天龍寺は嵯峨嵐山にある臨済宗の禅寺。世界文化遺産でもあります。
室町時代の暦応2年(1339年)、後醍醐天皇の菩提を弔うため、禅僧・夢窓疎石(むそうそせき)が足利尊氏に進言し創建されました。当時は約950万㎡に及ぶ広大な寺域を誇り、京都五山の第一として栄えました。
しかしその後、度重なる火災や兵火によって創建当時の建物は焼失。伽藍の大部分は明治時代後半以降の再建で、寺域もかつての10分の1になりました。
一番の見どころは、当時の面影を残すと言われる夢窓疎石が作庭した曹源池庭園(そうげんちていえん)。
拝観ポイントと御朱印の拝受方法をご紹介します。
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【1】天龍寺とは
正式名は、天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)。
足利将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされてきました。世界文化遺産にも登録されています。
・天龍寺の由来
天龍寺建立プロジェクトの中心人物は、臨済宗の禅僧・夢窓疎石。
歴代天皇から国師号を7度も賜与された大人気の禅師で、後醍醐天皇・足利尊氏も帰依していました。
暦応2年(1339年)8月、南朝・後醍醐天皇が吉野の地で崩御されると、夢窓疎石は足利尊氏にその菩提を弔うように進言、北朝・光厳上皇の院宣を受けて開創されました。
夢窓国師は、後醍醐天皇と足利尊氏が巻き込まれた南北朝の対立で戦没した霊を弔い、南北朝講和に尽力する活動をしており、天龍寺の建立はその頂点に位置する事業だったと言えます。
そして、後醍醐天皇が少年期に修学したという縁のある、後嵯峨天皇(在位1242–1246年)とその皇子、亀山天皇(在位1259–1274年)が営んだ離宮「亀山殿」が寺に改められました。
さらに、伽藍造営の不足資金を調達するため、夢窓疎石と足利直義が中国の元との貿易を復活させ「天龍寺船」を派遣、莫大な利益を上げたことでも有名です。
その利益を元に天龍寺の建設が進められ、康永2年(1343年)11月に竣工。貞和元年8月29日(1345年9月25日)には、後醍醐天皇七回忌にあわせて落慶供養を迎えました。
・天龍寺の歩み
- 暦応2年(1339年)南朝・後醍醐天皇が吉野の地で崩御。北朝・光厳天皇、足利尊氏・直義の奏請により亀山殿を仏閣とし、夢窓疎石を開山に請じ、年号をとって暦応資聖禅寺と称しました。
- 暦応4年(1341年) 7月、足利直義が寺の南の大堰川に金龍の舞う夢を見たことから寺号を霊亀山天龍資聖禅寺に改称。12月、天龍寺造営のための資金調達のため、元国への貿易船(天龍寺船)の派遣を許可。
- 康永元年(1341年)秋、天龍寺船出帆。貿易で莫大な利益を得る。
- 康永2年(1342年)法堂、方丈、書院など、70余宇の寮舎が完成。
- 康永4年(1345年)落慶法要と後醍醐天皇七回忌法要が行われる。
- その後、延文3年(1358年)、貞治6年(1367年)、応安6年(1373年)、康暦2年(1380年)、文安4年(1447年)、応仁元年(1467年)の火災、応仁の乱による焼失。文禄5年(1596年)慶長伏見地震で倒壊。文化12年(1815年)焼失、元治元年(1864年)の禁門の変(蛤御門の変)で大打撃を受け、現存伽藍の大部分は明治時代後半以降のものである。
夢窓疎石 [1275-1351年]
夢窓疎石は、鎌倉・南北朝時代の僧侶。
建治元年(1275)伊勢に生まれ、九歳で出家し当初は天台宗に学びますが、永仁元年(1293)疎山と石頭という禅寺に行って達磨(だるま)半身の画像を得るという夢を見て禅宗に目覚め、京都建仁寺で無隠円範に学びます。そして、この夢にちなんで、後に自らを夢窓疎石と称しました。
後醍醐天皇の勅請により南禅寺に住し、また、北条高時に請われて鎌倉浄智寺、円覚寺に住します。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇の勅によって、京都臨川寺を開きました。
後醍醐天皇から「夢窓国師」の号を賜ります。建武の親政が崩壊すると、足利尊氏、足利直義の帰依を受けます。暦応 2年(1339)後醍醐天皇が亡くなると、その冥福を祈って京都天龍寺を開きました。多くの門弟を育て、その数は一万人以上であったと伝えられています。門弟の中には、義堂周信、絶海中津など、後に五山文学の中心となった人々がいます。
出典:京都大学貴重資料デジタルアーカイブ より抄録
政治の主導権を握った北朝側が、南朝の後醍醐天皇を弔うのは、怨霊を恐れる御霊信仰も関係していたようです。南北朝時代を描いだ古典文学「太平記」には、後醍醐天皇の怨霊が登場します。
【2】天龍寺 見どころ
特別名勝の庭園、諸堂、法堂の天井画など、見どころ盛りだくさん。
その中でも、イチオシは夢窓国師作庭の面影をとどめているという特別名勝の庭園です。
・庫裡
天龍寺景観の象徴になっている建物で、 明治32年(1899年)の建立。切妻造の屋根下の白壁に、縦横のライン・曲線の梁を用いて装飾されたデザインが特長です。
玄関に入ると、元臨済宗天龍寺派管長・平田精耕筆のインパクトある達磨図の大衝立がお出迎え。達磨大師は禅宗の開祖とされている仏教僧です。
そして背後には、火盗双除伽藍守護を祈願して韋駄天像が置かれています。度重なる火災に見舞われた天龍寺の切実な思いが伝わりますね。
庫裡から方丈へは棟続きで、廊下を進むと曹源池庭園が広がります。
・曹源池庭園(特別名勝)
約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめていると言われます。わが国最初の史跡・特別名勝指定。
王朝文化の優美さと武家文化の荒々しさを巧みに融合した、曹源池を中心とした池泉回遊式庭園で、嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園でもあります。
チェックポイントは、
- 正面の枯山水の三段の石組み/龍門の瀧(中国の故事に由来)
- 手前の石橋/日本最古の橋石組み。右の石組みは釈迦三尊石。釈迦如来(中央)・文殊菩薩(左側)・普賢菩薩(手前下側)
と説明がありますが、素人にはちょっとわかりにくいです。特に龍門の滝は遠いので、よく見るには双眼鏡が必要ですね。
まぁ、詳細な作庭意図がわからなくても素敵な庭園であることは間違いないです^^
・大方丈と小方丈(書院)
大方丈と小方丈(書院)があり、大方丈は明治32年(1899年)、小方丈は大正13年(1924年)の建築です。
大方丈正面の「方丈」の扁額は関牧翁老師(天龍寺第8代管長)の筆。
本尊の釈迦如来坐像は平安時代後期の作とされる重要文化財で、天龍寺が見舞われた8度の火災のいずれにも罹災せず助けられた、天龍寺の造営よりもはるかに古い仏像です。
雲龍の襖絵は昭和32年(1957年)に若狭物外 によって描かれたもの。物外は明治20年秋田県生まれ、東京芸術学校を卒業後、山元春拳に弟子入りするも自ら絶縁し、富岡鉄斎門下の山田介堂に学んだ富岡鉄斎唯一の孫弟子。
天龍寺第8代管長である関牧翁老師の友人で、この方丈襖絵を描き上げた4ヵ月後に70歳で没し「画龍院如意物外居士」の法名が付けられました。
・多宝殿
多宝殿は後醍醐天皇の尊像を祀る祠堂。昭和9年(1934年)の建築で、後醍醐天皇の吉野行宮時代の紫宸殿の様式だそうです。
また、この場所は亀山上皇が離宮を営んだ際、後醍醐天皇が学問所とした場所でもあります。
小方丈(書院)からは屋根付きの廊下で結ばれ、途中には祥雲閣や甘雨亭の茶室が見えます。
・法堂(雲龍図)
天龍寺は元治元年(1864年)蛤御門の変での薩摩藩の砲火で、建築物のほとんどを焼失。法堂は、唯一残った雲居庵禅堂(選佛場)を当時の管長・峨山禅師が 移築し、1900年(明治33年)に法堂兼仏殿としたものです。
平成9年(1997年)天龍寺開山夢窓国師650年遠諱記念事業として、加山又造画伯(1927~2004)によって、天井に 躍動感あふれる“八方睨みの龍”が描かれました。※拝観料別途必要。堂内写真不可です。
時間に余裕がない場合は、庭園拝観をして、北門から嵯峨嵐山方面へ向かうことも出来ます。大方丈や多宝殿は、お庭からも見えますよ。
【3】手書き御朱印拝受方法
天龍寺の手描き御朱印を拝受する方法は、1ページ目に手描き御朱印が書かれた「オリジナル御朱印帳」の購入一択です。自分の御朱印帳に直接書いていただくことは出来ません。
書置きの御朱印はスタンプ押印のみになります(300円)。
・御朱印受付(売店)
天龍寺の御朱印は、嵐山の門から参道を直進した庭園受付の横にある売店で拝受できます。拝観後に拝受すべきか悩むところですが、行列が少ない場合は、拝観前に拝受しましょう!
・オリジナル御朱印帳で決まり
天龍寺の手書き御朱印を拝受する選択肢は、オリジナル御朱印帳購入の一択です。あらかじめ最初のページに手書き御朱印が書かれていて、年月日のスタンプを押してもらって完成。
紺色の布張りの上品な御朱印帳で、志納金1,200円はかなりお得だと思います。天龍寺で御朱印帳を拝受して、嵯峨嵐山の寺社を廻るのもいいですね。
手書き御朱印の筆跡は選んだ御朱印帳によって異なります。一期一会の楽しみですね。
【4】天龍寺 アクセス
京都屈指の観光地「嵯峨嵐山」にあります。最寄駅からは、徒歩1分~15分です。
・最寄り駅
- 電車最寄り駅 地図の上から
・JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」 徒歩約13分。
・京福電鉄 嵐山線「嵐山駅」 徒歩約1分。
・阪急電車 嵐山線「嵐山駅」徒歩約15分。 - 最寄りバス停
・京都市バス 11、28、93番で「嵐山天龍寺前 [嵐電嵐山駅] 」下車すぐ。
・京都バス 61、72、83番で「京福嵐山駅前」下車すぐ。
[地図]
A地点:最寄り駅
B地点:天龍寺
天龍寺に一番近いのは京福電鉄 嵐山線「嵐山駅」。渡月橋や嵐山を散策して嵯峨方面に行くなら阪急電車 嵐山線「嵐山駅」が便利。
嵯峨嵐山を効率よく巡るには、地図とにらめっこして計画するのがお薦めです。とはいえ、行き当たりばったりでも何とかなります^^
天龍寺からさらに北方面へ足を延ばす場合は電車の駅はありません。帰りは嵯峨嵐山へ戻ってくるか、バス停をチェックしておきましょう。
京都市交通局観光マップ「地下鉄・バスなび」
・京都駅から
- [C6乗り場] 市バス28 大覚寺行「嵐山天龍寺前 [嵐電嵐山駅]」まで約44分。
※下車すぐ。 - JR嵯峨野線 [31/32/33番のりば] 「嵯峨嵐山駅」まで約17分。
※下車、徒歩約15分。
・三条京阪から
- [C2乗り場] 市バス11 嵐山・嵯峨・山越行き「嵐山天龍寺前 [嵐電嵐山駅]」まで約50分。
嵐山周辺は、お土産屋さんや食事処・カフェ・テイクアウトなどなど、たくさんのお店があって楽しく散策できます。
※この記事の史実に関する記載は、天龍寺公式サイト、天龍寺パンフレット、駒札、京都の寺社505を歩く、Wikipedia等を参考に作成しました。
臨済宗天龍寺派大本山 天龍寺(天龍資聖禅寺)
所在地 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
TEL. 075-881-1235
■開門時間
・10月21日~3月20日 8:30~17:00 [受付終了16:50]
・3月21日~10月20日 8:30~17:30 [受付終了17:20]
■拝観料
・庭園(曹源池・百花苑)
高校生以上 500円、小中学生 300円、未就学児無料
・諸堂(大方丈・書院・多宝殿)
庭園参拝料に300円追加
※行事等により諸堂参拝休止日あり
諸堂参拝休止日:2020年4月2日・9月14日・10月29-30日 など
・法堂「雲龍図」特別公開 9:00~
一人500円(上記通常参拝料とは別)
※土日祝日のみ[春秋は毎日公開期間あり]
※10月21日~3月20日の受付終了15:50
※3月21日~10月20日の受付終了16:50
天龍寺 公式サイト