熊野神社 [京都三熊野/新宮] | 聖護院の鎮守社。修験道と熊野信仰

熊野神社 京都

熊野神社は、熊野若王子神社・新熊野神社と合わせて「京都三熊野」と呼ばれています。

弘仁2年(811年)の創建で3社の中で一番歴史があります。1090年には、白河上皇の熊野参詣を案内した修験道の僧 増誉(ぞうよ)が、その功績により賜った寺院「聖護院」の鎮守社となりました。

室町時代になると社域が拡張され壮観を極めますが、応仁の乱で焼失。江戸時代に再興するも、現在は小さな神社になってしまいました。

神社周辺の聖護院地区には京都銘菓・聖護院八つ橋の店舗が集まっています^^

基本情報
熊野神社
所在地 京都市左京区聖護院山王町43
TEL.075-771-4054
境内自由
授与所 9:00~17:00

【1】熊野神社とは

・由緒

嵯峨天皇の御代、弘仁2年(811年)。「修験道」の僧・日圓(にちえん)が、国家守護のため紀州の熊野権現(熊野大神)を勧請し、聖護院の森の鎮守として祀ったのが熊野神社のはじまりです。

1090年には、白河上皇の熊野御幸を案内した修験道の僧 増誉が、その功績により寺院「聖護院」を賜り、熊野三山検校(くまのさんざんけんぎょう)を任じらるとともに、熊野神社はその鎮守社とされ篤く崇敬されました。

これをきっかけに熊野信仰が盛んになり、平安末期には後白河法皇が熱心に熊野御幸を行うと共に当社を篤く崇敬。紀州の土砂や樹木を用いて社頭の整備に力を注いだと伝わります。

さらに、室町時代には足利義満による土地の寄進で、北は近衛通りの近く、南は竹屋町通り、西は鴨川河原に至るという広さとなり壮観を極めたそうです。

熊野権現(くまのごんげん)
熊野三山の祭神である神々をいい、特に主祭神である家津美御子(けつみみこ)(スサノオ)・速玉(イザナギ)・牟須美(イザナミ)のみを指して熊野三所権現、熊野三所権現以外の神々も含めて熊野十二所権現ともいう。 熊野神は各地の神社に勧請されており、熊野神を祀る熊野神社・十二所神社は日本全国に約3千社ある。

出典:Wikipediaより抄録
熊野神社 御神燈
▲本殿の御神燈。熊野権現といえば、使徒は八咫烏

・熊野神社の歩み

  1. 811年、「修験道」の僧・日圓が、国家守護のため熊野権現(熊野大神)を勧請し創建。
  2. 1090年頃? 聖護院の鎮守社となる。
  3. 1160年頃? 後白河上皇が社頭を整備。
  4. 1396年、室町3代将軍 足利義満が広大な社域を寄進。
  5. 1468年、応仁・文明の乱で社殿を焼失。その後荒廃。
  6. 1666年、聖護院宮道寛法親王により再興。
  7. 1835年、下鴨神社旧本殿が移され大修造。
  8. 大正元年(1912年)市電丸太町線の開通、昭和元年(1926年)東大路通の拡幅などにより、社域は大幅に縮小され現在に至ります。
都名所図会 熊野権現社
▲都名所図会 4巻.[3] 天明7年(1787年)発行 国立国会図書館
江戸後期の熊野神社(熊野権現社)

京都三熊野

熊野神社は、明治維新の神仏分離によって現社名に改称されるまでは、白川熊野社、熊野権現社と呼ばれました。

熊野若王子神社・新熊野神社と合わせて「京都三熊野」「京の熊野三山」と呼ばれ信仰されています。

  • 新熊野神社(=本宮) 1160年 後白河上皇 が勧請
  • 熊野神社(=新宮) 811年 修験道の僧・日圓が勧請
  • 熊野若王子神社(=那智) 1160年 後白河上皇 が勧請
熊野三山(くまのさんざん)/世界文化遺産
・熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)
・熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)
・熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)
の総称です。

・縁結び、安産、病気平癒の御利益

御祭神として、夫婦神である伊弉諾尊・伊弉冉尊とその御子神 天照大神がお祀りされている事から縁結び。高倉天皇の中宮・建礼門院が安産祈願をして安徳天皇を出産したことから安産の御利益があるとされます。

さらに、病気平癒、鎮火、厄除、道中安全・守護などの信仰もあり、節分の日には「火の用心のお札」を受ける風習があり、多くの参拝者で賑います。

祭神

  • 伊弉冉尊、伊弉諾尊(いざなぎのみこと、いざなみのみこと)
  • 速玉男尊(はやたまのをのみこと)
  • 事解男尊(ことさかのをのみこと)
  • 天照大神(あまてらすおおみかみ)
熊野神社 絵馬
▲熊野神社の絵馬は八咫烏

・本殿は下鴨神社旧本殿

1468年の応仁・文明の乱で社殿を焼失し、その後荒廃してしまった熊野神社。1666年に衰微を嘆かれた後水尾天皇の皇子、聖護院宮道寛法親王によって再興されました。

そして1835年には朝廷をはじめ多くの寄進により、下鴨神社(賀茂御祖神社)旧本殿が移されるなど大修造が行なわれました。

熊野大神のお使いは八咫烏、下鴨神社の御祭神、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、日本神話の神武東征の際、八咫烏に化身して神武天皇を先導し勝利に貢献したと伝わります。八咫烏のつながりがありますね^^

熊野神社 本殿
▲熊野神社本殿の瓦のモチーフも八咫烏
ミィコ
昔は壮観を極めた寺社も今は‥。応仁の乱(1467~1478年)では、京都の寺社や公家・武家邸の大半が消失し、歴史的資料の多くが失われました。

【2】修験道と熊野信仰

・修験道とは?

熊野権現を勧請し熊野神社を創建したのは、修験道の僧・日圓。

修験道とは、森羅万象に神霊が宿るとする古神道、山に神々が宿るとする山岳信仰、中国から伝来した仏教が習合し、さらに山岳修行を重視する密教の要素が加わって確立した日本独自の宗教です。

衆生の救済を目指した修験者たちは、山岳信仰の対象だった「霊山」とされる山々で修行、神道の神と仏教の仏(如来・菩薩・明王)が一緒に祀られました。

特に熊野三山への信仰は、平安時代の中期から後期にかけて隆盛を極めました。

・熊野信仰と聖護院

寛治4年(1090年)白河上皇の熊野御幸に際して先達を務めたのが、修験僧として名をはせていた増誉大僧正。無事に勤めを果たした功績により最初の「熊野三山検校」に任じられ、賜った寺院が聖護院の始まりです。熊野神社はその鎮守社とされました。

これによって聖護院は熊野の修験組織を束ね、最盛期には修験道の山は120余り、全国に2万5千の末寺を持ったといいます。

後に後白河天皇(1156-58年)の皇子・静恵法親王が宮門跡として入寺して以降、代々法親王が入寺する門跡寺院として高い格式を誇りました。

現在は天台宗の流れをくむ修験道の「本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)の」総本山です。

熊野三山検校(くまのさんざんけんぎょう)
京都において熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の統轄に当った役職で、11世紀末に現地を統括していた熊野別当の上に設置された。

出典:Wikipediaより抄録
ミィコ
修験道の成り立ちを少し知ると、明治政府の神仏分離政策はかなり無理を感じますね^^

【3】御朱印

御祭神イザナギノミコト、イザナミノミコトの国生みがモチーフの見開きサイズ御朱印(書置きのみ)と、通常の御朱印があります。

京都熊野神社 御朱印
▲見開きの御朱印
熊野神社 御朱印
▲通常の御朱印
ミィコ
八咫烏がデザインされた御朱印帳も販売されています。

【4】熊野神社アクセス

[最寄り駅]
・京阪電車鴨東線(おうとうせん)「神宮丸太町」駅下車 東へ徒歩約5分
[バス停]
・市バス「熊野神社前」徒歩約1分

・京都駅バスターミナルから

★京都駅前バスターミナルのりば案内
[D2のりば] 市バス206 北大路バスターミナル行「熊野神社前」まで約29分。

・三条京阪から

京阪電車鴨東線  出町柳行に乗車「神宮丸太町」まで約2分。 4番出口を出て、東へ徒歩約5分。

ミィコ
神社の周辺には、聖護院八つ橋のお店が複数あります^^ 聖護院門跡もすぐ近くです。

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※この記事の史実に関する記載は、熊野神社駒札、 書籍「京都の寺社505を歩く」、Wikipedia、コトバンク等を参考に作成しました。