大豊神社(おおとよじんじゃ)は哲学の道の南端に位置する神社。
キャッチコピーは「京都哲学の道、狛ねずみの社」。とはいえ、狛ねずみの社とは境内の端にある末社の大国社の事なんです^^
1969年(昭和44年)に末社「大国社」とともに創建された日本初の「狛ねずみ」が主祭神を超えて人気の今日この頃。
そんなわけで、本来の神社の由緒が少々わかりにくいんですが、実は、創建は平安時代。宇多天皇ゆかりの知る人ぞ知る由緒ある神社なのです。
大豊神社の由緒、大国主とねずみの神話、アクセス方法をご紹介します。
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【1】大豊神社とは?
仁和3年(887年)、20歳の宇多天皇の病気平癒を祈るため、朝廷の勅命で医薬祖神の「少彦名命(スクナヒコナノミコト)」をお祀りしたのが始まりです。
宇多天皇は平癒され、天寿をまっとうされたので、病気平癒のご利益はバッチリです。
なのですが、現在は末社「大国社」とともに創建された日本初の「狛ねずみ」が注目され、メインのキャッチコピーが「京都哲学の道、狛ねずみの社」になっています。
・大豊神社の由緒
平安時代、仁和3年(887年)第59代 宇多天皇(867-931年)の病気平癒を祈るために、尚侍・藤原淑子が朝廷の勅命を受け、医薬祖神の少彦名命を現在地の背後にある椿ヶ峰(つばきがみね)山中に祀ったのがはじまりです。
創建時の社域は広大で「椿ヶ峰天神」と呼ばれ、公家の崇敬を集めたと伝わります。 また、仁和5年(889年)に淑子が発願した円成寺の鎮守社でもありました。 その後、寛仁年間(1017-1021年)に山麓の現在地に遷されました。
鹿ケ谷・然院・南禅寺一帯の産土神として信仰を集め、境内に植えられた枝垂れ紅梅・椿・山野草など、四季折々の彩りも楽しむことができます。
祭神
- 主祭神:少彦名命
- 配神:応神天皇、菅原道真
治病健康・福徳長寿・縁結び・安産祈願・学業成就などの信仰を集めています。
・大豊神社の歩み
- 仁和3年(887年)宇多天皇の病気平癒を祈るため、医薬祖神の少彦名命が現在地の背後にある椿ヶ峰山中に祀られました。「椿ヶ峰天神」と呼ばれ、公家の崇敬を集めたと伝わります。
- 寛仁年間(1017-1021年)山麓の現在地に遷されました。(社伝)
- 鎌倉時代-南北朝時代、建武の乱(1331-1336年)により焼失、再建。
- 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477年)後に衰微。
- 昭和44年(1969年)境内末社・大国社(ねずみ)創建。
宇多天皇(うだてんのう)[867~931年]
出典:デジタル大辞林
第59代天皇。在位887~897。光孝天皇の第7皇子。名は定省(さだみ)。菅原道真を登用し、藤原氏を抑えて政治の刷新を図った。その治世を後世、寛平(かんぴょう)の治という。譲位の時にその子醍醐天皇に与えた「寛平御遺誡(ごゆいかい)」が有名。日記に「宇多天皇御記」がある。亭子院(ていじのいん)のみかど。寛平法皇。
藤原淑子(ふじわらの しゅくし)[838~906年]
出典:講談社 デジタル版 日本人名大辞典
平安時代前期の女官。承和(じょうわ)5年生まれ。藤原長良(ながら)の娘。藤原基経(もとつね)の妹。藤原氏宗の後妻で,宇多天皇の養母。元慶(がんぎょう)8年(884)尚侍となり,宇多即位により従一位にのぼる。光孝,宇多,醍醐(だいご)3代の天皇の後宮で采配をふるった。亡夫の東山の山荘に円成寺を建立。延喜(えんぎ)6年5月28日死去。69歳。名は「よしこ」ともよむ。
円成寺(えんじょうじ)
藤原淑子は、仁和5年(889年)病に苦しみ、宇多天皇の師僧・益信(やくしん)の祈祷により平癒しました。そのため、淑子は亡夫の公卿・藤原氏宗(ふじわらのうじむね、?~872)の山荘を寺に改め円成寺を建立。
勅願寺となり、後に宇多上皇皇子・斉世(ときよ)親王が入寺。以後、明信法親王、頼助法親王、頼舜法親王、藤原氏が相次ぎ入寺し仁和寺院家になりました。
しかし、室町時代、応仁・文明の乱(1467~1477年)で被災。衰退して廃寺となりました。
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「狛ねずみ」が有名すぎて、神社の由緒を知らない方も多いのでは。私もその一人でした^^
【2】大国社と狛ねずみの由来
古事記の神話によると、主祭神の「少彦名命」は「大国主神」の国造りの相棒。
昭和44年(1969年)、大国主神を祀る末社:大国社と狛ねずみが大豊神社境内に創建されました。小さめの可愛いお社です。
少彦名命(スクナヒコナノミコト)
出典: 百科事典マイペディア
《古事記》では神産巣日(かんむすひ)神の,《日本書紀》では高皇産霊(たかみむすひ)尊の子。大国主神の国土経営に協力したが,伯耆(ほうき)国淡島で粟茎(あわがら)に弾(はじ)かれて常世(とこよ)国に行った。農業・酒造・医薬・温泉の神として信仰される。
大国主神(オオクニヌシノカミ)
出典: 百科事典マイペディアより抄録
少彦名命とともに国土経営,農作物の栽培等を教えたとする伝承は,《万葉集》や《古語拾遺》にもみられ,大小二神が対で国土の主であると考えられる。《古事記》では須勢理毘売命(すせりびめのみこと)を妻とし,兄弟神にいじめられ,因幡(いなば)の白兎伝説や素戔嗚尊から試練をうける説話を含み,天照大神の命に従って,国土を天孫に献上し隠退する。
・大国主神の使徒「ねずみ」
大国主神の使徒は「ねずみ」。大国主神が絶体絶命の大ピンチの時に「ねずみ」に救われたというエピソードに由来しています。
兄神たちである八十神(ヤソガミ)に迫害された大国主命は、根の国のスサノオノミコトに助けを求めることになりました。
そして訪れたスサノオの家で、スサノオの娘・スセリビメと出会い、二柱は一目惚れ。スセリビメが「とても立派な神が来られました」と言ったのが気に入らなかったのか、スサノオは次々と無茶な試練を与えます。その中のエピソードの一つにねずみが登場します。スサノオは広い野原の中に射込んだ矢を拾うよう大国主に命じ、大国主が野原に入ると野原に火を放ちます。火に囲まれ大国主が困っていると鼠が来て、「内はほらほら、外はすぶすぶ」(穴の内側は広い、穴の入り口はすぼまって狭い)とアドバイス。おかげで地面の穴に隠れて火をやり過ごすことができました。さらには鼠がスサノオが射た矢を持って来てくれたので課題を見事クリア。
大国主はその後も難題をクリアし、スセリビメを正妻とすることを許され、国づくりを始めることになるのです。
・可愛い置物おみくじ
ねずみの可愛い置物おみくじは、白だけではなく、ピンク・黄色・グリーンもありました。
ねずみ以外の授与品や御朱印もあります^^
・開運招福の絵馬
大国主神は兎を助けた「因幡の白兎」のエピソードが有名ですが、ねずみに助けられていたんですね!ねずみが使徒に納得です^^
【3】狛鳶、狛猿も
大豊神社の末社は、神様の使徒の石像が充実^^
大国社の狛ねずみたけではなく、日吉社:狛猿、愛宕社:狛鳶、稲荷社:狛キツネが殿社をお守りしています。
日本初の「狛ねずみ」は大豊神社。現在は、大阪・大国町の「敷津松之宮・大国主神社(大阪七福神)にもあるそうです。
【4】大豊神社アクセス
近くに電車の駅はありません。
一番最寄りのバス停「宮ノ前町」には、市バス32系統、100系統が停車します。
[最寄りバス停]
・市バス「宮ノ前町」より 徒歩約5分
・市バス「東天王町」より 徒歩約10分
地図のC地点が「大豊神社」、A地点「東天王町」、B地点「宮ノ前町」
・京都駅バスターミナルから
★京都駅前バスターミナルのりば案内
[D1のりば] 市バス100 清水寺祇園・銀閣寺行 「宮ノ前町」下車。
※宮ノ前町まで約32分。
・四条河原町から
[Hのりば]
市バス32 平安神宮・銀閣寺行「宮ノ前町」まで約18分
・四条京阪から
[Aのりば] 市バス 203 祇園・錦林車庫行「東天王町」下車。
※東天王町まで約15分。
※京阪電車「祇園四条駅」構内からは、7番出口が近いです。
[道順写真]
バス停「宮ノ前町」で下車すると、反対車線の前方に目印の石碑があります。
子年のお正月は、哲学の道まで行列が出来る事もあるそうです。
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※この記事の史実に関する記載は、書籍「京都の寺社505を歩く」、駒札、Wikipedia、コトバンク等を参考に作成しました。
大豊神社
所在地 京都市左京区鹿ケ谷宮ノ前町1
TEL.075-771-1351
境内自由
授与所 9:00~17:00