白雲神社 | 音楽・芸事上達の神様、妙音天(弁才天)を祀る社

白雲神社タイトル

白雲神社(しらくもじんじゃ)は、京都御苑の中の小さな森に鎮座しています。

鎌倉時代、太政大臣として権勢を誇った公卿・西園寺公経(さいおんじ きんつね) が、別荘・北山第に音楽の神をお祀りする「妙音堂」を建立したのが始まりとされています。

白雲神社の御朱印や絵馬のモチーフは琵琶。
西園寺家と琵琶と妙音天の関係や、御利益、見どころ、アクセスをご紹介します。

基本情報

白雲神社
所在地 京都市上京区京都御苑
TEL.075-211-1857
境内自由
参拝時間 6:00~18:00
社務所 9:00~17:00頃?

【1】白雲神社の由緒

白雲神社 鳥居
▲京都御苑の中にあります。

・西園寺家の家職は「琵琶」

西園寺家は朝廷に仕える貴族・上級官人である公家(くげ)で、摂関家に次ぐ清華家の家格を有しました。

公家には、それぞれの家に固有の「家職」があり、代々その作法が伝授されていました。例えば、神祇や陰陽道、和歌・文章博士・明経・能書・神楽・楽・蹴鞠・装束などの学芸、有職故実に関わる職です。

西園寺家の家職は「楽」の「琵琶」。雅楽器の中でも琵琶は天皇の習得すべき楽器とされ、宮廷では特に需要視されていました。

西園寺公経の父・藤原実宗(ふじわら の さねむね)が、琵琶の名手・藤原師長(ふじわら の もろなが)から弦奏法や秘曲を伝授されて以来、「琵琶の家」として知られるようになりました。

そして後深草天皇以降、歴代天皇は西園寺家の当主から琵琶を習う慣例となり、政治的のみならず、文化的分野にも影響を及ぼしました。

西園寺公経(さいおんじ きんつね)[1171-1244年]

鎌倉時代中期の廷臣。藤原実宗の子,母は藤原基家の娘。嘉禄年間(1225~27)頃京都北山の別荘につくった仏堂を西園寺と名づけたので,この一門を西園寺家という。源頼朝の姪にあたる一条能保の娘を妻とし,親幕派貴族の筆頭とみられたため,承久の乱(1221)に際して,後鳥羽上皇側に逮捕,拘禁されたが,この乱が幕府北条氏の勝利に終わると,京都朝廷は公経を中心に再編成され,内大臣を経て貞応1(1222)年太政大臣となり,摂関をしのぐ権勢を誇った。九条道家に嫁した娘は将軍頼経(→九条頼経)を生み,孫娘の一人は後嵯峨天皇の,また一人は後深草天皇の中宮となった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典

・「妙音堂」が始まり

琵琶の家として繁栄した西園寺家。4代目の当主・西園寺公経は太政大臣となり摂関家をしのぐ権勢を誇りました。

元仁元年(1224年)別荘・北山第の造営にあたっては西園寺と名付けた寺院も建立。妙音堂・本堂・善積院・功徳蔵院・五大堂などがある壮大な規模だったそうです。

これらの伽藍の中でも第一に建立されたのが、琵琶を弾奏する弁才天坐像を祀る「妙音堂」。西園寺家にとって、琵琶がどれほど大切なものだったのか良くわかりますね。

この「妙音堂」が移転や再興を経て、明治時代に「白雲神社」となり現在に至ります。

ちなみに西園寺家は、元弘3年/正慶2年(1333年)鎌倉幕府が滅亡すると後ろ盾を失い衰退。別荘・北山第は、応永4年(1397年)室町幕府第3代将軍・足利義満が譲り受け、現在は鹿苑寺(金閣寺)になっています。

その後、西園寺家は養子をとるなどして受け継がれ、幕末に徳大寺家から養子に入った公望は明治維新を経て政治家として活躍しました。

・白雲神社の歩み

  1. 元仁元年(1224年)西園寺公経による別荘・北山第造営にあたっては「妙音堂」を第一に建立。
  2. 鎌倉幕府の滅亡後は西園寺家も衰退。妙音堂は赤八幡京極寺に遷座されました。
  3. 明和6年(1769年)西園寺邸が現在地付近へ移転する際、西園寺公晃(さいおんじ きんあき)と西園寺賞季(さいおんじ よしすえ)が朝廷に願い出て邸内に妙音堂を再興。禁裏御祈祷所と定められました。
  4. 明治元年(1868年)東京遷都に伴い西園寺家も東京へ移転。そして、神仏分離令後の廃仏毀釈により屋敷は取り壊され、鎮守社のみが残りました。
  5. 明治11年(1878年)妙音堂は地元有志の尽力により神式に改められ、かつての鎮座地名に因み「白雲神社」として存続。社殿の修復をへて現在に至ります。

京都御苑の中に鎮座されているだけあって、由緒正しい歴史がありました。

ミィコ

琵琶によって繁栄した西園寺家。音楽の神「妙音天」を大切に祀りたい気持ちは良くわかります^^

【2】音楽の神「妙音天」とは?

・妙音天=弁才天=市杵嶋姫命

「妙音天」は、仏教の守護神である天部の一つ「弁才天」の異称です。弁才天は芸術・学問などの知を司る、音楽神・福徳神・学芸神とされています。

また、戦勝神の性格を持つ場合もあり、仏像も2本腕で琵琶を弾く弁才天と、8本腕の戦闘神的な弁才天が存在します。ちなみに白雲神社の御本尊は前者の最古例です。

古代インドでは水の女神として崇拝されていたことから神徒は白蛇や龍とされ、日本では神仏習合して市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されました。

白雲神社 絵馬
▲妙音天のイメージイラストが描かれた絵馬

・白雲神社のご利益

西園寺家ゆかりの白雲神社は、ズバリ、音楽・芸事上達のご利益が期待できそう^^

鎌倉時代になって、弁才天が「音楽の神様」として信仰されるようになったのは、「妙音堂」に祀られた琵琶を弾奏する弁才天坐像が一般化したためとも考えられるそうです。

そんな由緒正しい弁才天(=妙音天)は、音楽の神様の先駆けと言っても過言ではないですね^^

ミィコ

音楽・芸事上達の祈願は、白雲神社で決まり!

【3】白雲神社の見どころ

・本殿

「白雲神社」の扁額は、近代の貴族政治家・西園寺公望(さいおんじ きんもち)筆。

境内にはかつて公望の邸宅があり、本堂の東には屋敷神として祀られていた末社・福寿稲荷神社もあります。

白雲神社 本殿
▲本殿

本殿に祀られている「木造弁才天坐像」は、西園寺妙音堂の旧本尊で重要文化財。

鎌倉時代(13世紀前半)の作品で、菩薩が琵琶を弾奏する弁才天坐像の最古例です。西園寺家が琵琶の名手・藤原師長の念持仏を譲り受けたと伝わります。

後の弁才天像の製作にも影響を与えたと考えられ、美術史・音楽史・文化史上の貴重な作品として価値が高いそうです。残念ながら非公開。

・薬師石

薬師石は大切に守られてきた神聖な磐座(いわくら)。古神道では信仰の対象とされていました。

別名「御所のへそ石」とも呼ばれ、この石を手で撫で患部をさすると、怪我や病気の治療に効果があると伝えられます。本殿の裏にあります。

白雲神社 薬師石
▲薬師石
ミィコ

小さい神社ですが、鎌倉時代から守られてきた音楽の神様の歴史を知ると感慨深いです。

【4】御朱印

琵琶の印が印象的な御朱印は、本殿左手の社務所で拝受できます。

白雲神社 境内
白雲神社 御朱印
▲白雲神社 御朱印
ミィコ

社務所に誰もおられない場合は、チャイムを鳴らして呼び出すシステムです^^

【5】白雲神社 アクセス

最寄り駅から白雲神社まで、徒歩約5分~9分です。

  • 地下鉄烏丸線「丸太町駅」
  • 市バス「烏丸下立売」

[地図]
B地点:白雲神社

A地点:地下鉄烏丸線「丸太町駅」1番出口
C地点:バス停「烏丸下立売」

・京都駅から

  • 地下鉄烏丸線 国際会館行に乗車「丸太町駅」下車。乗車時間:約7分。1番出口から徒歩約9分。

・三条京阪前から

  • 市バス51 系統 北野天満宮・立命館大学行に乗車「烏丸下立売」下車。乗車時間:約12分。下車徒歩5分。
    ※バスの本数が少ないので要注意。土日は1時間に1本です。時刻表
    ※京阪鴨東線「神宮丸太町駅」から散歩がてら歩くのもいいかも。徒歩約17分です。

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ミィコ

京都御苑に行く時は一緒にいかが? 御苑内には三つの神社があります。

※この記事の史実に関する記載は、白雲神社駒札、指定文化財データベース、書籍「京都の寺社505を歩く」Wikipedia、コトバンク等を参考に作成しました。