河合神社 | 鏡絵馬で美人祈願!綺麗になれるパワースポット

河合神社 鳥居

河合神社は、下鴨神社の境内・糺の森(ただすのもり)の南端に鎮座する古社。

女性守護・美麗の神様として篤く信仰され、最近は、鏡絵馬の美人祈願で知られています。

境内には鎌倉時代の歌人・随筆家、鴨長明(かものちょうめい)ゆかりの方丈庵が復元展示されています。長明と河合神社の関係とは?

河合神社の由緒、鏡絵馬の祈願方法、御朱印、アクセス方法などをご紹介します。

基本情報

河合神社(かわいじんじゃ)
所在地 京都市左京区下鴨泉川町59
TEL.075-781-0010
参拝時間 6:30~17:00
鏡絵馬 9:00~16:00
河合神社 公式サイト

【1】河合神社の由緒

河合神社は現在、下鴨神社の第一摂社ですが、かつては独立した神社で、鎮座されたのは神武天皇の御代(BC 660~BC 585年)と伝わる由緒深いお社です。

河合神社

・名前の由来

「河合神社」は、延長5年(927年)編纂の延喜式神名帳に「鴨河合坐小社宅神社(かもの かわあいにます おこそやけ じんじゃ)」と掲載された格式の高い式内社(名神大社)です。

小社宅神とは、社家(しゃけ)の屋敷神のことで、賀茂川と高野川の合流部に古くから祀られてきたと考えられています。※社家:代々特定神社の奉祀を世襲してきた家(氏族)のこと。

鎮座されている場所をストレートに表したお名前ですね。

また、古くは、糺の森に鎮座されていることから「河合社」を「タダスノヤシロ」と読むのが慣例だったそうです。

名神(みょうじん)
神々の中でも特に霊験が著しいとされる神に対する称号。その神を祀る格式の高い、官幣大社・国幣大社が名神大社とよばれました。

・河合神社の歴史

  1. 創建年代は不詳。日本の初代天皇・神武天皇の頃(BC 660~BC 585年)と伝えられます。
  2. 天安2年(858年)明神大社に列す。歴史書『文徳実録』天安2年8月19日条に「鴨川合神」とあるのが文献上の初見。
  3. 縁起元年(901年)12月28日の官符には「河合社、是御祖、別雷神の苗裔神(びょうえいのかみ)也。」とあります。※神社において親子関係にある神が祀られる場合、子に当たる神のことを御子神(みこがみ)、苗裔神といいます。
  4. 延長5年(927年)延喜式神名帳に「鴨河合坐小社宅神社」と掲載。
  5. 寛仁元年(1017年)神階正二位、元歴2年(1185年)正一位に列せられました。
  6. 明治10年(1887年)賀茂御祖神社(下鴨神社)の第一摂社となりました。

・御祭神と御利益

  • 御祭神:玉依姫命(たまよりひめのみこと)

玉依姫命は、初代天皇・神武天皇の御母神
美人祈願・縁結び・安産・育児・学業・延命長寿など、女性守護の神様として信仰されています。

また、玉のように美しかったことから美麗の神、日本第一美麗神とされ、鴨川と高野川の合流地点に鎮座されている事から、男女の仲を守る神として霊験があると伝わります。

河合神社の御祭神は、下鴨神社御祭神の玉依媛命ではありません。
タマヨリビメ(タマヨリヒメ、玉依姫、玉依媛)は「神霊の依り代(巫女)となるヒメ」を意味し、この名前をもつ女神は複数存在します。

ミィコ

日本の建国神話「神武東征」で、神武天皇を導いた八咫烏は下鴨神社のご祭神・賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)。神武天皇の御母神との関連はわかりません‥

【2】鏡絵馬で美人祈願

手鏡の形をした鏡絵馬(かがみえま)に、理想の自分の姿を描いて美人祈願をするというスタイルが大人気。

曇りのない鏡のような、美しい心を持つことを心がければ、その美しさはおのずと外面に表れてくるはず。絵馬に願いを託して、外見だけでなく内面も磨いて美しくなりましょう!という願掛けです。

本殿の前にある「鏡絵馬奉納所」には、個性豊かな鏡絵馬がいっぱい。より美しくなりたいという女性の願望が集まっています。

鏡絵馬
拝受できる時間:9:00~16:00
初穂料:800円

河合神社 鏡絵馬
▲奉納された個性豊かな鏡絵馬たち

・鏡絵馬の描き方

まずは本殿にお参りしてから、鏡絵馬を拝受しましょう。

鏡絵馬は、あらかじめ顔が描かれたタイプと無地タイプがあります。絵心のある方は無地タイプを選んでアーティスティックに表現するのが楽しいかも^^

絵馬を書くための「鏡絵馬お化粧室」があるので、ゆっくり描くことができますよ。自分の化粧品でキレイにするのも良し、用意されているクレヨンや色鉛筆でお化粧してもOKです。

鏡絵馬に願いを託します。
  1. 表面
    絵馬の表面に描かれている顔を自分の顔に見立て「美しい女性になりなすように」と願いを込めて自身の化粧品等で美しくお化粧してあげてください。
  2. 裏面
    印刷された下鴨神社の御神紋「二葉葵」は、神様との出会いを意味します。御神紋の横に願い事を、持ち手の部分に自分の名前を書きます。
河合神社 鏡絵馬
▲鏡絵馬にお化粧します!
河合神社 鏡絵馬お化粧室
▲鏡絵馬お化粧室

・美人祈願のしかた

本殿の鏡の前で祈願して、鏡絵馬を奉納。
  1. 神様へのお願いを託した鏡絵馬が完成したら本殿へ向かいます。
  2. 本殿右前の拝殿に置かれている、霊験あらたかな「鏡」に自分を映して神様に祈願します。
  3. 鏡絵馬奉納所に願いを託した鏡絵馬を奉納します。

御利益が楽しみですね^^

河合神社 鏡
▲霊験あらたかな鏡の奥に見えるのが本殿。
河合神社 鏡絵馬
▲鏡絵馬奉納所

・美白の霊石「御白石」

御白石(おしらいし)は美白効果があるといわれる霊石。
御白石の前方の鏡に自分を映して祈願したあと、御白石を撫で、その手で自分の顔を撫でると白く美しい肌の美人になれるんだとか。

河合神社 御白石
▲御白石
ミィコ

楽しんで鏡絵馬を描いて祈願するだけでも、リラックス効果がありそうです!

【3】河合神社の見どころ

延宝7年(1679年)式年遷宮の際の建築とされる本殿とともに、最近では、鏡絵馬奉納所、方丈庵、サッカーの神様とされる摂社・壬部社が注目されています^^

・神門

河合神社
▲神門

・舞殿

河合神社 舞殿
▲舞殿

・拝殿、本殿

  • 本殿にお祀りされているのは主祭神:玉依姫命(たまよりひめのみこと)。

河合神社の御垣内(みかきうち)に、東(右)から西へ、本殿、[摂社] 貴布禰神社・壬部社と並んで鎮座されています。

かつては21年毎に式年遷宮が行われており、現在の社殿は、延宝7年(1679年)の式年遷宮の際の建築とされます。本殿は下鴨神社の本殿古社を利用したとされるため、ほぼ同じ作りのようです。三間社流造(さんげんしゃながれづくり)檜皮葺。

河合神社 拝殿
▲拝殿
河合神社 本殿
▲左:貴布禰神社、右:本殿

・摂社

  • 貴布禰(きふね)神社
    御祭神:高籠神(たかおかみのかみ)
    水の神様として崇敬される神様。応保元年(1161年)「神殿屋舎等之事」に、河合神社の御垣内に祀られていたことが収載されています。
  • 壬部社(とうべのやしろ)
    御祭神:八咫烏命(やたからすのみこと)。河合神社創祀より祀られている社。古名は専女社(とうめのやしろ)と言い、「専女」とは稲女とも書き食物を司る神々が祀られていたことを示しています。

    昭和6年(1951年)八咫烏が日本のサッカー協会のシンボルマークとなって以来、サッカー必勝の守護神として有名になりました。
河合神社 任部社
▲サッカーボールの奥に見える、小さな社が壬部社
  • 三井社 [三塚社]
    御祭神:中社/賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、東社/伊賀古夜日売命(いかこやひめのみこと)、西社/玉依媛命(たまよりひめのみこと)
    河合神社の神門の前に鎮座されています。古代、下鴨神社は山城国愛宕(おたぎ)、葛野郷(かづぬごう)を領有し下鴨神社の分霊社が祀られました。この社は鴨社蓼倉郷(たてくらごう)の祖社として祀られていた神社です。
河合神社 三井社
▲三井社
  • 六社(むつのやしろ/ろくしゃ)
    1201年の「鴨社古圖」によると、御垣内にそれぞれ祀られていましたが、江戸時代の式年遷宮以来、一棟になりました。衣食住の守護神。

    右から、[1] 諏訪社(すわしゃ)、[2] 衢社(ちまたしゃ)、[3] 稲荷社(いなりしゃ)、[4] 竈神(かまどのかみ)、[5] 印社(いんしゃ)、[6] 由木社(ゆうきしゃ)
河合神社 六社
▲六社
ミィコ

記念写真を撮る女子やカップルで一番賑わっていたのは鏡絵馬奉納所です^^

【4】河合神社と鴨長明

河合神社の境内にある1丈(約3m) 四方の小さく質素な家は、鴨長明が1212年に随筆「方丈記」を著したとされる庵室を復元したものです。

長明が50歳で出家し、各地を転々と移動しているあいだに「栖(すみか)」として完成した方丈で、移動に便利なようにすべて組立式となっているそうです。

・方丈庵(復元)

河合神社 方丈庵
▲方丈庵

方丈記
鴨長明による鎌倉時代の随筆。和漢混淆文による文芸の祖。日本中世文学の代表的な随筆とされ、『徒然草』、『枕草子』とならぶ「古典日本三大随筆」に数えられる。

「ゆく河の流れは絶えずして,しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶ泡(うたかた)は,かつ消え,かつ結びて,久しくとどまりたるためし無し」で始まる格調高い文章で有名です。

・鴨長明は下鴨神社の神職出身

鴨長明は、賀茂御祖神社(下鴨神社)の禰宜(神職)鴨長継の次男として生まれ、神職となり従五位下に叙せられました。幼少より学問・和歌に優れ、後鳥羽院に見いだされ御和歌所の寄人となり、宮廷歌人として活躍した事で知られています。

鴨長明(かものちょうめい/かものながあきら)[1155年頃~1216年]
鎌倉時代前期の歌人,随筆家。賀茂御祖神社の禰宜 (ねぎ) 長継の次男。従五位下に叙せられ,南大夫または菊大夫と呼ばれた。琵琶を中原有安に,和歌を俊恵 (しゅんえ) に学ぶ。後鳥羽上皇の和歌所設置に伴い,寄人 (よりうど) に選ばれ,多くの歌会,歌合に参加。上皇の恩顧により,河合神社の禰宜に任じられようとしたが,同族 鴨祐兼 (すけかね) の反対により実現せず,これを機に 50歳で出家,法名を蓮胤 (れんいん) と号し,日野の外山に隠棲した。随筆『方丈記』は,この出家後の著作。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 より抄録

・河合神社の禰宜就任を望むが‥

元久元年(1204年)、かねてより望んでいた河合神社の禰宜の職に欠員が生じたことから長明は就任を望み、後鳥羽院から推挙の内意を得ます。

しかし、賀茂御祖神社(下鴨神社)禰宜の鴨祐兼が長男の祐頼を推して強硬に反対したことから、長明の希望は叶わず、神職としての出世の道を閉ざされました。

・出家して随筆家となる

神職をあきらめた当時50歳の長明は近江国甲賀郡大岡寺で出家。

東山→大原→日野(現・京都市伏見区醍醐)で閑居生活を送り、建暦2年(1212年)随筆『方丈記』、歌論書の『無名抄』、説話『発心集』などを著しました。

建保4年(1216年)62歳没。

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神職の出世競争も過酷だったんですね。挫折を味わったからこそ、素晴らしい作品が生まれたとも言えそうです。

【5】御朱印

「河合大明神」御朱印は書置きのみ。下鴨神社の摂社なので、二葉葵の御神紋の印が押してあります。

河合神社 御朱印
ミィコ

御朱印の初穂料は500円。文字は印刷、日付だけ手描きです。

【6】河合神社 アクセス

一番お薦めは「出町柳駅」からの参拝コース。
鴨川を渡り、糺の森(ただすのもり)の表参道を歩く正式ルートで、徒歩約8分です。

最寄り駅

  • 京阪電車 鴨東線・叡山電車「出町柳駅」
  • 市バス「出町柳駅前」

バス停「下鴨神社前」は、河合神社とかなり離れています。バス停「糺の森」も微妙な場所なので、出町柳駅をお勧めします。

[地図]
A地点:出町柳駅
B地点:河合神社

・京都駅から

・四条河原町から

  • [Fのりば] 市バス4 下鴨神社行に乗車「出町柳駅前」下車。乗車時間:約15~16分。※205系統 下鴨神社行は出町柳駅には行きませんのでご注意。
  • [Gのりば] 市バス3、17 出町柳行に乗車「出町柳駅前」下車。

[地図]
緑のバスアイコン、上からGのりば、Fのりばです。

ミィコ

近くには、豆餅が有名な「出町ふたば」や、「加茂みたらし茶屋」など、有名な門前菓子のお店があります。

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※この記事の史実に関する記載は、河合神社駒札、「京都大辞典」等の書籍を参考にしました。