ、皇祖・天照大御神の御霊代として祀られる八咫鏡(やたかがみ)が奉斎されている宮中の御殿です。内侍所(ないしどころ)ともいいます。
現在も宮中賢所に鎮祭されている八咫鏡。祀られていた御殿を社殿用に賜るのは畏れ多い事でした。このような例は、上下御霊神社、藤森神社のみになります。

下御霊神社 本殿
▲本殿
下御霊神社 拝殿
▲拝殿

拝殿は寛政10年(1798年)に造築されました。御旅中に神輿が奉安され、例祭で舞楽が奉奏される建物です。

・神物宝庫

天明の大火(1788年)で社殿等全て消失した際に類焼を免れた土蔵です。
当時こちらに納められていた神輿も無事で、現在もお祭りで奉安・巡幸されています。

下御霊神社 神物宝庫
▲神物宝庫

・末社

  • 三社託宣社
    ・神明社:天照大御神、豊受大神
    ・八幡社:八幡大神
    ・春日社:春日大神
    ※三社託宣は中世に流行した庶民信仰。家庭で礼拝するために掛軸などで頒布されました。社として祀られているのは大変珍しいそうです。
  • 猿田彦社:猿田彦大神
    ・相殿 垂加社:山崎闇斎
    ・相殿 柿本歌聖:柿本人麻呂
  • 稲荷社:稲荷大神
  • 天満宮社:北野大神
  • 宗像社:田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命
  • 大国主命事代主命社:大国主命、事代主命
  • 五社相殿社:日吉大神、愛宕大神、大将軍八神、高知穂神、斎部神
下御霊神社 摂社
▲三社託宣社
下御霊神社 末社
▲垂加社
下御霊神社 末社
▲五社相殿社

・復活した御霊水(手水舎)

下御霊神社には、かつて感応水(かんのうすい)と呼ばれた地下水が湧いていましたが、いつしか涸れて、井戸の痕跡もなくなりました。

しかし近年、新しく井戸を掘り地下水が復活し、改めて「御霊水(ごりょうすい)」と名付けられました。かつての感応水と同じ水脈で、くせがなく、まろやかで美味しいと評判です。手水舎で汲めるようになっています。

感応水の由来
江戸時代の明和7年(1770年)の秋、京の街が干ばつに見舞われました。当時の神主(第38代)出雲路定直が、夢のお告げにより境内の一角を掘らせたところ、清らかな水が沸き出て皆を潤すことができたといいます。その水は「感応水」と名付けられました。

下御霊神社 御霊水 手水舎
▲手水舎
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参拝するときは、本殿の重なった屋根に注目ですね。工事中ではありません^^

【4】御朱印

下御霊神社の御朱印は、紋菓(落雁)付きです。御神紋は「沢潟(おもだか)に水」。

下御霊神社 御朱印
▲御朱印
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御朱印の初穂料は500円でした。薄紫の御神紋がポイントになっています!

【5】下御霊神社 アクセス

下御霊神社は京都御苑の南東に位置するので、御苑を散策した後に参拝するのもいいですね。

もしくは、京都市役所から下御霊神社までは寺町通を北に徒歩約10分。三条からは徒歩約15分。四条河原町からは約23分くらいなので、寺町通のお店をみながら散歩するのもいいと思います!

最寄り駅、バス停留所

  • 市バス「河原町丸太町」下車。西へ徒歩約3分。
  • 市バス「裁判所前」下車。東へ徒歩約5分。
  • 地下鉄烏丸線「丸太町駅」下車。東へ徒歩約10分。

[地図]
B地点:下御霊神社

A地点:地下鉄烏丸線「丸太町駅」1番出口
C地点:バス停「河原町丸太町」

・京都駅から

  • 地下鉄烏丸線 国際会館行に乗車「丸太町駅」下車。乗車時間:約7分。1番出口から徒歩約10分。
  • 京都駅前バスターミナルのりば案内
    [A2のりば] 市バス4、17、205 四条河原町・下鴨神社・上賀茂神社行き「河原町丸太町」下車。乗車時間:約20分。

・四条河原町から

  • 市バス
    ・[Fのりば] 4、205 「河原町丸太町」下車。乗車時間:約6分。
    ・[Gのりば] 3、17 「河原町丸太町」下車。乗車時間:約6分。

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下御霊神社と御霊神社の両方を参拝する場合は、地下鉄烏丸線「丸太町駅」まで10分程度歩きますが、地下鉄で「鞍馬口駅」へ行くのがおすすめ。

※この記事の史実に関する記載は、下御霊神社公式サイト、下御霊神社駒札、パンフレット、Wikipedia、コトバンク等を参考に作成しました。