北野天満宮 | 学問の神様 菅原道真の伝説、見どころとアクセス

北野天満宮

北野天満宮は、太宰府天満宮とともに学問の神様・菅原道真を祀る全国の天満宮の総本社。

参道を進むと、静かに横たわる臥牛像と、たくさんの梅の木が出迎えてくれます。特に春は梅の花が美しく咲き誇り、目を楽しませてくれます。

実は「梅」と「牛」は、北野天満宮の御祭神「菅原道真」と深い縁で結ばれているのです。

この記事では、 菅原道真と梅・牛のエピソードを中心に、見どころとアクセスをまとめました。

基本情報

北野天満宮
所在地 京都市上京区馬喰町
TEL.075-461-0005
社務所・授与所 9:00~17:00
楼門の開閉時間 4月~9月/5:00~18:00、10月~3月/5:30~17:30
北野天満宮 公式サイト

【1】菅原道真プロフィール

菅原道真(すがわら の みちざね)
承和12年(845年)生~延喜3年(903年)没

平安中期の学者として名高く、さらに宇多天皇の信任を得て政治家としても大活躍。しかし陰謀により左遷され大宰府で失意のまま死去しました。

その後、朝廷では凶事が多発。道真の怨霊のしわざだと恐れた人々は、鎮魂のために神社を建立しお祀りしました。

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月岡芳年, パブリック・ドメイン, Link

・菅原家は学者の家系

平安時代。菅原家は曾祖父の時代に学問をもって朝廷に仕える家柄となり、祖父 菅原清公(きよきみ)は家塾「菅家廊下(かんけろうか )」を主宰し、朝廷の要職に数々の官人を輩出するなど、菅原家を一大学閥に育てました。

さらに祖父と父は、ともに大学頭・文章博士(もんじょうはかせ)に任ぜられ、天皇や摂関・公卿の侍読も務めました。※文章博士は学者としての最高位。

また、母方の伴氏は、大伴旅人、大伴家持ら高名な歌人を輩出した家系です。

・異例の大出世と左遷

道真は、幼少のころから詩歌に才を見せ、神童とよばれながら学業に励み、貞観19年(877年)には文章博士となり学者として活躍します。

そして学者出身の卓越した手腕は政治家としても発揮され、宇多天皇の信任を受けて異例の大出世。醍醐天皇の治世でも昇進を続け、昌泰2年 (899年) には右大臣に任ぜられました。

しかし躍進すればするほど妬む人が現れるのは、今も昔も変わりません‥
901年(昌泰4年)左大臣藤原時平の陰謀により、醍醐天皇によって大宰府に左遷(昌泰の変)させられ、延喜3年(903年)失意のうちに薨去しました。

・怨霊から学問の神様へ

道真の死後、政敵 藤原時平の病死からはじまり、 醍醐天皇の関係者にも次々不幸が襲います。さらに災害なども多発。人々は道真の無念を知っていたため、「道真の祟り」という噂が広まっていきました。

中でも、道真の左遷に関与したとされる朝廷要人に多くの死傷者が出た「清涼殿落雷事件」の衝撃は大きく、道真の怨霊と天神(雷神)が結びつけられ、複数の託宣があったこともあり、鎮魂のために北野に天満宮が建立されました。

天神信仰は、天神(雷神)に対する信仰のことである。特に菅原道真を「天神様」として畏怖・祈願の対象とする神道の信仰のことをいう。

出典:Wikipedia

その後百年ほどは、災害が起きるたびに道真の祟りとして恐れられましたが、記憶の風化とともに、道真が生前優れた学者・詩人であったことから、天神は「学問の神様」として崇められるようになりました。

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日本で一番信仰されている学問の神様は、菅原道真で決まりですね!

【2】菅原道真と梅の花

「梅」は中国から奈良時代に伝来した外来種で、中国文化教養を象徴する花でした。天平年間(729年~749年)、大伴旅人らが太宰府で梅花の宴を催し、梅を詠んだのは、当代における先端的な唐風の振る舞いでした。

出典:長岡天満宮公式サイト

漢詩人でもあった道真も、梅花を愛でました。
道真が残した詩文の中にも梅花を詠ったものが多くみられます。

天満宮の御神紋は梅紋。梅との縁の深さを感じさせますね。

梅
▲白梅と三光門

・菅原道真5歳の頃の和歌

「美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」

(=庭に咲く紅梅を見てその花びらで自分の頬を飾りたい)

・菅原道真11歳の頃の漢詩

月夜見梅花(=月の夜に梅花を見る)

月耀如晴雪
梅花似照星
可憐金鏡轉
庭上玉房馨

(=晴れた日の雪のような月の光の下、白梅が輝きながら香りを漂わせている。)

・紅梅殿の梅に詠んだ和歌

京都の邸宅には、たくさんの梅が植えられ 紅梅殿・白梅殿と呼ばれていました。大宰府へ移動する際に、紅梅殿の梅に向かって読んだ和歌が有名です。

「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

(=春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。)

・飛梅伝説

太宰府天満宮の本殿前の左近には、樹齢1000年を超えるとされる白梅「飛梅」が植えられています。この梅は、道真が京都から大宰府へ去ることになった時、後を追って一夜のうちに大宰府まで飛んできたと伝わります。

伝説によれば、その時に松も一緒に飛び立ったそうですが、残念ながら途中で力尽きて落下。摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)に根を下ろしたと言われています。(飛松伝説)

現実的なエピソードとしては、下記の説が説得力ありです。

伊勢国度会(わたらい)の白太夫という人物が、道真を慕って大宰府に下る折、京都の道真の邸宅に立ち寄り、夫人の便りとともに庭の梅を根分けして持って行ったというものです。そして、道真も都から取り寄せたことをふせて、「梅が飛んできた」ということにした、ともいわれています。

出典:太宰府市文化ふれあい館公式サイトから抄録
ミィコ

元号「令和」の元ネタの「梅」にまつわる序文を書いた大伴旅人は、道真の母方の家系。令和の時代も道真にちなんだパワーは健在なのかも^^

【3】菅原道真と牛

菅原道真は、丑(うし)の日と、本物の牛に縁が深かったようです。

どの説が正しいのか、全部伝説なのか、真偽の方は定かではありませんが、「牛」が神様の御使いとされています。

参道を進んで行くと、臥牛(がぎゅう/横たわる牛)の像がお出迎え。頭をなでると病気が治り知恵を授かる事ができると伝わるため、ピカピカに光っています^^

北野天満宮 神牛
▲撫でられて光っています^^

・丑の日と、本物の牛に縁

  1. 承和12年(845年)6月25日。乙丑(きのとうし)生まれ。
  2. 貞観元年(859年)2月乙丑、元服の夜、白牛が角をくじいて死ぬ悪夢を見たことを気にして、自ら牛を描き尊拝。
  3. 寛平5年(893年)癸丑(みずのとうし)9月、宴の席に現れた小牛を館に連れ帰り可愛がります。その後、太宰府に左遷される道中で暗殺されかかった時、白牛が飛び出て犯人の腹を突き刺しました。その牛は道真が都で愛育していた牛でした。「都にて流罪 極る前夜、不思議に逃げ去って姿を隠し、度々に凶非を告げ、今また此の危難を助けし忠義の牛、筑紫まで伴わん」と喜びました。
  4. 延喜3年(903年)2月25日、丑の日に太宰府の地で薨去。
  5. 随臣の味酒安行(うまさけ やすゆき)が、なきがらを葬るために牛車で運んだところ、安楽寺境内で牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、その地に埋葬されました。
ミィコ

近代以前は、日時や時間を十二時辰(じゅうにじしん)で表していたそうです。丑(うし)と牛(うし)は語呂合わせですね^^

【4】総本社 大宰府天満宮 vs 北野天満宮

「大宰府天満宮」は菅原道真の墓所でもあり、鎮魂のために社殿が創建されました。

しかし、その後も「菅原道真の祟り」といわれた疫病・災害は、太宰府天満宮だけでは抑えきれないほどの猛威を振るいます。

そのため、さらなる鎮魂のために京都でも祀られることになったのが「北野天満宮」です。

・大宰府天満宮

  1. 延喜3年(903年)菅原道真は、藤原時平らの策略により太宰府に左遷させられたまま死去。なきがらを葬送する牛車が止まった安楽寺境内が墓所となります。
  2. 延喜5年(905年)墓所に随臣 味酒安行が廟を建立し、天原山庿院安楽寺と号しました。
  3. 一方都では疫病や災害が続き、藤原時平も39歳で死去。これらのできごとを「道真の祟り」と恐れた醍醐天皇が、延喜19年(919年)その御霊を鎮めるために、道真の墓所の上に社殿を造営したのが創祀になります。
  4. しかし「道真の祟り」は収まりません。そのため、道真に太政大臣追贈が行われるなど、道真への御霊信仰は頂点に達します。ついに正暦元年(990年)頃からは本来は天皇・皇族をまつる神社の社号である「天満宮」も併用されるに至り「安楽寺天満宮」と呼ばれました。
  5. 文明12年(1480年)頃、道真の御霊に対する恐れも少なくなり、道真が生前優れた学者であったことにより学問の神としても信仰されるようになります。
  6. 明治4年(1871年)神社名が「太宰府神社」に変更。※「宮」号が皇族を祭神とする神社しか使用できなくなったため
  7. 戦後「太宰府天満宮」になりました。

・北野天満宮

  1. 延喜3年(903年)菅原道真は、藤原時平らの策略により太宰府に左遷させられたまま死去。大宰府の安楽寺境内に葬られましたが、京都では凶事が続き、道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられました。
  2. 延喜19年(919年)醍醐天皇が大宰府の道真の墓所に「安楽寺天満宮」を創祀。延長1年(923 年)には道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈ります。
  3. 天慶5年(942年)巫女 多治比文子(たじひのあやこ)に、北野に社殿を構えて祭祀すべきと託宣があり、自分の邸内に仮の社を作り祭祀。これが「北野天満宮」の創祀になります。
  4. 天暦元年(947年)近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種の子にも同様の託宣があり、多治比文子と、現在地の北野の地にあった朝日寺の最鎮(最珍)らが朝廷の命により社殿を造営し菅原道真をお祀りしました。これが「北野天満宮」の始まりとされます。
  5. 永延元年(987年)一条天皇から「北野天満宮天神」の勅号が贈られ、正暦4年(993年)には太政大臣を追贈されました。
  6. 明治4年(1871年)神社名が「北野神社」に変更。※「宮」号が皇族を祭神とする神社しか使用できなくなったため
  7. 戦後「北野天満宮」になりました。
ミィコ

鎮魂の為に、国をあげて離れた場所2か所も神社を建立するなんて、本気で怨霊が信じられていたんですねぇ。

【5】北野天満宮の主な見どころ

たくさんの見どころの中からピックアップしました。

他にも、摂社をはじめとして、東門、 絵馬所、一願成就のお牛さん、影向松(ようごうのまつ)、豊臣秀吉ゆかりのお土居、太閤井戸などなどがあります。

・社殿

北野天満宮の社殿は、拝殿と奥の本殿が石畳の廊下でつながり、本殿の西に脇殿、拝殿の両脇に楽の間を備えた複雑な構造です。八棟造(やつむねづくり)、権現造(ごんげんづくり)と称され、神社建築の貴重な遺構として国宝に指定されています。

何度も火災にあい、現在の本殿は豊臣秀吉の遺命により豊臣秀頼が慶長12年(1607年)に造営したもの。唐破風、金装飾や精緻な彫刻の数々が絢爛豪華な桃山文化の建築です。

おすすめ参拝の順路
1.「菅原道真」御神座を参拝/ 正面の拝殿
2.「御后三柱」御神座を参拝/ 本殿の背面

※御后三柱(ごこうのみはしら)とは、道真公のご先祖 天穂日命、祖父 菅原清公、父 菅原是善の三柱です。

北野天満宮 拝殿
▲拝殿
北野天満宮 本殿
▲本殿 西側

・星欠けの三光門

三光門の三光とは、日、月、星の意味で、梁にある彫刻が名前の由来になっています。桃山時代の壮麗な建築様式と後西天皇御宸筆の「天満宮」勅額が印象的な北野天満宮のシンボル的な建築です。

門を見上げて彫刻を確認してみましょう。実は、日・月・三日月の彫刻はありますが、星の彫刻はないのです。かつて朝廷があった大極殿から望むと、この門の上に北極星が輝いていたという伝説があり、星は本物の北極星を意味していたとも伝わります。

北野天満宮 三光門

・梅園

境内には50種約1,500本の梅があり、花の時期には紅白の梅が咲き競います。早咲きの梅は例年正月明けから開花、さまざまな梅が咲きつないで3月末頃まで楽しめます。

2月上旬頃には梅苑が公開され、茶屋も開かれます。白梅、紅梅、一重、八重と、とりどりに咲く梅の間を散策することができます。

期間 例年2月初旬から3月下旬
時間 9:00~16:00
入場料 大人800円(中学生以上)※茶菓子付

・宝物殿

古文書、刀剣、蒔絵や屏風、茶道具といった美術的にも価値の高い工芸品を多数収蔵しています。 なかでも、「北野天神縁起絵巻 承久本」は数ある絵巻物の中でも特に優れた歴史財産として国宝に指定されています(展示品は複製)。

※開館日は事前にご確認ください。北野天満宮 facebook

宝物殿
開館日 縁日(毎月25日)、1月1日、12月1日、4月10日~5月30日
観梅・紅葉シーズン。
開館時間 9時~16時
入場料金 一般800円、中・高校生400円、こども250円(未就学児童無料)

ミィコ

参拝の際は、本殿正面の「菅原道真」だけでなく、背面の「御后三柱」のお参りも忘れずに!

【6】可愛い牛の福みくじ

可愛い牛のおみくじの胴体には梅のマークも入っています。
「牛」と「梅」で天満宮らしさ満開です^^

実は、牛だけじゃなくて「十二支」の置物おみくじが取り揃えられています。また、中に入っている紙のおみくじは、日本語・英語・中国語・韓国語の4か国語対応です。

北野天満宮 おみくじ
▲日本語以外のおみくじは新鮮です。
北野天満宮おみくじ
▲どれも可愛いです^^
ミィコ

普通は、生まれ年の干支の中から選ぶべきなのかな? 今回は、牛が神様のお使いという事で「牛」を選んでみました^^

【7】北野天満宮アクセス

最寄りのバス停は「北野天満宮前」です。

・京都駅前バスターミナルから

乗り換えなしなので楽です。

  • 市バス
    ★京都駅前バスターミナルのりば案内
    [B2のりば] 市バス50 立命館大学前行
    ※北野天満宮前まで約33分
    [B2のりば] 洛バス101 北大路バスターミナル行
    ※北野天満宮前まで約30分
  • TAXI 所要時間 約20分
    総距離 約6.2km タクシー料金検索
    ※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。

・京都駅から

乗換え一回、連絡が良ければ早いです。

  • JR嵯峨野線 嵯峨嵐山行き乗車「円町駅」まで約10分 → [バスに乗換え/ 西ノ京円町(JR円町)]→ 市バス 203 今出川通・銀閣寺道・錦林車庫行「北野天満宮前」まで約5分
    ※合計所要時間:約20~30分

・三条京阪から

  • 市バス
    [A1のりば] 市バス10 北野天満宮・御室・山越行
    ※北野天満宮前まで約28分
    [A1のりば] 市バス51 北野天満宮・立命館大学行
    ※ 北野天満宮前まで約27分
  • TAXI 所要時間 約17分
    総距離 約5.5km タクシー料金検索
    ※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。
ミィコ

出来るだけ乗り換えなしで移動しています^^

【8】近くの名所

桜が有名な平野神社は北野天満宮の北側、門前菓子の粟餅処 澤屋は北野天満宮の南側にあります。

・平野神社

平安遷都と同時期にこの地に鎮座し、源氏や平家の氏神としても信仰を集めた格式のある神社。古くから桜の名所としても知られます。

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・粟餅処 澤屋

粟餅(あわもち)は北野天満宮の門前菓子。粟を蒸して臼でついて丸めたシンプルなお餅に、こし餡ときな粉をまぶした素朴なお菓子。ぜひお店で作り立ての風味を味わってください。

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「粟餅処・澤屋」北野天満宮の門前菓子あわ餅。アクセス方法

ミィコ

門前菓子「粟餅(あわもち)」は、道路を隔てた場所なので、ちょっとわかりにくいけれど休憩にピッタリ!

※この記事の史実に関する記載は、北野天満宮・太宰府天満宮・長岡天満宮公式サイト、Wikipedia等を参考に作成しました。