壬生寺 | 新選組ゆかりの寺。無言劇「壬生狂言」は節分・春・秋に公開

壬生寺 表門

壬生寺は、延命地蔵菩薩をお祀りし、厄除・開運の御利益で庶民の信仰を集めるお寺。

京都の年中行事の一つに数えられる「厄除け節分会(せつぶんえ)」や、仏教の教えをパントマイムで伝える「壬生狂言」でも有名です。

そして、幕末に活躍した「新選組」の聖地巡礼に欠かせないお寺の一つでもあります。

壬生寺の歩みや見どころ、新選組との縁、アクセス方法、御朱印をご紹介します。

基本情報

壬生寺
所在地 京都市中京区壬生梛ノ宮町31
TEL.075-841-3381
寺務所 9:00~16:00

壬生塚・壬生寺歴史資料室
公開時間 9:00~16:00
拝観料 大人300円、小・中・高生100円

壬生寺 公式サイト

【1】新選組との関係

新選組は、幕末の京都で治安維持と反幕府勢力の取り締まりにあたった武装組織・浪士組です。

京都壬生村は新選組の*屯所で、壬生寺境内は兵法調練場として使われました。

*屯所(とんしょ):たむろする所。巡査や兵隊の駐在所。

・新選組の前身は「壬生浪士組」

浪士組とは文久2年(1862年)2月の江戸幕府将軍・徳川家茂の上洛に際して、将軍警護の名目で募集した200名あまりの浪士で結成された組織です。

上洛ののち、帰還命令にしたがわず京都残留を主張したメンバーらは、屯所が京都壬生村であることから「壬生浪士組」と名乗り、文久3年(1863年)3月、京都守護職を務めていた会津藩お預かりとなって京都の治安維持と反幕府勢力の取り締まりを担当することになりました。

同年8月18日の政変での働きを評価され、9月に会津藩より与えられた名が「新選組」です。

・壬生寺境内で武芸の訓練!

新選組は壬生村の八木邸や前川邸およびその周辺の邸宅を屯所とし、壬生寺境内を兵法調練場として利用、武芸などの訓練を行いました。

その一方で、近所の子どもたちを集めて遊んだり、壬生狂言を鑑賞したり、相撲興行を企画したりなど、京都滞在を楽しむエピソードも色々残っているそうです。

後に屯所が西本願寺に移転しても壬生寺境内は引き続き兵法調練場として使われました。そんな縁から、境内に壬生塚(新選組隊士の墓)や近藤勇の銅像が安置されたのです。

ミィコ

壬生一帯は新選組のたまり場だったんですね^^

【2】有名な行事

京都の年中行事の一つに数えられる「節分厄除大法会」や、かね・太鼓・笛の囃子に合わせて、仮面をつけた演者が無言で演じる「壬生狂言」が有名です。

・節分厄除大法会「節分会」

毎年2月に行われる節分厄除大法会「節分会(せつぶんえ)」は、白河天皇の発願で始まったと伝わる伝統ある行事で、壬生寺が京都御所の裏鬼門(南西)に位置することに由来します。

お地蔵さまの誓願である庶民大衆の除災招福を祈願して、三日間にわたり節分厄除け大法要が行われ、大勢の参拝者で賑わいます。

また、素焼きの炮烙(ほうらく)に家族の年齢・性別・願い事などを墨書きして奉納し、壬生狂言の序曲「炮烙割」で割られると、その年の災厄を免れて福徳を得ることが出来るという信仰もあります。

2月の節分の前日と当日の2日間は、厄除け鬼払い壬生狂言「節分」を無料で鑑賞する事ができます。

▲壬生狂言「炮烙割」

・壬生狂言

壬生狂言の正式名は「壬生大念佛狂言」。
鎌倉時代に壬生寺を興隆した円覚上人(えんがくしょうにん)が発案しました。

仏の教えを伝える無言劇がはじまり

正安2年(1300年)円覚上人は壬生寺で「大念佛会(だいねんぶつえ)」を行うにあたり、集まった大勢の人々に仏の教えを説くにはどうすればいいのか考えました。

そこで思いついたのが、身ぶり手ぶりのパントマイム(無言劇)に持斎融通(じさいゆうづう)念佛を仕組むという方法です。これが壬生狂言の始まりと伝えられています。

近世に入ると庶民の娯楽としても発展し、本来の宗教劇以外にも「能」や「物語」も取り入れ、現在上演される演目は30曲です。

娯楽的な演目の場合も演者が仮面をつけ、かね・太鼓・笛の囃子に合わせて無言で演じるスタイルと、勧善懲悪・因果応報の思想を伝えるという仏教劇の性格は変わりません。

▲壬生狂言「土蜘蛛」

・壬生狂言 年間スケジュール

節分・春・秋の3回、12日間の開催です。予約できないので、当日は早めに伺いましょう!

  • 節分の公開
    2月の節分の前日と当日の2日間
    17:00~20:00、毎時0分開演
    壬生狂言30番のうち「節分」のみを4回上演。
    鑑賞料:無料
  • 春の大念佛会
    4月29日~5月5日の7日間
    13:00~17:30(5月5日のみ夜の部もあり:18:00~22:00時)
    鑑賞料:大人1,000円 / 中学・高校生500円
    当日券で自由席のみ。予約、指定席はありません。
  • 秋の特別公開
    10月の連休(体育の日を含む)の3日間
    13:00~17:30
    鑑賞料:大人1,000円 / 中学・高校生500円
    当日券で自由席のみ。予約、指定席はありません。
ミィコ

マイクやスピーカーが無い時代、パントマイムで伝えるアイデアを実践した円覚上人は素晴らしいプロデューサーですね!

【3】壬生寺とは

平安時代中期から、本尊・延命地蔵菩薩による厄除・開運の御利益で信仰されています。

地蔵菩薩
大地のように広大な慈悲で生あるものすべてをすくうという菩薩。
釈迦(しゃか)入滅後,弥勒(みろく)菩薩が如来としてあらわれるまでの無仏の間,衆生を救済するとされる。
菩薩でありながら一般に僧形で,右手に錫杖(しゃくじょう),左手に宝珠をもつ。日本では平安時代からひろく信仰され,とくに子供の守り仏とされる。路傍の六地蔵,地蔵盆などでしたしまれる。

出典:講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus
壬生寺 地蔵尊 扁額
▲本堂・地蔵尊(=地蔵菩薩)の扁額

・律宗の大本山

鎌倉時代に壬生寺を復興した中興の祖・円覚上人によって律宗(りっしゅう)の寺院となりました。

現在 壬生寺は律宗の大本山。ちなみに総本山は奈良の唐招提寺(とうしょうだいじ)です。

律宗
仏教の宗派。中国では十三宗の一、日本では奈良時代の南都六宗の一つ。律とは守るべき規範のことである。インドから中国へ伝えられた。インド各部派の伝えた律蔵のうち4種が漢訳されたが、そのうち「四分律」によって中国で南山律宗、相部宗、東塔宗の律宗が唐代に成立した。なかでも南山律宗は長く命脈を保った。
南山律宗を受けた鑑真(がんじん)は、12年間の苦難のすえ日本に渡り、754年(天平勝宝6)東大寺に入った。そしてここに戒壇院(かいだんいん)を設けて、日本における授戒の根本道場とし、759年(天平宝字3)唐招提寺を開創。日本における授戒は鑑真にまかされ、日本の律宗が発足した。

出典:小学館 日本大百科全書より抄録

・壬生寺の歩み

  1. 創建は正暦2年(991年)。園城寺(三井寺)の僧・快賢が、定朝作の「地蔵菩薩像」を本尊として壬生(現在の壬生寺の東方)の地に寺院を建立。寛弘2年(1005年)に堂供養が行われ、小三井寺と名付けられたといいます。
  2. 承暦年間(1077年~1080年)白河天皇に「地蔵院」の寺号を賜り勅願寺となり、御所の鬼門にあたることから毎年2月に節分厄除大法会が行われるようになりました。
  3. 建暦3年(1213年)信者であった平宗平によって現在地に移されますが、正嘉元年(1257年)伽藍を焼失。
  4. 正元元年(1259年)平宗平の子・平政平と律宗の僧・円覚上人によって復興。律宗の寺院「宝幢三昧(ほうどうさんまい)寺」となりました。壬生狂言は正安2年(1300年)に円覚上人が始めたと伝えられます。
    ※次第に寺名は地名から「壬生寺」と呼ばれるようになります。
  5. 江戸時代の天明8年(1788年)1月、天明の大火によって全山を焼失。翌、寛政元年(1789年)新たに大念仏堂が建立、本堂で行われていた壬生大念仏狂言は大念仏堂で行われるようになりました。文化8年(1811年)本堂が再建され、他の堂舎も次第に復興。
  6. 幕末、新選組の本拠地である屯所が壬生村の八木邸(当寺の北側)に置かれ、壬生寺境内は新選組の兵法調練場に使われました。
  7. 明治時代に入ると廃仏毀釈などの影響で塔頭は衰微しますが、旧本尊の地蔵菩薩半跏像(鎌倉時代後期の作)は「延命地蔵」と呼ばれ、皇族のみならず庶民からも信仰を集めました。
  8. 昭和37年(1962年)放火により本堂、本尊、四天王像などを焼失。その後本堂は再建され昭和45年(1970年)に落慶法要が行われました。現在の本尊「地蔵菩薩立像」は、火災後に律宗総本山・唐招提寺から遷座されました。
ミィコ

境内にある老人ホームは、延命地蔵菩薩の御利益がありそうです!

【4】壬生寺 見どころ

境内の建物は、重要文化財の「大念仏佛堂(狂言堂)」、「中院」以外は近年の再建です。境内の建物が新しいので、歴史の古さは感じにくいかも。

新選組をはじめ、歴史の一端を垣間見るには「壬生寺歴史資料室」がおすすめです。

・本堂、千体仏塔

昭和37年(1962)本堂と本尊・地蔵菩薩像を含む多数の寺宝を焼失しました。

現在の本堂は、律宗総本山・唐招提寺から新しい本尊・延命地蔵菩薩立像(重要文化財)が移されて、昭和45年(1970年)に落慶法要が行われました。

壬生寺 本堂
▲本堂
壬生寺 本堂と千体仏塔
▲本堂と千体仏塔

本堂の左手にある「千体仏塔」は創建1,000年を記念して、平成元年(1988年)に建立。石仏は明治時代、京都市の区画整理の際に集められたもので、阿弥陀如来像や地蔵菩薩像など1,000体がミャンマーのパゴダのように円錐形に安置されています。

壬生寺 千体仏塔
▲千体仏塔

・阿弥陀堂、壬生寺歴史資料室

堂内には阿弥陀如来三尊像が安置され、売店では御守・新選組オリジナルグッズ・書籍などが販売されています。入場無料。建物は平成14年(2002年)に再建。

地階に壬生寺歴史資料室があり、寺宝や新選組の関連資料が展示されています。阿弥陀堂の奥に、壬生塚(新選組隊士墓所)への入口があります。壬生寺歴史資料室と壬生塚は有料。

壬生寺 阿弥陀堂
▲阿弥陀堂

・壬生塚(新選組隊士の墓所)

阿弥陀堂の東方にある池の中の島に壬生塚があります。拝観有料。

  • 新選組局長 近藤勇の胸像と遺髪塔
  • 新選組屯所で暗殺された隊士・芹沢鴨と平山五郎、勘定方・河合耆三郎の墓
  • 隊士7名の合祀墓。池田屋騒動で亡くなった隊士・奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門らも葬られています。
壬生寺 庭園の龍
▲壬生塚の前にある池の龍
壬生寺 壬生塚
▲壬生塚
壬生寺 近藤勇像
▲近藤勇像

・中院

壬生寺に唯一残る塔頭です。文政12年(1829年)の再建。

  • 洛陽三十三観音霊場・第二十八番札所
    本尊・十一面観音菩薩(鎌倉時代作)は、福寿無量のご利益があり健康長寿に霊験あらたかな観音様です。
  • 京都十二薬師霊場・第四番札所
    歯薬師如来像が安置されています。
壬生寺 中院
▲中院

・大念仏佛堂(狂言堂)

「壬生狂言」が演じられる、類例の稀な芸能関係の建築物(重要文化財)です。安政3年(1856年)の再建。

2階建てで、階上に舞台・橋掛り等が設けられています。能舞台や神楽殿との共通点もある反面、飛び込みや裏通路を一つの屋根に取込み、階下を楽屋や客間とするなどの違いがあります。

・その他

水掛地蔵堂、よなき地蔵、弁天堂、三福川稲荷、一夜天神堂などもあります。

ミィコ

壬生寺歴史資料室はおすすめです。壬生狂言のお面や、新選組の「浅葱色のだんだら模様の羽織」のレプリカを見ることが出来ます^^

【5】御朱印

御朱印を拝受できる場所は、本堂の右にある寺務所です。
受付時間:9:00〜16:00

壬生寺 寺務所
▲寺務所・朱印所
壬生寺 地蔵尊 御朱印
▲地蔵尊 御朱印

壬生寺の御本尊「地蔵尊」の他には、洛陽三十三観音霊場「十一面観音菩薩」、京都十二薬師霊場「歯薬師如来」、弁財天の御朱印があります。

壬生寺 御朱印
▲御朱印
ミィコ

今回は地蔵尊の御朱印を拝受しました。

【6】壬生寺 アクセス

近くには、京都 清宗根付館や元祇園 梛神社・隼神社があります。

・最寄駅から

  • バス停「壬生寺道」から徒歩約3分。
  • 阪急京都線「大宮駅」2B出口、嵐山線「四条大宮駅」から徒歩約8分。
[地図]
A地点:阪急電車「大宮駅」
B地点:市バス「壬生寺道」
C地点:壬生寺

・四条河原町から

  • 阪急電車 京都線 大阪梅田行きに乗車「大宮駅」下車。
    ※特急は止まりません。快速特急・通勤特急は止まります。

・京都駅から

  • 市バス
    ★京都駅前バスターミナルのりば案内
    [D3のりば] 市バス26 北野白梅町・御室仁和寺・山越行に乗車。「壬生寺道」下車。
    [C6のりば] 市バス28 大覚寺行に乗車。「壬生寺道」下車。
    ※「壬生寺道」までの乗車時間:約14分。
  • TAXI 所要時間 約9分
    総距離 約2.8km タクシー料金検索
    ※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。
ミィコ

新選組の聖地巡礼といえば、壬生寺ははずせません!

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※この記事の史実に関する記載は、壬生寺公式サイト、駒札、Wikipedia等を参考に作成しました。