新熊野神社 [京都三熊野/本宮] | おなかの神様、巨大クスノキが目印

新熊野神社 扁額

新熊野神社は「新熊野」と書いて「いまくまの」と読みます。

“熊野権現” を熱烈に信仰した後白河上皇は、生涯に33~34回も紀伊国の熊野に参詣されましたが、あまりに遠いため自身の住居の近くにも“熊野権現”を勧請。それが新熊野神社です。

創建以来350年にわたり京都の熊野信仰の中心として繁栄を極めたのち、応仁の乱で焼失。廃絶同様の状態をへて江戸時代に再興されました。

神社の目印でもある巨大なクスノキは後白河上皇の手植えと伝わり、神社の歴史をずっと見守ってきました。現在ではこの木も「樟大権現」として信仰されています。

基本情報

新熊野神社(いまくまのじんじゃ)
所在地 京都市東山区今熊野椥ノ森町42
TEL.075-561-4892
境内自由
授与所 9:00~17:00
新熊野神社 公式サイト

【1】新熊野神社とは

1160年、後白河上皇の住まいである仙洞御所「法住寺殿(ほうじゅうじどの)」の敷地内に、鎮守社ととして熊野権現本宮の神(三所権現)を勧請し創建されたのが新熊野神社です。

上皇の命を受けた平清盛が熊野の土砂や材木を用いて社域や社殿を築き、那智の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したと伝わります。

皇室の崇敬篤く、広壮な社域と社殿は荘厳を極め長く繁栄しました。

新熊野神社という名の由来は、紀伊国(和歌山県)に古来より鎮座する熊野に対して、京都に勧請された新しい熊野神社、「新」=「今」という意味だそうです。 現在このあたりの地名は今熊野に統一されています。

第77代 後白河天皇[1127~1192]
平安末期の天皇。鳥羽天皇第四皇子。1155年即位,保元(ほうげん)の乱では勝利し,1158年譲位,その後5天皇の代にわたって院政を行った。

その間,平治(へいじ)の乱から鎌倉幕府の成立という激しい情勢の変化に対処し,源頼朝をして〈日本国第一之大天狗〉といわせたほど巧みな政略で朝廷権威の存続を図った。

また仏教を保護し,今様(いまよう)を好み歌謡集《梁塵秘抄(りょうじんひしょう)》を撰した。

出典:百科事典マイペディア

熊野権現(くまのごんげん)
熊野三山の祭神である神々をいい、特に主祭神である家津美御子(けつみみこ)(スサノオ)・速玉(イザナギ)・牟須美(イザナミ)のみを指して熊野三所権現、熊野三所権現以外の神々も含めて熊野十二所権現ともいう。 熊野神は各地の神社に勧請されており、熊野神を祀る熊野神社・十二所神社は日本全国に約3千社ある。

出典:Wikipediaより抄録
新熊野神社
▲新熊野神社 鳥居
新熊野神社 復元地図
▲新熊野神社 復元図(駒札より)/現在、法住寺池は跡形もないです。

・京都三熊野の本宮

後白河上皇は “熊野権現” を熱心に信仰、往復1ヵ月かかる熊野三山への参詣を生涯で33~34回も行いました。しかし、紀伊国(和歌山県)はあまりに遠いので、自らが住まう法住寺殿の領地内に熊野権現を勧請したのです。

鴨川を熊野川に見立て、「本宮」を地形ごと京都に再現した新熊野神社。熊野参詣の際には、新熊野神社に参拝した後に紀州に出発されたそうです。

京都三熊野

  • 新熊野神社(=本宮) 1160年 後白河上皇 が勧請
  • 熊野神社(=新宮) 811年 修験道の僧・日圓が勧請
  • 熊野若王子神社(=那智) 1160年 後白河上皇 が勧請

以前からあった京都熊野神社に加え、さらに熊野権現を勧請し整備したのが「京都三熊野」です。

熊野三山(くまのさんざん)

・熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)
・熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)
・熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)

上記三つの神社の総称で、現在は世界文化遺産に登録されています。

・新熊野神社の歩み

  1. 1160年、後白河上皇は平清盛・重盛父子に命じ、仙洞御所「法住寺殿」の鎮守社として、紀伊国・熊野三山の熊野権現を勧請し「新熊野神社」を創建。
  2. 1178年、第80代 高倉天皇が中宮徳子(建礼門院)のために安産祈願をしたことから、「安産の神様」としても信仰を集めました。
  3. 1374年、観阿弥・世阿弥 父子が大和の猿楽結崎座の興行を行い、室町三代将軍 足利義満と出会い庇護をうけました。
  4. 1470年、応仁・文明の乱で焼失。長く廃絶同様の状態となりました。
  5. 江戸時代、後水尾天皇の中宮東福門院によって再興。聖護院宮道寛親王(後水尾上皇の皇子)が1663年に現在の本殿を修復しました。
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法住寺殿の敷地内には鎮守寺・三十三間堂も創建されました。そうなんです。当時の法住寺殿の敷地は東山の麓から西は鴨川河岸、南北は八条坊門小路から六条大路(六条通り)に及ぶ広大なものだったのです。

【2】御利益と見どころ

新熊野神社は、健康長寿(特にお腹の神様)・目標達成・芸能上達・縁結びのご利益で有名です。

・おなかの神様|樟大権現

そびえ立つ樹齢900年と推定される巨大クスノキは、新熊野神社の創建時に紀州熊野より運ばれ、上皇が手植えしたと伝えられます。

熊野の神々が降り立つ、影向の大樟(ようごうのおおくすのき)と呼ばれ、「樟大権現」として多くの人々に信仰されるとともに、「樟龍(しょうりゅう)弁財天」 としても信仰されています。

影向:神仏が現われるという意味
権現:熊野の神の化身という意味

この木は、後白河上皇が患っていたお腹の病が治まったといういわれから「おなかの神様」、現在も成長し続けている姿から「健康長寿」「病魔退散」のご利益があるとされています。

巨大クスノキ
▲巨大クスノキは新熊野神社の目印
樟大権現
▲樟大権現として祀られています。

・目標達成|本殿と八咫烏

本殿に祀られている主祭神は、熊野牟須美大神(くまのむすびのおおかみ)。

熊野に鎮座する、この世に存在するあらゆる生命の根源を司っている神さまで、日本神話では伊弉冉尊(いざなみのみこと)と称されます。

本殿は全国的にみても類例の少ない「熊野造り」と呼ばれる神社建築様式。構造形式、平面構成共に「熊野本宮証誠殿」と同じで、京都市の重要文化財に指定されています。

そして、もちろん御神鳥は熊野神のお使い八咫烏(やたがらす)。「目標達成の神」「勝利をもたらす神」「幸運をもたらす神」として信仰されています。

※本殿以外に、上之社・中之社・若宮社・下之社もあり、熊野十二所権現が祀られています。

▲新熊野神社 本殿
新熊野神社 八咫烏
▲屋根に八咫烏
新熊野神社 八咫烏

・縁結びの御利益 |ご神木

ご神木は、本殿の左右にある梛(なぎ)の木。ご利益がいっぱい。

  • 災い、病魔、汚れをナギ祓う霊験があると信仰されています。
  • 容易には切れないことから縁結び、実が二つ並んで仲良く実るところから夫婦円満のご利益があるとされています。
  • 朝凪・夕凪のナギから安全・無事を守り、平和と幸福を招来する霊樹といわれ、熊野詣などには道中安全のお守りとされました。

ちなみに、神社の周辺は、かつて「梛の宮」と呼ばれ、現在も今熊野椥ノ森町と呼ばれることから、椥の木が茂っていた地域であったと考えられます。

・芸能上達の御利益|能楽発祥の地

新熊野神社は、能楽の祖の観阿弥・世阿弥父子が「新熊野神事能楽」を披露した場所で、至芸に感動した室町幕府三代将軍 足利義満が二人を庇護するようになった機縁の地です。

この今熊野での猿楽演能は日本芸能史における変革点と言われ、現在日本の伝統芸能「能」「狂言」「歌舞伎」は、すべてここから始まりました。

境内には、世阿弥直筆の著書から採った『能』と刻まれた記念碑が置かれています。

・京の熊野古道

現在は広いとは言えない境内ですが、境内の裏手に「京の熊野古道」という小さなテーマパーク?のような展示があります。

往時の繁栄は偲べませんが、熊野三山の成り立ちや歴史を知ることが出来ます。

京の熊野古道
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平安時代に大流行した熊野参詣。平安時代の天皇は、今でいうインフルエンサーだったんですね。

【4】御朱印、絵馬

神仏習合時代の伝統的な「新熊野社」の御朱印をいただきました。
他に、「新熊野神社」「樟大権現」と書かれたタイプもあります。カラス文字が面白いです^^

・カラス文字の御朱印

カラス文字と、八咫烏、能面のハンコがポイントになっています。

新熊野神社 御朱印

・八咫烏の絵馬

絵馬のモチーフは八咫烏。樟大権現バージョンはカラフルで華やか。

新熊野神社 絵馬
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三本足が特長の八咫烏は、導きの神として信仰され、太陽の化身ともされるそうです。

【5】新熊野神社アクセス

  • 京阪本線「七条駅」から徒歩約15分。
  • 京阪本線、JR奈良線 「東福寺駅」から徒歩約8分。
  • 京都市バス停留所「今熊野」から徒歩約3分。

地図のB地点が新熊野神社です。

・京都駅バスターミナルから

★京都駅前バスターミナルのりば案内
[D2のりば] 市バス208 東福寺・九条車庫行 「今熊野」まで約23分。

・京都駅から

JR奈良線「東福寺駅」まで約2分、快速も停車します。

・三条京阪から

京阪本線 淀屋橋行き乗車
・「七条駅」まで約4~5分。特急も停車します。
「東福寺駅」まで約6~7分。※特急は停車しません。

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三十三間堂、法住寺とセットで参拝して、後白河上皇の時代を偲んでみるのはいかが?

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※この記事の史実に関する記載は、新熊野神社公式サイト、駒札、京都通百科辞典サイト、Wikipedia、コトバンク等を参考に作成しました。