上賀茂神社・下鴨神社の違いと関係を知って、しっかり参拝!

上賀茂神社 置物おみくじ 八咫烏

上賀茂神社・下鴨神社は、とても古い歴史を持つ由緒ある神社で、世界文化遺産にも登録されています。

清々しく開けた上賀茂神社の参道、古代の息吹を感じる下鴨神社の糺の森(ただすのもり)、境内に流れる清らかな小川のせせらぎを感じるだけでも価値があると思います。

とは言え、なんとなく歩いているだけではもったいない!より楽しむために、同じところ、違うところ、由緒と歴史、主要駅からのアクセス方法をまとめました。

基本情報

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)/通称:上賀茂神社
所在地 京都市北区上賀茂本山339
TEL.075-781-0011
参拝時間 05:30~17:00 ※祭典等により変更あり
賀茂別雷神社 公式サイト

賀茂御租神社(かもみおやじんじゃ)/通称:下鴨神社
所在地 京都市左京区下鴨泉川町59
TEL.075-781-0010
参拝時間 06:30~17:00 ※祭典等により変更あり
賀茂御租神社 公式サイト

【1】上賀茂神社と下鴨神社、昔は一つの「賀茂社」

そもそも、何だか関係がありそうな名前だなって思いますよね。大正解!

昔は、賀茂氏(かもうじ)の氏神を祀る「賀茂社(賀茂神社)」と称した一つの神社で、上賀茂神社を「上社」、下鴨神社を「下社」と呼んでいました。

まずは、名前の読み方の確認から。

賀茂別雷神社(かもわけいかづち じんじゃ)/通称:上賀茂神社
・祭神:賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)

賀茂御租神社(かもみおや じんじゃ)/通称:下鴨神社
・祭神:玉依媛命(たまよりひめのみこと)→賀茂別雷神の母
・祭神:賀茂建角身命(かもたてつぬみのみこと)→賀茂別雷神の祖父

・創建の伝承は日本神話

(1) 賀茂建角身命が、この地に定住
賀茂建角身命は「神武東征(日本の建国神話)」の際、天照大神の命で神武天皇を阻む難路を先導した八咫烏(やたがらす)の化身とされます。※その功績から金鵄八咫烏(きんしやたからす)とも表されます。

上賀茂神社 置物おみくじ 八咫烏
▲上賀茂神社の八咫烏のおみくじ

神武天皇の東征に功を成した賀茂建角身命は、賀茂県主の祖となり、大和国の葛木山から「山代国の岡田の賀茂(木津川市加茂町)」、「葛野川と賀茂河が会う所(京都市伏見区)」、「久我国之北山基(京都市北区紫竹)」の順に遷座したと伝わります。

到着地、久我国之北山基は、賀茂氏が移住したため「賀茂」と呼ぶようになったそうです。 「久我国之北山基」は、上賀茂神社の境外摂社である久我神社付近であるとも考えられています。久我神社の御祭神は、もちろん賀茂建角身命です。

そして、賀茂建角身命は、丹波国の神野(兵庫県丹波市氷上町御油・神野神社)の伊可古夜日売(いかこやひめ)をめとり、玉依日子(たまよりひこ)と玉依日売(たまよりひめ)の男女をもうけます。

(2) 玉依媛命が丹塗矢で懐妊
ある日、玉依媛命(=玉依日売)が瀬見の小川(現在の賀茂川の上流)で身を清めていると、川上から一本の*丹塗矢(にぬりや)が流れ下ってきたので持ち帰り、床に祀り休んだところ、矢は美しい男神に変身し御子を授かりました。

*丹塗矢伝説
神が丹塗矢に姿を変えて女性に近づくという神婚の伝説。

「古事記」に三輪山の大物主神が丹塗矢に変じ、溝を流れて用便中の勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)に近づき、のちに美男子に姿を変えて比売と結ばれたという話、「山城国風土記」逸文には、玉依日売(たまよりひめ)が川を流れ下ってきた矢を床の辺に持ち帰って賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)を生んだという話がある。

(3) 賀茂別雷命の誕生
その御子が元服を迎えると、祖父であり一族の長である賀茂建角身命は八尋殿(やひろどの)を造り、幾多の神々を招き七日七夜の祝宴を催します。

その席で、「汝の父と思う神に盃を捧げよ」と賀茂建角身命が御子に盃を渡したところ、盃を天に捧げ「わが父は天津神(あまつかみ)なり」と答え、屋根を突き破り、とどろく雷鳴と共に天へ昇っていってしまいました。

さぞかし衝撃的な光景だったことでしょう‥ この時に、賀茂別雷命と名付けられました。

(4) 賀茂別雷命の降臨
突然取り残された賀茂建角身命と玉依媛命。御子に再び会いたいと願っていると、ある夜、玉依媛命の夢枕にご神託がありました。

「吾に逢わんとは、天羽衣、天羽裳を造り、火を炬き鉾を捧げ、又走馬をかざり、奥山の賢木(さかき)を採りて阿礼(あれ)に立て、種々の綵色(いろあや)を垂で、また葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)を造り、厳しくかざりて吾をまたば来む」

そのご神託に従って神迎の祭をしたところ、御子が天より神として「神山(こうやま)」の頂上にある磐座(いわくら)にご降臨されたと伝わります。神山とは、上賀茂神社本殿の後方約2kmにある秀峰です。[地図]

(5) 賀茂氏によって祀られます
気づきましたか?そうです!
上賀茂神社の社殿は、神山へ向って祭祀が出来るよう造られているのです。

賀茂県主一族によって、賀茂別雷命は賀茂別雷神社(通称「上賀茂神社」)に祀られ、その後、玉依媛命と賀茂建角身命は、賀茂御祖神社(通称「下鴨神社」)に祀られました。

神山と立砂
上賀茂神社の象徴でもある、二の鳥居を入った正面の「立砂(たてすな)」は神山を象ったもので、本殿がなかった時代の祭場のなごりだそうです。

陰陽思想の影響から、立砂の頂上には、細殿に向かって左に3本の松葉(陽)、右に2本の松葉(陰)が挿してあります。

上賀茂神社 立砂
▲上賀茂神社の立砂
ミィコ

上賀茂神社と下鴨神社は場所は離れているけれど、もともと一つの神社。通称が似ている事に納得です。

・賀茂社の歴史

賀茂社の上社創建の後に、下社が創建されたと思われますが、時期は不詳。
※古い史料の賀茂社は上社をさす事が多いようですが、下社と区別できない場合もあるそうです。

─ 神代 ─賀茂別雷命が「神山」の頂上にある磐座にご降臨
神武天皇2年(BC 658年)賀茂氏により「賀茂社」の原形が創建される?「日本書紀」に御祭神の伝承がみられる
綏靖天皇2年(BC 580年)御蔭祭の始源である御生(みあれ)神事がはじまる(社記)
崇神天皇7年(BC 91年)下社の瑞垣造替の記録あり
垂仁天皇27年(BC3年)御神宝が奉られる(鴨社造営記)
欽明天皇5年(544年)賀茂祭(葵祭)がはじまる
天武天皇6年(677年)社伝に、初めて社殿を造営と記される
※神山を拝む形で現在の本殿の基となる建物、遥祭殿(ようさいでん)を建立
文武天皇2年(698年)文献「続日本紀」に初見
※「山背国賀茂の祭の日、衆を会め騎射するを禁ず」と記載。賀茂祭は当時から人が大勢集まる祭だったと考えられる
延暦3年(784年)長岡京遷都、従二位の神階を授かる(続日本紀)
延暦13年(794年)平安遷都、桓武天皇の行幸
※皇城鎮護の社として神威を高め、山城国一宮と称される。より一層の朝廷の崇敬を受ける
大同元年(806年)賀茂祭(葵祭)が勅祭となる
大同2年(807年)伊勢神宮に次ぐ正一位の神階を授かる
弘仁元年(810年)嵯峨天皇により斎院が置かれる。以後約400年にわたり皇女が斎王として賀茂社に奉仕

・賀茂祭(葵祭)

賀茂祭(葵祭)は、国家の安泰や国民の安寧を祈願する賀茂社の例祭。

5月初旬からさまざまな神事(前儀)が行われ、5月15日の華やかな行列「路頭の儀」がハイライト。近衛使、検非違使、内蔵使、山城使、斎王代など500余名が平安時代の装束をまとい、牛車「御所車」、風流傘、馬36頭とともに京都御所から出発し下鴨・上賀茂の両神社に参向します。

欽明天皇5年(544年)に始まり、平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば賀茂祭のことをさすほど当時から有名だったそうです。

葵祭 京都フリー写真素材
▲葵祭
上賀茂神社に到着した斎王代と童女たち。京都フリー写真

斎院(さいいん)
平安時代(810年)から鎌倉時代(1212年)にかけて、賀茂御祖神社(下鴨神社)・賀茂別雷神社(上賀茂神社)の儀式に奉仕した未婚の皇女。初代斎院は有智子内親王。
昭和31年(1956年)以降は、一般市民から選ばれた未婚女性を「斎王代」として祭を開催。

葵祭(賀茂祭)の歩み
  1. 欽明天皇5年(544年)五穀豊穣を祈るために初開催。神を迎える巫女は賀茂県主の一族の女性の中から選出されました。
  2. 延暦13年(794年)平安遷都後、朝廷から皇城鎮護の神社として崇敬を受けます。
  3. 大同元年(806年)天皇により勅使が遣わされ祭祀・奉幣される「勅祭」となります。
  4. 弘仁元年(810年)嵯峨天皇が伊勢の「斎宮」にならって賀茂の「斎院」を設け、斎院制度は鎌倉時代の建暦2年(1212年)まで約400年にわたり続くことになります。
  5. 応仁の乱(1467~77)以降、元禄6年(1693年)まで約200年間途絶えましたが、上賀茂・下鴨両社の熱意、朝廷・公家の理解と幕府(5代将軍徳川綱吉)の協力で再興。この頃より「葵祭」と呼ばれ始めます。
  6. 近代の混乱期、明治4年(1871年)~明治16年(1883年)、昭和18年(1943年)~昭和27年(1952年)にも、中断や行列の中止がありましたが、平安時代の王朝風俗の伝統は残されて現在に至ります。
  • 京都三代祭:葵祭、祇園祭、時代祭
  • 日本三代勅祭:春日祭、岩清水祭(南祭)、葵祭(北祭)
ミィコ

葵祭では、賀茂別雷命が御降臨の際に指示された「二葉葵の飾り」にも注目!

【2】通称(上賀茂・下鴨)の由来

実は、中世の文献には「下鴨」ではなく「下賀茂」と記載されているそうです。

・「賀茂」は氏族の名前

賀茂建角身命は、山城国の賀茂氏(かもうじ)の祖神です。
賀茂氏が定住したため、この地を「賀茂」と呼ぶようになりました。

ちなみに、奈良、葛城にも賀茂氏があり、三輪氏と並んで古代史の謎を解く鍵を握る氏族とも言われます。

その後、山城国で勢力をつけた賀茂県主家が、県神社・県主神社として「賀茂社」を創建し、農耕神を祀ったものと考えられています。

雷神・水神、すなわち、雷・水の性格を基調とした農耕神が祀られていることは、神社の創建の古さを暗示します。

・上賀茂

賀茂川の左岸、上賀茂神社を中心とする地域で、平安遷都以前から勢力をふるった賀茂氏の故地。地名は下鴨神社(賀茂御祖神社)に対して、上賀茂神社(賀茂別雷神社)と称されています。

上賀茂神社境内を流れる「ならの小川」が名前を変えた「明神川」沿いの、神職の住宅が集まる町、社家町(しゃけまち)の歴史も非常に古く、近くでは縄文後期の遺跡が発見されています。

社家町風景
▲上賀茂の社家町、明神川

・下鴨(昔は下賀茂)

「賀茂川」は出町柳で高野川と合流すると「鴨川」に変わります。下鴨は、川が合流する三角地帯一帯の地名なのです。

平安遷都以前、すでに賀茂氏がこの地を開発して居住し、中世には「下賀茂」と呼ばれていたようです。上賀茂神社(賀茂別雷神社)に対して、下鴨神社(賀茂御祖神社)と称されています。

糺の森周辺の発掘調査では縄文時代の土器や弥生時代の住居跡がたくさん発掘されました。

下鴨神社 中州
▲左が賀茂川、右が高瀬川。中央の三角地帯が糺の森です。
ミィコ

下鴨神社は立地の関係上、漢字を変えた方が何かと便利だったのかもしれませんね^^

【3】御神紋は二葉葵

御神紋のモチーフである二葉葵(フタバアオイ)は、上賀茂神社の北東の社、下鴨神社の大炊殿(おおいどの)にある葵の庭に自生し訪れる人々を迎えてくれます。

二葉葵の名の由来は、葉が二枚ずつ出てくるところから。春には小さい花が地際にうつむいて咲きます。別名 賀茂葵(カモアオイ)。

上賀茂神社 二葉葵
▲二葉葵

・上賀茂神社と下鴨神社の御神紋

二葉葵と賀茂社との縁は、賀茂別雷神がご降臨の際「葵を飾って祭りをせよ」との神託があったことから始まりました。

以来、葵(二葉葵)は、神と人を結ぶ植物として大切に護られています。

葵は古く「あふひ」と読み、「ひ」は「神霊」神を意味します。つまり、葵とは「神と逢うこと」「逢う日」でもあるのです。

今では葵祭の飾りとしてだけではなく、御神紋となって社殿の金具に文様が刻まれ、あちらこちらに飾られています。

上賀茂神社・下鴨神社 御神紋

▼御神紋 上賀茂神社(左)、下鴨神社(右)

二葉葵の御神紋は、京都最古のブランド・アイデンティティ(Brand Identity)の可能性が高そうですね。← 個人的な推測です

意匠も、上賀茂神社と下鴨神社で陰陽になっています。陰があれば陽があり、陽があれば陰がある。互いが存在することで己が成り立つ陰陽の考え方が反映されているのでしょうか。

※追記:陰陽になっていると思っていたのですが、厳密に決められているわけではなさそうです^^

どちらにしても有機的で生命力を感じさせる素敵なデザインです。

ブランド・アイデンティティ
ブランド(銘柄、商標)の特徴や個性をはっきり提示し、共通したイメージで顧客が認識できるように働きかけること。ブランド名称、ロゴ、カラー、メッセージなどにより構成される。

・二葉葵プロジェクト

神様に選ばれた可愛いハート形の二葉葵。上賀茂近辺では鉢植えで育てているお宅よく見かけます。実は、葵祭で使う二葉葵が激減しているそうなんです。そこで、二葉葵の保護・育成を行い、上賀茂神社に「葵の森」を再生すべく活動に取り組んでおられる団体があります。

一般財団法人 葵プロジェクト 公式サイト

二葉葵を育ててみたい方は「葵プロジェクト」に参加しましょう。1ポット(2芽)¥1,000円。郵送での対応も可能で、公式サイトに詳しい育て方も掲載されています。

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清浄で可愛い二葉葵が家にあると、何かいいことありそうな気がします^^

【4】壮大なご神徳とご利益

可能なら御祭神の近くでしっかり参拝して、ご利益を拝受したいと思いますよね。上賀茂神社の場合は、特別参拝(有料)をお勧めします。

上賀茂神社の特別参拝は、神職から御祭神の誕生神話の説明を受け、お祓いをしてもらってから本殿に参拝となります。流造(ながれづくり)の美しい本殿と権殿。その前に置かれた銀色の狛犬と金色の獅子、「影狛」と呼ばれる狛犬と獅子が描かれた板壁も神聖な美しさに満ちています。神域での参拝は特別と言われるだけの価値があります^^

※上賀茂神社、下鴨神社とも本殿内は写真撮影禁止です。

・上賀茂神社のご利益

上賀茂神社

賀茂別雷神がお祀りされている本殿(右)へ向かって祈願しましょう。左側の権殿は式年遷宮の時に神様をお移しするための建物なので空室です。

  • 厄除(やくよけ)
    賀茂別雷神の雷(いかづち)の御神威により、厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除明神・落雷除・電気産業の守護神として広く信仰されています。
  • 方除(ほうよけ)
    桓武天皇の御代に都が京都に遷されて以来、皇城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として崇められ、今日も建築関係等の方除祈願が多くあります。

有名な摂社ご紹介。他にも多数の摂社があります。

・第一摂社「片山御子神社」
賀茂別雷神の母、玉依媛命が祀られ、縁結び・子授け・家内安泰の神様として著名。紫式部も参拝されたそうです。天正19年(1591年)には朝廷より神様の最も高い位である「正一位」授けられ、厚い信仰があったことが伺えます。

・境外摂社(第八摂社)「久我神社」
賀茂別雷神の祖父、賀茂建角身命が祀られ、八咫烏の故事から、航空安全、交通安全守護の神として信仰を集めています。境内は市指定史跡。

・下鴨神社のご利益

本殿は2つあります。賀茂建角身命は西殿、玉依媛命は東殿に祀られています。

  • 賀茂建角身命|国家国民の安穏と世界平和
    賀茂建角身命が古代の京都をひらかれたという功績から、国家国民の安穏と世界平和をご祈願する守護神とされています。 また、五穀豊穣・殖産興業・身体病難解除・導きの神・勝利の神・方除・厄除け・合格・交通・旅行・操業の安全等多方面にも御神徳を顕わしておられます。
  • 玉依媛命|縁結び、子育て
    玉依媛命は、古くから縁結び、安産、子育ての神さまとして信仰されています。
下鴨神社

有名な摂社ご紹介。他にも多数の摂社があります。

・摂社「相生社(あいおいのやしろ)」
縁結びの神、結納の守護神として崇められる、神皇産霊神(かむむすびのかみ)がご祭神。おめでたいことを表す「相生」という言葉は「相生社」からできたそうです。ご神木「連理の賢木(れんりのさかき)」は2本の木が途中から1本に結ばれています。

・摂社「河合神社」
美麗の神として、神武天皇の母 玉依姫命が祀られています。(※賀茂別雷神の母の玉依媛命ではありません。)

タマヨリビメ(タマヨリヒメ、玉依姫、玉依媛)は「神霊の依り代となるヒメ」を意味し、この名前をもつ女神は複数存在します。

ミィコ

本殿で壮大なお願い、摂社では縁結びやその他のお願い。ついつい欲張ってしまいそうです^^

【5】源氏物語にも登場

賀茂祭(葵祭)は、平安時代には大人気の超有名なお祭りになっていました。

祭の当日は御所から賀茂社への行列を一目見ようと、貴族が牛車を押し並べ、市民や地方から上京してきた人達も加わり、街は人で溢れたといわれています。

・葵の巻|上賀茂神社

源氏物語54帖の中でも有名なエピソード、葵の巻に賀茂祭(葵祭)のシーンで、牛車での場所取り争いの場面を描いています。ちなみに「葵」は男女の恋愛を意味する「逢ふ日」の掛詞でもあったそうです。

光源氏を一目見ようと見物に来た正妻の葵の上が、地位と権力に物を言わせ、身分の低そうな牛車を無理やり立ち退かせます。偶然にもそれは、愛人の六条御息所の網代車(あじろぐるま)だったのです。屈辱的な敗北を味わった御息所が、生霊(いきりょう)となるきっかけになった場面です。

・須磨の巻|下鴨神社

糺の森は、古来より神秘の森として人の想いを受け止める場所でした。
源氏物語、須磨の巻では、光源氏が都を離れる想いを詠んでいます。

「憂き世をば、今ぞ別るる とどまらぬ 名をば糺の 神にまかせて」

紫式部(むらさきしきぶ) 973頃~1014頃
平安中期の女流作家・歌人。藤原為時の娘。はじめ藤式部と呼ばれる。藤原宣孝と結婚、大弐三位を生むがまもなく夫と死別。その後、源氏物語の執筆を始める。才媛のほまれ高く、一条天皇中宮彰子(上東門院)に仕え、「白氏文集」を進講。藤原道長や藤原公任らとの交流もあった。ほかに「紫式部日記」「紫式部集」などの著がある。

出典:大辞林

「源氏物語」だけではなく、「枕草子」や「徒然草」にも祭の様子が記されています。

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源氏物語は現代でも二次創作される有名な物語。紫式部もこの場所を訪れていたんですね。神社の歴史の奥深さを感じます。

【6】御朱印

御朱印は、ご神紋のスタンプの位置が共通で似た雰囲気です。

上賀茂神社 下鴨神社 御朱印
▲御朱印 上賀茂神社(左)、下鴨神社(右)
ミィコ

御朱印の初穂料は、上賀茂神社300円、下鴨神社500円でした。こちらは共通じゃないんですね^^

【7】主要駅からのアクセス

上賀茂神社・下鴨神社とも、基本的には京都市バスでの移動が便利です。

上賀茂神社から下鴨神社まで、賀茂川沿いを歩いて行くことも出来ますが1時間程度かかります。その上、風景に飽きてきても途中にバス停が少ないので覚悟して散策してください^^ ジョギングするなら、気持ちよく走れる道だと思います。

▼上賀茂神社から下鴨神社への徒歩コース

・上賀茂神社

上賀茂神社近辺の最寄り駅と北大路駅からの徒歩コースです。

気持ちのいい賀茂川べりを歩きたい場合は、北大路駅・北山あたりから上賀茂神社までのコースが丁度いいかもしれません(約30分)^^

  • 【京都駅から】
    ・地下鉄 国際会館行に乗車「北大路駅」下車→ [乗換え/北大路バスターミナル] 市バス37 西賀茂車庫行の乗車「上賀茂御薗橋」下車。 or 市バス北3 京都産大前行に乗車「御薗口町」下車。所要時間:約31~35分。
  • 【京都駅前バスターミナルから】
    京都駅前バスターミナルのりば案内
    ・[B1のりば] 市バス9 西賀茂車庫前行に乗車「上賀茂御薗橋」下車徒歩3分。所要時間:約41分。
    ・[A2のりば] 市バス4 上賀茂神社前行に乗車「上賀茂神社前」下車すぐ。所要時間:約53~57分。
  • 【三条京阪から】
    ・京阪電車 出町柳行に乗車「出町柳駅」下車→ [乗換え/出町柳駅前] 市バス4 上賀茂神社前行に乗車「上賀茂神社前」下車。合計所要時間:約37~48分。
  • 【下鴨神社前から】
    ・市バス4 上賀茂神社前行に乗車「上賀茂神社前」下車すぐ。乗車時間:約22~26分。

・下鴨神社

京阪電車 鴨東線・叡山電車「出町柳駅」から鴨川を渡り、表参道を歩いて参拝するのがおすすめ(青ライン)。徒歩約12分です。

[地図]
・A地点:京阪電車 鴨東線・叡山電車「出町柳駅」
B地点:下鴨神社
・バス停「下鴨神社前」:緑のバスアイコン上
・バス停「糺の森」:緑のバスアイコン下

  • 【京都駅前バスターミナルから】
    京都駅前バスターミナルのりば案内
    [A2のりば] 市バス4、17 四条河原町・下鴨神社行に乗車「出町柳駅前」下車。乗車時間:約27~28分。※205系統は出町柳駅には行きません。
  • 【三条京阪から】
    ・京阪電車 出町柳行に乗車「出町柳駅」下車。乗車時間:4~5分。
  • 【上賀茂神社から】
    ・市バス4 京都駅前行に乗車「出町柳駅前」下車。所要時間:約26~29分。※下鴨神社前で降りると西参道からの参拝になります。

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上賀茂神社は基本的にはバス移動。下鴨神社は京阪電車「出町柳駅」の近くなので、電車でもバスでも行きやすいです。

【8】まとめ

神代の時代に、大和国(やまとのくに)からやってきた賀茂氏の一族が「賀茂社(上賀茂神社と下鴨神社)」を創建、現在まで受け継がれている事は奇跡的なことですね!

なんと2,000年以上の歴史・・・ 世界遺産に登録されるのも納得の由緒です。

この二社の成り立ちを少し知ることによって、長く大切に培われてきた生命力や厳かな空気感を、より一層深く感じていただけたとしたら嬉しいなぁと思います。

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実は、今回調べて初めて知った事もたくさんありました^^

※この記事の史実に関する記載は、上賀茂神社公式サイト、下鴨神社公式サイト、「京都市の地名」「京都大辞典」「京都地名検証」等の書籍を参考にしました。