雲龍院(うんりゅういん)は、御寺 泉涌寺の別格本山、皇室ゆかりの写経道場です。
泉涌寺の境内にあるので、一緒に訪れてみてはいかがでしょうか?
見どころは、庭園やファンキーな走り大黒天様などなど。公式パンフレット以外に見学ポイント&裏話付きのリーフレットをいただけるので、わかりやすく参拝できます。
さらに、庭園を見ながらお茶とお菓子をいただいたり、写経体験もできます。(別料金)
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【1】雲龍院とは
雲龍院は、南北朝時代の1372年、北朝の第4代 後光厳天皇(ごこうごん てんのう)によって建立されました。
その後、第5代 後円融天皇が妙法写経を発願、写経道場として現在に受け継がれています。
南北朝時代
日本の歴史区分の一つ。鎌倉時代と(狭義の)室町時代に挟まれる時代で、広義の室町時代に含まれる。始期は、建武の新政の崩壊を受けて足利尊氏が京都で新たに光明天皇(北朝・持明院統)を擁立したのに対抗して、京都を脱出した後醍醐天皇(南朝・大覚寺統)が吉野行宮に遷った1337年1月23日、終期は、南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位する形で両朝が合一した1392年11月19日である。出典:Wikipediaより抄録


・雲龍院と写経のあゆみ
- 1372年、後光厳天皇が竹厳聖皐(ちくがんしょうこう)律師を招き、自らの菩提所として建立。その後も歴代天皇の信仰篤く、たびたび行幸されている。
- 1389年、後円融天皇が龍華殿を建立し「妙法写経会」を始められる。
後光厳上皇・後円融天皇は竹厳聖皐上人に聞法受戒され、崩御後は背後の山に埋葬。 - 1402年、開山 竹厳聖皐上人が死去。
- 1405年、盂蘭盆会の夜に、諸堂を焼失。
- 1428年、全安上人により再建。後小松天皇や称光天皇などの帰依を受けて発展。
- 1470年、応仁の乱で焼失。
- 1501年、後柏原天皇の勅命で御黒戸御殿(おくろどごてん)が移築され、如法御殿と名付けられ写経道場とされる。
- 1596年、地震により御黒戸御殿などが倒壊。
- 1639年、中興の祖 如周正専(じょしゅうしょうせん)が、隣接する龍華院を併合し、後水尾上皇の援助のもとに諸堂を修復。鎮守堂、鐘楼、東西に僧坊などが建立された。
- 1642年、後円融天皇250回御忌。後水尾上皇より写経会の仏具百余点を賜り再興。
- 1843年、光格天皇の皇妃、仁孝天皇両皇女、孝明天皇の両皇女が後山に葬られ、皇室から玄関・方丈・勅使門などを賜る。
- 1868年、後光厳天皇を始めとする歴代天皇の尊牌を祀る霊明殿を建立。
・写経体験
誰でも気軽に参加できます。
静寂な本堂 龍華殿(重要文化財)の中、無心になって写経をすると、心の緊張が解きほぐされ安らいだ気持ちになれるでしょう。
筆文字に自信がなくても「般若心経」が薄く印刷された紙の上からなぞるスタイルなので、何とかなります^^
最後に願い事と住所・氏名を書き入れ、硯箱を整えて終了したら、庭園を見ながら抹茶やお菓子を頂きます。
詳しくは、公式サイト 雲龍院の写経をご確認ください。
般若心経(はんにゃしんぎょう)は、仏教の「物事に執着せず、心を軽くして生きるための智慧」を300文字弱にまとめたお経です。故人への供養だけではなく、私たちが抱える日々の悩みや不安を手放すためのメッセージでもあります。
写経体験
・受付時間 10:00〜15:00
・写経料金 お一人様 2,000円(拝観料・御抹茶込み)
・写経会場 雲龍院龍華殿
・所要時間 写経・拝観を含めて約1時間30分程度
※事前予約不要。都合により時間や会場を変更する場合あり。

写経で疲れた気持ちを解きほぐすのもいいですね^^
【2】見どころ
お庭と部屋の窓の工夫が素敵でした。
本堂に安置されている本尊 薬師如来三尊像は、医師の役目をする現世利益の仏として親しまれています。

・蓮華の間
障子にある正方形の窓から、「椿・灯ろう・楓・松」が見えるようになっています。四季折々の風景が楽しめる贅沢な空間です^^

・大輪の間
大輪の間(だいりんのま)は、お庭を一望できる開放的な広間。
忠臣蔵で有名な大石良雄(内蔵助)が力強い筆致で描いた「龍淵(りゅうえん)」の書がショーケースに飾られています。
大石内蔵助は、討入り前の1年あまり山科の地に住居を構え、1701年7月、雲龍院の近くにある来迎院の茶室 含翠軒で討ち入りの密議をしたとのことです。
大石内蔵助(おおいし くらのすけ)
江戸時代中期(1701~1703年)の赤穂事件で知られる播磨赤穂藩の筆頭家老。主君 浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の無念を晴らすため、同志(赤穂浪士)を率いて宿敵 吉良上野介(きら こうずけのすけ)の屋敷へ討ち入りを成し遂げた、忠義の武士として有名です。

・水琴窟(龍のさやけし)
雲龍院の庭には、かつて大きな池があったそうです。
紅葉が映るその池を、大石内蔵助が龍のすみか「龍淵(りゅうえん)」と名付けました。
「龍淵」の深い意味
「龍淵に潜む」という秋の季語があります。中国の故事「龍は春分に天に昇り、秋分に淵に潜む」に由来する言葉で、役割を終えた龍が、次に天に昇るため休息や準備期間を水の中でひっそりと過ごす様子を表しています。転じて人生における「充電期間」や「雌伏の時」を意味します。
池はなくなりましたが、水琴窟から聞こえる澄んだ音色は、守り神である龍の息吹にも感じられます。
ちなみに「さやけし」は、古語・形容詞で「爽やか」の語源。光が明るく澄み渡っている様子、音・声が清らかに響く状態、すがすがしい気分を表します。

・霊明殿
霊明殿とは皇族の位牌が安置されている堂のことです。
現在の建物は明治元年に孝明天皇・大宮御所・静寛院宮・各尼門跡宮からの援助を受け建立されました。
内陣中央には、北朝の後光厳天皇、後円融天皇、後小松天皇、称光天皇の位牌。左側に、後水尾天皇から孝明天皇までの歴代天皇、右側に東福門院・普明照院といった江戸時代の皇子・皇女の位牌が奉安されています。
また、霊明殿前には徳川慶喜が寄進した灯篭があります。かつては光明天皇陵にありましたが、幕末の混乱期に薩摩藩に倒されたため、雲龍院住持が夜中にこっそり移したそうです。
灯篭を中心に白砂で作られた菊紋が印象的です。

・龍華殿(本堂)
本堂の龍華殿は重要文化財。写経体験は、この龍華殿の中で行います。写経机は、かつて御水尾天皇より寄進されたものだそうです。
大切に受け継がれてきた机の前に座ると、それだけでも新たな気持ちになれそうですね。


・走り大黒天
台所に安置されている大黒様は鎌倉時代の作で、目には水晶、胸元には切金細工がほどこされています。
草鞋をはいた左足を一歩前に出した姿から「走り大黒」と呼ばれ、前に踏み出すことを諭しているといいいます。
大きな袋をもって「よっしゃー!」と気合を入れているようにも見えるユニークな大黒様です。力強く幸福を運んでくださりそうなインパクトがありました。
大黒様は写真不可なので、雲龍院のその他の写真を貼っておきます^^


・悟りの窓
書院 悟之間にある丸窓は「悟りの窓」と呼ばれます。
春は手前から紅梅・海棠(かいどう)・シャクナゲが順番に花が咲き、夏は新緑、秋は紅葉と四季折々の風景を楽しめます。



霊明殿、龍華殿(本堂)の堂内、大国様は撮影禁止です。写真は公式ページに掲載されています。
【3】御朱印
拝観受付時に御朱印帖をお預けして、帰る時に受け取るシステムです。
基本の御朱印は龍華殿。


味わいのある龍華殿。しぶいです!
【4】雲龍院 アクセス
雲龍院への参道入り口は、泉涌寺の大門を入った右手にあります。
看板が出ているのですぐわかります。
・最寄駅から
- バス停「泉涌寺道」から徒歩約15分。
- JR奈良線、京阪本線「東福寺駅」から徒歩約20分。
[地図]
A地点:京阪本線「東福寺駅」
B地点:市バス「泉涌寺道」
C地点:泉涌寺 大門
・京都駅から
- JR奈良線「東福寺駅」まで約2分。下車、徒歩約15分。
※みやこ路快速・区間快速も停車します。 - 市バス 京都駅前バスターミナルのりば案内
[D2のりば] 208 「泉涌寺道」まで約23分。下車、徒歩約10分。 - TAXI 京都駅八条口から所要時間 約10分。
総距離 約2.4km タクシー料金検索
※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。
・祇園四条から
- 京阪本線 淀屋橋行きに乗車「東福寺駅」まで約6分。下車、徒歩約15分。
※特急は停車しません。

雲龍院は泉涌寺の境内にあるので、一緒に参拝するのがおすすめです。
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雲龍院の近くにある名所旧跡です。
泉涌寺 | 清泉が湧きいづる、皇室の菩提所
月輪陵、後月輪陵 | 泉涌寺 霊明殿の東に鎮まる陵
今熊野観音寺 | 後白河上皇公認・頭痛封じの観音様。ぼけ封じも有名
※この記事の史実に関する記載は、雲龍院パンフレット・公式ホームページ、京都通百科事典等を参考に作成しました。





















雲龍院 [瑠璃山 雲龍院/真言宗 泉涌寺派 別格本山]
所在地 〒605-0977 京都市東山区泉涌寺山内町36
TEL.075-541-3916
西国薬師霊場第四十番札所
【拝観時間】
・9:00〜17:00(16:30 受付終了)
【拝観料金】
・1名 400円/泉涌寺の拝観料とは別です。
【拝観休止日】
・毎週水曜日 ※11月を除く
・1月成人の日、2月18日、4月27日、6月27日、9月中秋の頃、12月23日
※上記以外にも拝観休止の場合がありますので公式サイトで要チェック。
雲龍院 公式サイト