乃木神社は、明治時代の日露戦争で活躍した軍人で教育者・乃木希典(のぎ まれすけ)をお祀りする神社です。
文武両道・勝運の神様として受験合格・必勝祈願が人気で学生さんの姿もよく見かけます。
境内には戦争の慰霊碑や日露戦争にまつわるシリアスな展示が並んでいるのですが、その中にタジャレの石碑があったりして、そのギャップが不思議な神社^^
何故タジャレ!?その由来や、創建のいきさつ・見どころ・アクセス方法をまとめました。
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【1】京都 乃木神社とは
乃木神社は明治時代の著名な大日本帝国陸軍軍人・乃木希典をお祀りする神社です。明治天皇に忠誠を誓って生きた人で、国民からも「乃木大将」「乃木将軍」と呼ばれ親しまれました。
・神社建立のきっかけ
1912年(明治45年)7月30日、明治天皇が崩御され、国葬「大喪の礼」が執り行われた9月13日の午後8時頃、乃木神社が建立されるきっかけとなる事件が発生しました。
乃木将軍が自宅で明治天皇の御真影の下に正座し、妻・静子とともに自刃して殉死したのです。
このニュースは衝撃をもって国内外の新聞で報道され、多くの日本国民が悲しんだといわれます。もちろん「前近代的行為」とする批判的な意見もあったそうですが‥。
乃木夫妻の葬儀は、大喪の礼から5日後の大正元年9月18日に行われ、乃木夫妻の自宅から青山葬儀場までの沿道は推定20万人とも言われる一般国民で埋め尽くされたそうです。
また、読売新聞のコラムでは、乃木神社建立、乃木邸の保存、「新坂」の「乃木坂」への改称などを希望するとの意見が示されました。
明治天皇[1852~1912]
出典:小学館 デジタル大辞林
第122代天皇。在位1867~1912。孝明天皇の第2皇子。名は睦仁(むつひと)。幼名、祐宮(さちのみや)。慶応3年(1867)践祚(せんそ)。徳川慶喜の大政奉還により王政復古の大号令を発し、翌年「五箇条の御誓文」を宣布、東京に遷都。軍人勅諭・大日本帝国憲法・教育勅語の発布などをとおして近代天皇制国家を確立した。
・乃木将軍とは? 明治天皇との関係
乃木将軍は日露戦争において、明治38年(1905年)9月、旅順要塞攻撃の指揮をとり陥落させたことで有名。さらに降伏国に対する寛大な処置によって世界からも賞賛されました。
しかし、息子2人は日露戦争で戦死。旅順攻略も死者約1万5千人、負傷者約6万人という膨大な犠牲を伴い、生涯にわたり強烈な自責の念を抱き続けたといいます。
そして、崇敬する明治天皇からの言葉が、その後の生き方に大きな影響を及ぼしました。下記が有名なエピソードです。
- 明治39年(1906年)1月、凱旋帰国した乃木は明治天皇に報告。多数の戦死者を出し「死をもって償いたい」と詫びると「今は死ぬべき時ではない。どうしてもというのであれば、朕が世を去った後にせよ」と伝えたといわれます。
- 明治40年(1907年)明治天皇は乃木に「自身の子供を亡くした分、生徒らを自分の子供だと思って育てるように」と述べ、主に華族の子弟が学ぶ官立学校・学習院の第10代院長を任命。乃木は学生と寝食を共にして指導に努めたそうです。
乃木希典(のぎまれすけ)[1849-1912年]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)より抄録
陸軍大将。嘉永2年11月11日、長州藩士族乃木希次(まれつぐ)の三男として江戸藩邸に生まれる。萩(山口県萩市)の明倫館に学び、報国隊に属し、戊辰戦争では東北を転戦。維新後、フランス式軍事教育を受け、1871年(明治4)陸軍少佐となる。西南戦争では歩兵一四連隊長として出陣、植木の戦いで西郷軍に軍旗を奪われ、自決を決意したが思いとどまった。
1886年11月ドイツ留学、翌1887年6月帰国し、近衛歩兵第二旅団長などを経て一時休職となったが歩兵第一旅団長に復職。日清戦争には第二軍に属し、戦争末期には第二師団長となり、台湾に進駐し、1896年に第3代台湾総督となった。
日露戦争には第三軍司令官となり、大将に昇進、旅順(りょじゅん)を苦戦のすえに攻略。凱旋後、軍事参議官、1907年(明治40)には学習院長を兼任、伯爵を授けられる。1912年9月13日、明治天皇の大喪儀当日妻静子と自刃した。
・伏見桃山陵の麓に建立
乃木将軍の殉死に強い衝撃と感銘を受けた1人、実業家で衆議院議員の村野山人(むらのさんじん)が中心となり、伏見桃山陵(明治天皇陵)の麓に乃木神社が建立されました。
全国の乃木神社の中でも最も早く建立が計画されたものの、用地確保と建設に4年の歳月が費やされ、1916年(大正5年)9月13日、那須に次いで2番目の創建となりました。
乃木神社境内地は、もともと皇室の御料地で、神社建立を熱願した村野山人・政財界人・軍人などの尽力や政府の理解によって特別に建設が許可されました。
御祭神
- 乃木希典命(ノギマレスケノミコト)
- 乃木静子命(ノギシズコノミコト)
乃木神社は京都以外にも、全国各地にあります。
・乃木神社(栃木県那須塩原市)大正5年創建。乃木が閑居した別邸の敷地内。
・乃木神社(山口県)大正8年創建。乃木の郷里の邸宅(現存)の敷地内。
・乃木神社(東京都)大正12年創建。乃木夫妻が自刃した邸宅の隣地。
・函館乃木神社(北海道)大正5年創建。
その他
近代の著名人をお祀りする神社って珍しいですよね。それだけ、当時の日本人に尊敬された方なのでしょう。
【2】御利益は、必勝・受験合格!
御祭神の経歴から、文武両道・勝運の神様として、必勝・受験合格の御利益が有名です。
祈願する方は真剣!なんですが、御利益にまつわる記念碑や授与品は、なぜか「ダジャレ」になっているんです^^
あれ?このギャップは何!?もしかして、乃木将軍はダジャレ好きだったとか?と思って調べたら、どうやら、そのようでした!
ただ、乃木将軍がどんなダジャレを言っていたのかまではわかりませんでした‥
生徒からの評判
出典:Wikipedia乃木希典のページより抄録
乃木は、自宅へは月に1、2回帰宅するが、それ以外の日は学習院中等科および高等科の全生徒と共に寄宿舎に入って寝食を共にした。乃木は、生徒に親しく声をかけ、よく駄洒落を飛ばして生徒を笑わせた。
・勝栗絵馬
鉢巻をした可愛い栗のキャラクター「勝栗(かちぐり)絵馬」が拝殿の前に奉納されています。
「勝栗(搗栗)」とは、古くから縁起をかついで出陣の際に食べられたもので、乃木将軍も大好物だったそうです。
※鉢巻(ハチマキ)は、主に日本において精神統一・気合向上のために頭に付ける細長い布です。
搗栗(かちぐり)
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
くりの実を殻のまま乾かすか,火に当てて乾かしたものを,臼で搗 (か) いて殻と渋皮をとった食物。「搗つ (臼でつくこと) 」と「勝つ」が共通するところから,縁起をかついで古くは出陣祝いに供された。
・全てに勝ちま栗!
拝殿の左前にある祠に刻まれた文字「全てに勝ちま栗」‥ん?‥
「全てに勝ちまくり」ですね!
祠は小さいけれど、大きく出ましたね。中には「勝」と刻まれた大きな栗型像が祀られています^^
・幸せになり鯛!山城ゑびす神社
当初、本殿の御祭神は乃木将軍しか許可されなかったため、静子夫人を祀る「靜魂神社」が別に建立され、後に恵比須神を主祭神とする七福神が合祀され「靜魂七福社」と呼ばれました。
平成18年、静子夫人の本殿合祀をきっかけに、靜魂七福社は恵比寿神のみの奉祀に改め「山城ゑびす神社」となりました。
恵比寿神と言えば、狩衣姿で右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える姿が一般的ですが、ここでは大胆にも「幸せに成り」と彫られた「鯛」のみ飾られています!
乃木将軍はダジャレ好きだったんですね。ちょっと親近感がわきました^^
【3】授与品、御朱印
文武両道の乃木将軍にちなんだ、「勝ちま栗」の御守根付や、勝守、受験合格守などがあります。詳しくは公式サイトに紹介されています。
中でも、お気に入りの可愛い置物おみくじをご紹介します^^
授与所が休みの日があるので、事前に公式サイトで確認しましょう!
・可愛い置物おみくじ
乃木神社の御神紋入りの可愛い神馬のおみくじです。乃木将軍が大切にしていた愛馬「壽(す)号」も白馬だったそうです。
・御朱印
定番の御朱印です。
他には、月替わりの限定御朱印・イベント限定御朱印などがあります。乃木将軍のイメージとは真逆の可愛いテイスト。ギャップ萌えがコンセプト!? 詳細は公式サイトで随時お知らせされています。
乃木将軍が可愛いもの好きだったかどうかは不明です^^
【4】乃木神社の見どころ
境内は無料。「宝物館」と「内苑」の2か所のみ有料です。入場料は各100円。
神門から順番にご紹介します。
・神門
神門に使用されている木材は台湾檜で、扉の内側は樹齢三千年の紅檜一枚板でできています。
かつて、第三代台湾総督として着任した乃木将軍は、台湾の人々にも信頼されていたため、神社建立の用材確保にも快諾を得られたそうです。後方に見える森は明治天皇陵です。
・宝物館
神門を入って左手奥の建物です。
乃木将軍の直筆の書簡類をはじめ、刀剣・武具類、乃木夫妻の質素な生活ぶりをうかがわせる調度品などが展示されています。
拝観時間 9:00~16:00
入場料 大人100円、小人(小学生以下)50円
・第三軍司令部 記念館(移築)
乃木将軍が日露戦争の際、南満州の柳樹房にあった周夫妻の住居を1年間借り上げ「第三軍司令部」として使用した建物です。ここで旅順攻囲戦の指揮を取りました。
乃木神社建立の発起人である村野山人が現地に赴き、家屋を買い受け、解体し、土台石など資材一切を運搬移築して記念館としたものです。外部様式や左手奥の乃木将軍の寝室は、当時の姿を今に伝えています。
・長府乃木邸(復元)
乃木希典の父・乃木希次(のぎ まれつぐ)は、長州藩の支藩である長府藩の藩士で、希典は10歳まで東京の長府藩上屋敷で生活しました。
しかし安政5年、希次は藩主の紛争に巻き込まれ、長府(現・山口県下関市)への下向・閉門および減俸の処分を受け、長府では足軽の家を借りてそこを住居としました。
質素な家で家族が肩を寄せ合って過ごす情景や、学者を志して勉強に励む希典の姿が再現されています。
・拝殿と愛馬の像
勤勉と質素を信条とした乃木将軍にふさわしく、天井、欄間等に装飾のない素朴な雰囲気です。四面解放式の入母屋造りで、拝殿の前にある馬の銅像は、特に大切にしていた愛馬、壽(す)号・璞(あらたま)号がモチーフになっています。
また、正面掛かる奉納絵馬は、乃木将軍の愛馬が駆け巡る姿を、明治・大正期の彫刻家・後藤貞行が、ケヤキの一枚板に彫り上げたものです。
・内苑(本殿、和み地蔵、詩碑)
拝殿の右手にある入口から内苑を回遊できるようになっていて、本殿・和み地蔵・詩碑を間近に見ることができます。入口横の料金箱にお金を入れて中に入ります。
開門時間 9:00~16:00
入場料 大人100円、子ども(小学生)50円
優れた詩人でもあった乃木将軍の作品の中で、特に有名な漢詩三作は「乃木三絶」と呼ばれています。内苑では乃木三絶を石碑にし、詳しい説明文とともに展示されています。
- 金州城(きんしゅうじょう)下の作
- 爾霊山(にれいさん)
- 凱旋(がいせん)
境内には、この他にも慰霊碑や銅像、さざれ石などなど、いろいろあります^^
【5】乃木神社 アクセス
乃木神社は最寄駅から徒歩10~16分です。
・最寄駅からの道順
最寄り駅
・JR奈良線「桃山駅」から徒歩約10分。
・近鉄京都線「桃山御陵前駅」から徒歩約14分。
・京阪本線「伏見桃山駅」から徒歩約16分。
[地図]
A地点:乃木神社
B地点:JR奈良線「桃山駅」
C地点:近鉄京都線「桃山御陵前駅」
D地点:京阪本線「伏見桃山駅」
- 青ライン:明治天皇陵の参道には入らず、車道を右に道なりに行くのが最短コース。
- 緑ライン:明治天皇陵の参道を直進、桓武天皇陵の道標で右折しても行けます。
- 紫ライン:乃木神社から明治天皇陵までのコースです。
・京都駅から
- JR奈良線 城陽行、奈良行き普通電車に乗車「桃山駅」下車。※乗車時間:約13分。改札を出て右折し踏切を渡って直進。
- 近鉄京都線 新田辺行、橿原神宮前行、近鉄奈良行に乗車「桃山御陵前駅」下車。※乗車時間:約13分(先頭車両に乗ると改札口が近いです)。※特急は停車しません。改札を出ると左手にある御香宮神社の鳥居をくぐって直進。
・祇園四条駅から
- 京阪本線 淀屋橋行特急に乗車→「丹波橋駅」で普通または準急に乗り換え→「伏見桃山駅」下車。※乗車時間:約13分(最後尾の車両に乗ると改札口が近いです)。御香宮神社の鳥居をくぐって直進。
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明治天皇陵も一緒に参拝すると御利益がUPしそうです^^
※この記事の史実に関する記載は、乃木神社公式サイト、駒札、Wikipedia等を参考に作成しました。
乃木神社
所在地 京都市伏見区桃山町板倉周防32-2
TEL. 075-601-5472
参拝時間 9:00~17:00
乃木神社 公式サイト