護王神社 | 足腰の神様。パワハラに負けない御利益にも注目!

護王神社

有名スポーツ選手も参拝する、足腰の神様として注目されている護王神社。

主祭神の和気清麻呂公は、パワハラで左遷されても信念を貫き通し、中央に復帰後は重役に抜擢されて大出世をした人です。強力なパワハラ除けのご利益がありそうです!

でも一般的には足腰の神様として注目されているみたい。そして、イノシシがシンボルである由来は? 不思議いっぱいなので、このあたりを調べてまとめました。

授与所には、足腰のお守りはもとより、パワハラ除け、その他様々なお守りが用意されていました。可愛い置物イノシシのおみくじもあります^^

基本情報
護王神社
所在地 京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385
TEL.075-441-5458(9:00~17:00)
ご祈祷・授与所 9:00~17:00
参拝時間 6:00~21:00
護王神社 公式サイト

【1】護王神社の主祭神とご利益

"護王神社 本殿
▲本殿

明治19年(1886年)、明治天皇の勅命により京都御所の蛤御門前に社殿が造営され、神護寺境内から遷座されました。

平安京建都に貢献した、和気清麻呂(わけのきよまろ)をお祀りする神社です。

主祭神
和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)
和気広虫姫命(わけのひろむしひめのみこと)

・和気清麻呂公命|足腰の守護神

和気清麻呂公は、かつて旧十円札(戦前)に肖像が印刷されるほどの英雄でした。

最高指導者の命令であっても、理不尽な指示には従うことなく、信念をつらぬき、ピンチに屈せずチャンスをモノにして出世を遂げ、“神様”にまで上り詰めた人です。

また、和気清麻呂公とイノシシにまつわる故事(後述)から、足腰の健康安全・病気怪我の快復に格別のご利益があると言われています。

*天平5年(733年)生 – 延暦18年2月21日(799年4月4日)没

和気清麻呂像
▲和気清麻呂像
和気清麻呂 旧十円札
▲旧十円札

・和気広虫姫命|子育ての神様

清麻呂公と仲の良かった姉君です。

孝謙上皇(後の称徳天皇)に仕え、天平宝字6年(762年)上皇に従って出家し「法均(ほうきん)」と号し、神護景雲2年(768年)には大尼に任じられました。

「他人の悪口を言うことがない」と天皇からも厚く信頼されていました。慈愛の心が厚く、身寄りを失った子どもたち83人を養子として育てられたことから、子育て・保育の祖神として信仰されています。

*天平2年(730年)生 – 延暦18年1月20日(799年3月1日)没

和気広虫姫
▲外玉垣パネル展示より
ミィコ
後世に語り継がれるほどの、品性・徳の高いご姉弟だったんですね。神様として祀られても納得です。

【2】イノシシがシンボルになった由来

・和気清麻呂公とイノシシの故事

神護景雲3年(769年)清麻呂公は、時の権力者 道鏡によって大隅国(鹿児島県)に流されました。(宇佐八幡宮神託事件:後述

その道中、お仕えする皇室の安泰が守られたことを感謝するために、宇佐八幡へ立ち寄る事にされた時の出来事です。

「日本後紀」によると、一行が豊前国(福島県東部)にさしかかった時に、どこからともなく三百頭ものイノシシが現れて、清麻呂公の輿の周りを護りながら約40kmの道中を無事に案内し、宇佐八幡に到着すると、またどこかへ去っていったそうです。

すると、不思議なことに、清麻呂公の足萎え(足が悪いために歩行が不自由なこと)も治癒していたと伝わります。

往路は輿に乗っての移動を余儀なくされていたのに、帰路は馬を駆って戻ったので皆が驚いたそうです。

この故事から、清麻呂公を守護したというイノシシが護王神社のシンボルとなりました。さらには、足腰の健康安全・病気怪我の快復に格別のご利益があると信仰されています。

和気清麻呂とイノシシ
▲外玉垣パネル展示より

・境内の霊猪像(狛イノシシ)

明治19年(1886年)に神護寺境内から現在地に遷座した後、明治23年(1890年)に崇敬者により境内の霊猪像(狛猪)が奉納されました。その後も様々なイノシシゆかりの品が奉納され、親しみをこめて「イノシシ神社」とも呼ばれています。

護王神社
▲拝殿
護王神社 狛いのしし
▲狛イノシシ(霊猪像)

・幸運の霊猪手水舎

鼻をなでると幸せになると言われています。

護王神社 手水舎

・可愛いイノシシおみくじ

リアルなイノシシモチーフの中で異彩を放っています^^

"護王神社 いのししおみくじ
▲可愛いイノシシ置物おみくじ
ミィコ
境内には、他にも奉納されたイノシシがいっぱい。探してみては?

【3】パワハラに屈しない!和気清麻呂公

つかさ御守り
▲就職・昇進御守、パワハラ対策に効きそうな職難御守も。

・奈良の都で朝廷に仕官

和気氏は皇族の血統を継ぐ家系で、先祖代々から和気郡司を務めた和気郡の名家です。

和気清麻呂公は、天平5年(733年)現在の岡山県和気町で生まれ、その後、奈良の都へ上り朝廷に仕えました。

・宇佐八幡宮神託事件で失脚

奈良時代末頃、女帝・孝謙天皇(後の称徳天皇)は僧・道鏡を寵愛し、天平神護元年(765年)に僧籍のまま太政大臣、翌2年(766年)には「法王」という特別な地位を与え、二頭体制で政治を行っていました。

そんな時‥ 宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)が発生します。

  1. 神護景雲3年(769年)「道鏡を皇位に就かせれば天下太平になる」という九州・宇佐神宮のご神託がもたらされます。

    称徳天皇は、信頼できる家臣である法均(和気広虫姫)を宇佐神宮に派遣し確認させようとしましたが、長旅には堪えられないとして、弟の和気清麻呂公を派遣。その際、清麻呂公は道鏡から「吉報をもたらせば重役に任官する」と持ち掛けられたといいます。一方で、道鏡の師である路豊永からは「道鏡が皇位に就くようなことがあれば、面目なくて天皇に仕えることなど到底できない」と伝えられます。清麻呂公もこの言葉を当然と思い、とにかく主君のためにと気持ちを固めて八幡宮に参宮しました。
  2. 宇佐神宮に到着した清麻呂公は、禰宜(ねぎ)の辛嶋勝与曽女(からしまのすぐりよそめ)とともに大神の神託を受けます。

    「天皇の後継者には必ず皇族の者を立てなさい。無道の者は早く追放してしまいなさい!!」 最初のご神託はフェイクニュースだったのです。
  3. 都に帰った清麻呂公は称徳天皇に報告し、道鏡が皇位につくことはありませんでした。姉の広虫姫もその功績を讃え喜びました。
  4. しかし、野望を暴かれ怒った道鏡によって、清麻呂公と広虫姫は、それぞれ大隅と備後へ流罪になります。

・中央へ復帰して大活躍

神護景雲4年(770年) 称徳天皇が病床に臥すと道鏡の権力はたちまち衰えていきます。 そして8月に孝謙天皇が崩御、皇太子を白壁王(後の光仁天皇)とする「遺宣」が発せられ、道鏡は下野国の薬師寺へ左遷(配流)されました。

  1. 宝亀元年(770年)光仁天皇によって清麻呂公と広虫姫は許されて都へ呼び戻されます。その後、清麻呂公は豊前守、摂津大夫を歴任するなど、めざましい活躍をすることになります。
  2. 特に、桓武天皇の時代に行われた平城京から長岡京への遷都の際は、はかどらない都造りを打開するために、淀川上流の葛野の地に新たに都を造営(平安京/現在の京都)するという案を進言し採用されます。
  3. 清麻呂公は平安京造営太夫として平安建都に尽力。
  4. 延暦13年(794年)に平安京遷都が行われた後、清麻呂公は延暦18年(799年)67歳で没しました。

晩年まで世のため人のために尽くした功績と、多くの人々から慕われた誠実で清廉潔白な人柄は後世まで語り継がれています。

ミィコ
宇佐八幡宮神託事件は道鏡が悪役として伝わりますが、その他の陰謀説も複数あるそうです。それにしても、パワハラは無くならないものですねぇ。

【4】護王神社のあゆみ

清麻呂公は中央へ復帰して10年後くらいに、私寺である「神願寺」の建立を願い出ました。

神願寺が実際どこにあったのか、確かな資料が残っていないため、いまだ確認されていないが、その発願は和気清麻呂公がかねて宇佐八幡大紳の神託を請うた時「一切経を写し、仏像を作り、最勝王経を読誦して一伽藍を建て,万代安寧を祈願せよ」というお告げを受け、その心願を成就するためと伝えられ、寺名もそこに由来している。
神護寺公式ページ

清麻呂公の没後、天長元年(824年)「神願寺」と、和気氏ゆかりの「高雄山寺」という2つの寺院が事実上合併して「高雄山神護寺」が誕生しました。

その「高雄山神護寺」の境内に、清麻呂公を「護王善神」として奉じ、同寺の鎮守社としたのが「護王神社」のはじまりとなります。創建年は不詳です。

神護寺は空海が東寺や高野山の経営に当たる前に一時住した寺であり、最澄もここで法華経の講義をしたことがあるなど、日本仏教史上重要な寺院でもあります。

江戸時代末の嘉永4年(1851年)、孝明天皇は清麻呂公の歴史的功績を讃えて正一位護王大明神の神階神号を授けられ、明治7年(1874年)には「護王神社」と改称して別格官幣社に列せられました。

明治19年(1886年)には、明治天皇の勅命により、華族中院家邸宅跡地であった京都御所蛤御門(はまぐりごもん)前の現在地に社殿を造営し、神護寺境内からご遷座。後に姉君の和気広虫姫も主祭神として合わせ祀りました。

ミィコ
清麻呂公は、日本の皇統断絶の危機を救った人物と言えるので、後の天皇によって厚く祀られているんですね。

【5】その他の見どころ

境内には、摂社や碑など色々ありました。その一部をご紹介します。

・「願掛け猪」と「座立亥串」
護王神社独自の信仰です。本殿前の招魂樹(おがたまのき)の根元に「願掛け猪」の石像があり、その周りに自分の名前と願いを書いた「座立亥串(くらたていぐし)」を刺し立てて神様のお陰をいただくというものです。亥串は二本一組で、一本は境内に刺し立て、もう一本は持ち帰って、神棚や玄関にお祀りします。

・ぜんそく封じの御神木、カリンの木
ご神木のカリンの木は、表門の北側に空高くそびえ立ち、京都市の巨樹名木百選に選ばれています。樹齢100年以上の巨木で、秋には甘い香りの大きな実をつけます。この実を用いて作った「カリンの御神酒」はぜんそくやのどの痛みに効くと言われています。

・いのししコレクション
全国から奉納された数多くの「いのしし」も展示されています。土鈴・置物・色紙・絵馬・剥製など3,000点以上にのぼります。

・ご祭神の伝記絵巻
烏丸通りの外玉垣には、ご祭神の物語を絵巻風に展示されています。北から南に読み進めてください。ご祭神の実績と、由緒がわかりやすく理解できます。

ミィコ
境内はそれほど広くないですが、盛りだくさんです。

【6】護王神社 アクセス

・京都駅から

・地下鉄烏丸線 国際会館行「丸太町駅」まで約7分。2番出口から北へ徒歩7分

・三条京阪前から

・市バス51 北野天満宮・立命館大学行「烏丸下長者町」まで約13分。下車すぐ

※バスの本数が少ないので要注意。土日は1時間に1本です。時刻表
※京阪鴨東線「神宮丸太町駅」から、御所を通り抜けて行くのもいいかもしれません。徒歩約20分です。

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ミィコ
時間がない場合は地下鉄がおすすめ。ふらふら散歩もいいけれど、他の観光地からはちょっとアクセスしにくいかも。

※この記事の史実に関する記載は、護王神社公式サイト・パンフレット、駒札、「京都の寺社505を歩く」を参考に作成しました。

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猫好き管理人ミィコです。京都散策に役立つブログを目指して、スローペース更新中。基本的に市バス・電車で移動です。主に週末ふらふらしています。facebookでブログ更新お知らせ中!