建勲神社(けんくんじんじゃ)は、天下統一に道筋をつけた織田信長の偉勲を称え、明治天皇が創建した神社です。正式な読み方は「たけいさお じんじゃ」ですが、通常「けんくんじんじゃ」と呼ばれています。
明治天皇は荒廃していた豊臣秀吉を祀る豊国神社も再興されていることから、 天下統一に向けて尽力した戦国武将をリスペクトされていたようですね。ちなみに明治天皇は刀剣マニアで、日本屈指の刀剣収集家だったそうです。
建勲神社が鎮座されているのは船岡山。この場所に創建された理由や、見どころ、刀剣、御朱印、アクセス方法をご紹介します。
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【1】織田信長を祀る建勲神社
建勲神社は、天下統一に道筋をつけた織田信長の偉勲を称え、明治天皇が創建した神社です。
・明治時代になって祀られた理由
- 江戸時代においては、江戸幕府の創始者として「神君」扱いされた徳川家康や『絵本太功記』等で庶民に親しまれた豊臣秀吉らとは異なり、信長は酷評され民衆にも不人気で、歌舞伎や浄瑠璃などにおいても、悪役・引き立て役だったそうです。
- 江戸時代後期になり、歴史家で『日本外史』を著した頼山陽(らいさんよう)が「信長の覇業こそが、豊臣・徳川の平和に続く道を作ったのだ」と信長を再評価し、勤王家(天皇に忠義を尽くす人)としての面を強調しました。そして、本居宣長などの国学者も、信長を日本の統一者として高く評価。さらに幕末の志士たちも、信長が御料所回復等を行っていたことなどを評価し、信長を勤王家として尊敬しました。
- 明治2年(1869年)明治天皇が「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」として、健織田社(たけしおりたのやしろ)の創建を決定しました。
明治維新期には、藩祖奉斎社(藩祖を祀る神社)創建が流行しました。建勲神社もその一つです。社会的な背景に、神仏分離・官幣社創建と府県社等社格の制度化・旧藩主家の東京移住などの制度改革があったと考えられています。
中でも政府が関わった案件は、天童織田家・建勲神社、水戸徳川家・常磐神社、山口毛利家・豊栄神社、鹿児島島津家・照国神社になります。
・建勲神社の歴史
- 明治2年(1869年)明治天皇により「健織田社」の創建が決定。
明治3年(1870年)「建勲」の神号を賜り、信長の次男・信雄の末裔である天童藩(現在の山形県天童市)知事・織田信敏の東京の邸内と織田家旧領地の山形県天童市に「建勲社」を造営。 - 明治13年(1880年)東京より船岡山に遷座、「建勲神社」創設。
- 明治14年(1881年)織田信忠を合祀。
- 明治43年(1910年)社殿を船岡山の山頂部分に移建。
- 大正6年(1917年)正一位を追贈。
・船岡山に創建された理由
船岡山は比高45メートルの優美な小山。古来その美観が尊ばれた景勝の地でした。
- 天正10年(1582年)6月2日に織田信長が本能寺の変で死亡。
豊臣秀吉が100日後の10月10日に信長の大葬礼を大徳寺で執り行い、天正11年(1583年)には信長の追善供養のため、禅僧・古渓宗陳(こけいそうちん)を迎え、大徳寺内に塔頭・総見院(そうけんいん)を建立しました。 - さらに、天正12年(1584年)秀吉は正親町天皇(おおぎまちてんのう)の勅許を賜り、船岡山に信長の菩提寺として元号寺「天正寺」の建立を企画します。造営責任者には総見院主の古渓宗陳を任命しましたが、天正16年(1588年)宗陳は石田三成との衝突がきっかけで九州博多に配流され、天正寺建立計画は頓挫。
- そのまま船岡山一帯は「信長の霊地」として江戸時代を通じて保護されることになりました。
- そして300年近く後の明治13年(1880年)、天正時代からの因縁がある「信長の霊地」船岡山に「建勲神社」が創建されることになったのです。
秀吉が天正寺を企画した本当の理由は?
信長の政権を引き継ぎたい秀吉は、関係が悪化していた次男の織田信雄を徳川家康から遠ざけ、味方に引き入れるために、信長の菩提寺「天正寺」の建立を企画したとも言われているようです。実際、天正12年3月の小牧・長久手の戦い以降、信雄は秀吉に臣従しました。
なんと、織田信長は300年近くの間、不人気だったんですね。
【2】建勲神社の御利益と見どころ
本殿は船岡山の上なので、ふもとの大鳥居から100段以上の石段を登ります。
・御利益
祭神である織田信長の業績にちなみ、猛々しくも、あらたかな御神徳で崇敬されています。
- 国家安泰
- 難局突破
- 大願成就
・大鳥居
建勲前通りに面する大鳥居は、高さ7.2m幅5.5m。京都府内最大の白木の鳥居です。
建勲神社本殿へ参拝するには、大鳥居をくぐって左手にある東参道の石段を上がります。大鳥居の正面の石段を上がった場所には末社・義照稲荷神社があります。
・拝殿、神門、本殿
拝殿では、手前に置かれている祓串(はらいぐし)を左右左に振り、自らお祓いをして参拝する事ができます。また、拝殿の内側上部には織田信長公三十六功臣のうち十八功臣の額が飾ってあります。
拝殿の向こうに神門と本殿が見えます。
京都の街を一望できる気持ちのいい場所でもあります。そのため、五山の送り火の日は大混雑だそうです^^ ※全部の送り火を見ることは出来ません。
【3】織田信長ゆかりの刀剣
建勲神社は刀剣にゆかりのある神社としても有名です。
織田信長ゆかりの「義元左文字(重要文化財/京都国立博物館に寄託)」「薬研藤四郎(写し)」を所有されています。
これらの刀剣を神社で見ることは出来ませんが、全国の博物館や美術館などで特別展示されることがあります。興味のある方はホームページをマメにチェック!
・義元左文字、薬研藤四郎
- 「義元左文字」(よしもとさもんじ)
桶狭間の戦いで織田信長が今川義元から奪い取ったという「義元左文字」。
この刀は南北朝時代に制作され、三好政長→ 武田信虎→ 今川義元→ 織田信長→ 豊臣秀吉・秀頼→ 徳川家康の手に渡ったとされ、別名「天下取りの刀」と言われています。建勲神社が創建された際に徳川宗家が奉納しました。 - 「薬研藤四郎」(やげんとうしろう)
鎌倉時代の刀工・藤四郎吉光により作られた、切れ味は鋭いが主人の腹は切らないと評判になった短刀。畠山政長が敗戦して切腹をする際、短刀が腹に刺さらず投げ出したところ、近くにあった器具・薬研(やげん)を貫いたというエピソードから、この名が付きました。
そして、畠山政長→ 松永久秀→ 織田信長に渡り本能寺の変で焼け落ちたといわれます。本能寺の変の後、もう一度焼き入れをされたという記録がありますが、その後行方不明になりました。8代将軍徳川吉宗が編纂させた名刀の目録『享保名物帳』でも焼失之部に掲載され現存しません。
平成30年(2018年)、現代の刀匠・藤安将平(ふじやす まさひら)氏によって写し(複製品)が制作され、神社に奉納されました。
藤安将平刀匠の講話 現存しない刀を再現する難しさをお話されています。
・京都刀剣御朱印めぐり
不定期ですが刀剣に関わりのある4つの神社をめぐる「京都刀剣御朱印めぐり」が実施されてます。専用の御朱印帳や限定御朱印を拝受できます。
- 建勲神社「宗三左文字」「薬研藤四郎」
- 粟田神社「三日月宗近」「一期一振」「小狐丸」
- 豊国神社「骨喰藤四郎」
- 藤森神社「鶴丸国永」
刀剣マニアだった明治天皇も、存命だったら「京都刀剣御朱印めぐり」されたかもしれませんね^^
【4】御朱印
御朱印帳に直接書いていただけるのは、1ページタイプと、見開きタイプの2種類です。
今回は、インパクトある見開きを拝受。
その他、書置き御朱印も色々な種類が用意されていました。
1ページタイプには建勲神社と書いてもらえるので、見開きタイプを一緒に拝受して3ページにすれば良かったかも。と後から少し後悔^^
【5】建勲神社 アクセス
京都市バス「建勲神社前」「船岡山」ら大鳥居を目指して行くのがおすすめ。
バス停「船岡山」からは、ふもとの道を通らずに、船岡山の鬱蒼とした森の中を通って行くこともできますが、ちょっとわかりにくいかも。
最寄りバス停
- 建勲神社前 ※大鳥居まで徒歩約5分。
- 船岡山 ※大鳥居まで徒歩約7分。
[地図]
A地点:建勲神社 大鳥居
B地点右側:バス停「建勲神社前」
B地点左側:バス停「船岡山」
・京都駅から
- 京都駅前バスターミナルのりば案内
[A2のりば] 市バス205 四条河原町・北大路バスターミナル行に乗車「建勲神社前」下車。乗車時間:約46分。
[A3のりば] 市バス206 大徳寺・北大路バスターミナル行に乗車「建勲神社前」下車。乗車時間:約39分。 - 地下鉄烏丸線 国際会館行に乗車「北大路駅」下車→市バスに乗換
市バス204、205、206、1、12、M1、北8「建勲神社前」下車。合計所要時間:約25~30分。 - TAXI 所要時間 約23分
総距離 約7.5km タクシー料金検索
※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。
・四条河原町から
- [Fのりば] 市バス205 北大路バスターミナル行に乗車「建勲神社前」下車。乗車時間:約32分。
- [Dのりば] 市バス12 金閣寺・立命館大学前行に乗車「建勲神社前」下車。乗車時間:約31分。
- TAXI 所要時間 約21分
総距離 約6.7km タクシー料金検索
※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。
あぶり餅で有名な今宮神社や、信長ゆかりの総見院のある大徳寺は徒歩圏内にあります。ただし総見院は通常非公開なので、春・秋の特別公開を狙いましょう!
※この記事の史実に関する記載は、建勲神社公式サイト、駒札、Wikipedia、書籍「京都の寺社505を歩く」等を参考に作成しました。
建勲神社
所在地 京都市北区紫野北舟岡町49
TEL.075-451-0170
社務所 9:00~17:00
境内参拝自由
建勲神社 公式サイト