石像寺(しゃくぞうじ)は、病や心の苦しみの象徴とされる「釘」を抜いて救済してくださるという御利益から、釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)の愛称で親しまれる寺院です。
八寸釘2本と釘抜がセットになった「御礼絵馬」がびっしり貼り付けられた本堂の外壁は一見の価値あり。古いものから新しいものまで、1,000枚くらいあるそうです。御利益への期待が高まりますね^^
正式な参拝方法と御朱印の拝受のしかたをご紹介します。
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【1】石像寺(釘抜地蔵)とは
石像寺は、空海(弘法大師)によって創建されました。御本尊は、空海が唐から持ち帰った石に自ら彫ったと伝わる地蔵菩薩です。
その地蔵菩薩は、3尺6寸(1.09m)の石像で、人々を諸悪・諸苦・諸病などの苦しみから救済してくださるよう祈願して「苦抜(くぬき)地蔵」と名付けられたと伝わります。
「くぬき」がなまって「くぎぬき」の名で知られるようになるのは、室町時代末期頃です。
・釘抜地蔵の伝説
室町時代末期の1556年頃、または弘治年間(1555~1558年)の出来事です。
商人・紀ノ国屋道林(どうりん)は、治療をしても治らない両手の激しい痛みに苦しみ、霊験あらたかと評判の苦抜地蔵菩薩に7日間の治癒祈願をしました。
7日目の満願の夜、道林の夢に地蔵菩薩が現れ、「痛みの原因は前世で人を怨み、人形(ひとがた)の両手に八寸釘を打ち込み呪った罪によるものです。釘を抜いてあげましょう。」と告げ、2本の八寸釘を抜いて示されたのです。
道林が夢から覚めると両手の痛みは消え去っていました。寺に駆けつけると、地蔵尊の前に血に染まった2本の八寸釘が!! 驚いた道林は、地蔵尊の功徳に感謝し、その後100日間参詣したということです。
この因縁話から「苦抜地蔵」は「釘抜地蔵」と呼ばれるようになったと言われます。
・釘抜地蔵のご利益
身体の病気や、心の苦しみから解放されたい人々の信仰を集めています。
石像寺では「釘」は苦しみの象徴です。あらゆる病や苦しみは釘が刺さった事が原因とされ、地蔵尊に祈願すると「釘抜き(平癒)」の救済があると信じられています。
苦しみから解放されたあかつきには、2本の八寸釘と釘抜きを張り付けた御礼絵馬を奉納するのが習わしです。
・石像寺の歩み
- 平安時代、弘仁10年(819年)弘法大師・空海が創建。当時は、真言宗の「光明遍照院石像寺」と呼ばれました。
- 鎌倉時代、重源(ちょうげん/1121~1206年)が中興し浄土宗に改宗。その後、歌人・藤原家隆(1158~1237年)が入寺し、以後、山号は「家隆山」になりました。
- 室町時代末期(1556年頃)「釘抜地蔵」と呼ばれようになります。
- 江戸時代、慶長19年(1614年)西蓮社厳誉(さいれんしゃがんよ)が再興。
寛文年間(1661~1673年)に洛陽四十八願所の霊場のひとつになりました。享保15年(1730年)の大火・西陣焼けで焼失した後、再興。
空海[774~835年]
出典:平凡社 百科事典マイペディア より抄録
平安時代の僧。弘法大師。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。高野山,東寺を密教の根本道場とし,各地を巡歴。東大寺別当を兼ね綜芸(しゅげい)種智院を創設,密教を宗派として確立した。
重源[1121~1206年]
出典:旺文社日本史事典 三訂版 より抄録
鎌倉初期の浄土宗の僧。初め醍醐寺で真言を,のち法然に師事し浄土教を学ぶ。1167年以後3度入宋。’81年焼失した東大寺再建の大勧進職に補せられ,’95年大仏様の大仏殿が完成。この間民衆の教化・救済など社会事業を推進,地方寺院建立にも尽力した。
説得力を感じさせる伝説です!もし、この伝説に仕掛け人がいたとしたら、かなりやり手のプロデューサーですね。なんて夢のない妄想してすみません‥
【2】石像寺 見どころ
通称「釘抜地蔵」と言われるだけあって釘抜きがいっぱい。
圧巻は本堂ですが、境内には釘抜のモニュメントもあるので要チェックです。
・表門と釘抜きオブジェ
門には、山号の「家隆山」の文字が見えます。奥に進むと、二つ目の門の左手前にひっそりと釘抜きのオブジェがお出迎え。
釘抜きは苦を抜くための象徴となるモチーフ。境内にもたくさんあるので探してみてください^^
・釘抜モニュメント
本堂の前の釘抜モニュメントは、昭和39年(1964年)に、日本画家・堂本印象(1891-1975年)が、母の回復祈願のために奉納されたそうです。
・本堂(地蔵堂)
本堂には空海が自ら彫ったという地蔵菩薩が安置されているそうです。
印象的な赤い提灯をくぐってお参りをし、本堂の裏側にまわると、壁面には2本の八寸釘と釘抜がセットになった「御礼絵馬」がタイルのようにビッシリ貼り付けられています! これは相当珍しいですね^^
そして本堂裏の壁面には、御礼絵馬の中に埋もれるように、釘抜地蔵尊の小さな参拝口もあります。地蔵尊は、本堂のかなり奥の方に安置されていると思われます。こちらも参拝必須ですね。
・石造り阿弥陀三尊像
地蔵堂の裏には、石造り阿弥陀如来坐像と脇侍の観音菩薩・勢至菩薩(せいしぼさつ)像が安置されています。(重要文化財)
銘によると元仁2年(1225年)に完成したもので、一つの石(花崗岩)から掘り出した石仏としては日本最古と言われます。
・大師堂
開山の弘法大師をお祀りする観音堂(開山大師堂)には、飛鳥時代、行基(668-749年)作ともいわる観世音菩薩が安置されています。
・その他
境内の奥に墓地があり、藤原定長(寂蓮)、藤原家隆、藤原定家、藤原為家の小さな供養塔・お墓があります。寂蓮、家隆、定家は石像寺に住したと言われています。
そして墓地の脇にある、弘法大師・空海が自ら堀って加持水に用いたという井戸は現在も水が涌いていて、患部に塗ると霊験があると伝わります。
お堂にびっしり貼り付けられた御礼絵馬は圧巻。八寸釘と釘抜がセットになった御礼絵馬は道具箱みたいでちょっと可愛いです^^
【3】正式参拝(お百度)のしかた
正式な参拝方法は、お百度(おひゃくど)です。
お百度とは、願い事を心に浮かべながら、地蔵堂を中心に時計回り(右回り)で100回、もしくは数え年の回数を巡りながら祈願する参拝方法です。
- 寺務所でロウソクとお線香を購入してお供えします。
- 地蔵堂の正面で参拝。
- 100回もしくは数え年の回数、地蔵堂の周りを巡りながら祈願します。
※途中で何周したか分からなくなりそうな場合は、お堂の右にある箱の中にある、竹の棒を回数分持って、1周ごとに箱に戻すといいそうです。
数え年
出典:Wikipedia、Weblioより抄録
生まれた時点の年齢を1歳とし、以後元旦が来るごとに1歳を加算します。生まれた年を1歳とする理由は、胎内にいる期間を0歳とする仏教の考え方に基づく、命をとても大切にしている考え方です。
それに対して満年齢は、生まれた時点の年齢を0歳とし、以後誕生日の午前0時に1歳を加算します。
数え年は、
・元旦から誕生日の午前0時直前までは「満年齢+2」
・誕生日以降は「満年齢+1」
気合で回数を覚えながら巡りました!が、途中で無心になった気がしたので、もしかしたら周り過ぎたかも!?
【4】御朱印
正式参拝のお百度をした方のみ拝受できます。
ご住職が、素晴らしい筆さばきで書いてくださいました。
【5】石像寺 アクセス
最寄りバス停「千本上立売」から徒歩3分です。
・京都駅前バスターミナルから
- 京都駅前バスターミナルのりば案内
[A3のりば] 市バス206、6系統 千本通り・北大路バスターミナル行に乗車「千本上立売」下車。乗車時間:約30分 - TAXI 所要時間 約20分
総距離 約6.4km タクシー料金検索
※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。
・三条京阪から
- [A2のりば] 市バス59 金閣寺・竜安寺・山越行に乗車「千本上立売」下車。乗車時間:約26分
- TAXI 所要時間 約15分
総距離 約4.9km タクシー料金検索
※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。
石像寺(釘抜地蔵)の近くには大報恩寺(千本釈迦堂)があります。北野天満宮へも徒歩圏内です。
※この記事の史実に関する記載は、書籍「京都の寺社505を歩く」、読売新聞記事、Wikipedia、京都風光サイト等を参考に作成しました。
石像寺(しゃくぞうじ)[正式名称:家隆山光明遍照院 石像寺]
所在地 京都市上京区花車町503
TEL.075-414-2233
拝観時間 8:30~16:30
境内無料