河井寛次郎記念館 | 自宅兼工房の見どころ、アクセス

河井寛次郎記念館

河井寛次郎記念館(かわいかんじろう きねんかん)は、清水焼発祥の地「五条坂」のほど近く。

河井寛次郎は、大正から昭和時代に活躍した陶芸作家。日の光が柔らかに差し込む心地よいこのお宅は、自ら設計した自宅兼工房です。

民藝、日用品(陶器・椅子・家具等)、町家・古民家、デザインに興味がある方に、とってもお勧めの場所です。

縁側では猫の「えきちゃん」がお昼寝していました^^ えきちゃんは、岩合光昭さんの写真集「ねこの京都」にも登場しています。

この記事では、河井寛次郎と民藝&記念館、近くの観光地をダイジェストでご紹介します。

基本情報

河井寛次郎記念館
所在地 京都市東山区五条坂鐘鋳町569
TEL.075-561-3585
河井寛次郎記念館 公式サイト

開館時間 10:00~17:00(入館受付 16:30まで)
休館日 月曜日(祝日は開館、翌日休館)
夏期休館 8/11~8/20頃、冬期休館 12/24~1/7頃

入館料金
大人 900円、高・大学生 500円、小・中学生 300円、年間パス 3,000円

【1】河井寛次郎と民藝運動

河井寛次郎は、柳 宗悦(やなぎ むねよし/そうえつ)や、濱田庄司(はまだ しょうじ)らと共に、日常の暮らしの品から「用の美」を見出す「民藝運動」に共鳴し、その中心を担った陶芸作家の1人です。

彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの作品も残し、土と炎の詩人とも呼ばれました。

「暮しが仕事 仕事が暮し」の言葉を残しています。

河井寛次郎
明治23年(1890年)生 ~ 昭和41年(1966年)没

略歴
1890年、島根県安来町(現・安来市)で、大工棟梁の次男として生まれる。

1910年、東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科へ入学。師弟関係を重んじる陶工の世界にあって、学校という教育機関で指導を受けた新しい世代の陶工となる。その後、京都市立陶磁器試験場に勤務し研究制作に励む。

1920年、結婚。京都市五条坂鐘鋳町(現在の記念館の場所)に住居と窯を得、ここを拠点に陶磁器のほか木彫や金工、書など様々な創作活動に勤しむ。

1921年、「創作陶磁展覧会」を高島屋(東京・大阪)で開催、華麗な作風で注目される。
同時期に柳宗悦の集めた李朝の陶磁展「朝鮮民族美術展」を展観し、無名の陶工が作り出す簡素で美しい作品に感銘を受け、自らの作品制作を中断。

1924年、柳宗悦の民藝理論に深く共感し、実用的な陶器制作が新たな目標。
1929年、沈黙を破り、日常の用途にあてた作品を発表。作風の大転換となる。

1937年、自らの設計により自宅を建築(現在の記念館)

その後も精力的に活動し、1966年に76歳で永眠。

・日用品の美に注目した民藝運動

民藝運動は、芸術運動家・評論家である、柳 宗悦が起こした運動です。

「民藝」とは、民衆的工芸を意味しています。暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、世に広め、新しい日用品を制作し普及させる日本独自の運動です。

現在も日本各地で活動が続けられています。

柳 宗悦
思想家、美学者、芸術運動家、評論家
※プロダクトデザイナー 柳 宗理(やなぎ むねみち/そうり)は息子。
明治22年(1889年)生 ~ 昭和36年(1961年)没

略歴
1889年、元老院議官 柳 楢悦(やなぎ ならよし)の三男として誕生。東京帝國大学文学部心理学科卒業。
─ 中略 ─
1925年、民衆の用いる日常品の美に着目。濱田庄司や河井寛次郎らとともに無名の職人達が作った民衆的工芸品を「民藝」と名付けます。

1926年、柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉の連名で「日本民芸美術館設立趣意書」を発表し多くの賛同者の援助を得て、1936年「日本民藝館」を開設、初代館長に就任。

1957年、文化功労者に選定。

晩年は闘病をしながら執筆活動を継続。1961年に72歳で永眠。

ミィコ

現在進行形で評価されている民藝。展覧会もよく見かけます^^

【2】河井寛次郎の住居兼仕事場

交通量の多い五条通りから静かな路地に入ると、看板が印象的な町家が見えてきます。引き戸をガラガラッと開けてお邪魔します。

この家は、寛次郎が日本各地の民家(主に飛騨高山)を参考にしつつ、昭和12年(1937年)に独自に設計したものです。そして、故郷の島根県・安来からお兄さんを棟梁とする大工さんたちを迎えて建てられました。

河井寛次郎記念館 外観
▲外観は京町家風

・くつろぎの生活空間

木の温もりや、中庭から差し込む光や風を感じながら、穏やかに過ぎていく時間。 寛次郎さんが、自分や家族、友人たちが心地よく過ごせるように、心を配ったしつらえだと感じます。

板張りの床は「朝鮮張り」をアレンジしたものだそうで、とても素敵なパターンです。皆さん、それぞれのお気に入りの場所で寛いでいたんだろうなぁ^^

河井寛次郎記念館 内観
▲山里の古民家のような風情
河井寛次郎記念館 内観
▲囲炉裏

写真はないですが、背後に大きな机があって、その上には展覧会のフライヤーや民藝に関連する書籍などがたくさん置かれています。自由にゆっくり見ることが出来るので、ついつい長居してしまいそうです^^

河井寛次郎記念館 内観
▲中庭の向こうは作品展示スペース
河井寛次郎記念館 階段
▲2階へは急な階段で

室内には寛次郎の作品や、蒐集したオブジェや椅子・家具がさりげなく置かれています。特にさまざまな形の椅子には自由に座ることが出来ます。見た目よりずっと座り心地が良かったり、ついつい全部試してみたくなります。

河井寛次郎記念館 2階
▲お尻の形の可愛い椅子
河井寛次郎記念館 2階
▲寛次郎の指定席
河井寛次郎記念館 2階
▲和室に置かれた作品たち
河井寛次郎記念館 猫
▲猫にとっても心地よい家

・こだわりの仕事部屋

仕事場のスペースは、外側の窓から見えるようにっています。中には入れません。仕事部屋の前のスペースにも色々椅子が置いてあって休憩できるようになっています。登り窯で焼いている時など、ここで休憩したりしたのかなぁ?なんて想像が広がります。

河井寛次郎記念館 中庭
▲仕事場から中庭を望む
河井寛次郎記念館 仕事場
▲仕事場
河井寛次郎記念館 椅子たち
▲仕事場の前の休憩スペース

・登り窯

素焼窯で焼いて素焼された作品は、釉薬をかけた後、登り窯で焼かれました。寛次郎の作品の多くは、前から二番目の室から生み出されたそうです。

河井寛次郎記念館 登り窯
▲登り窯

河井寛次郎は自分の作品を美術品として仰々しく扱われるのを好まず、サインや銘は入れないスタイルだったそうです。

美しいものは、特別な人だけが生み出すものではなく、無名の職人の手仕事にも宿っている。という民藝運動の考えを貫いておられたんですね。カッコイイです!

・作品陳列室

作品陳列室には作品だけではなく、寛次郎の愛用品なども展示されています。

河井寛次郎記念館
▲寛次郎の下絵(中期・昭和)
河井寛次郎記念館 作品
▲寛次郎の作品「三彩花手文鉢」(1951年)

第7回京都やきものWeek「わん椀ONE 2018」が開催されており、記念館2階でも寛次郎の酒器が小陳列されていました。

河井家の食卓はいつもお客様も一緒の賑やかなもので、飲みながら食べながら良き語らいの時間が流れていたそうです。ただ、民藝運動の仲間はお酒は飲まかったので、河井だけ晩酌1~2合程度のお酒をたしなんだとの事です。

河井寛次郎記念館
▲ 寛次郎作の酒器
ミィコ

館内の写真撮影は、受付で手続きすればOKです(住所氏名の記載)。ロッカーもあるので、荷物は置いてゆっくり過ごせます^^

【3】まとめ

肩ひじ張らずにリラックスして楽しむことができる雰囲気が魅力の記念館。

ユニークな椅子のコレクションを見たり、座ったりしてみると、寛次郎さんが日々の生活を楽しんでいたこと、遊び心を大切にしていたことが伝わってきます。

民藝活動という言葉だけ聞くと何だか気難しいイメージがありましたが、そんなことはありませんでした。一度ゆっくり訪れてみてはいかがでしょうか?

民藝は現在も日本各地でさまざまな活動が続けられています。それだけ、この活動に共感する人々が多かったという事でしょう^^
全国の民藝館LINK集

この記念館は、そんな民藝活動の中核を担った河井寛次郎の生活・仕事環境を垣間見ることが出来る近代の貴重な文化財です。

【おまけ情報】
同時代の孤高の芸術家、北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)は、民藝活動の思想に否定的で、手記まで発表していました。

その内容は、裕福な柳宗悦が民衆の生活を語る事自体が矛盾。工芸品は実用安価を主張する一方、民藝の作家の作品は高額で販売しているのも矛盾。さらには、柳宗悦が工芸作品を見る観点もダメだと忠告するものです。

確かに、痛いところを突いている部分がありますが、皆さん後世に残る仕事をされているので、考え方に違いはあっても正解はないのかもしれません。

ミィコ

猫と一緒にずっとくつろぎたくなる場所です。年間パスがあることに納得!

【4】河井寛次郎記念館 アクセス

・最寄り駅は京阪本線「清水五条駅」
・バス停は「馬町」「五条坂」

・三条京阪、祇園四条から

  • 京阪本線 淀屋橋行き乗車「清水五条駅」2号出口より 東へ徒歩約10分。
    ※特急は停車しません。
  • TAXI 四条河原町から7~8分程度。
    「東山五条西入一筋目下がる」と運転手にお伝えください。

・京都駅から

  • 市バス
    [D2のりば] 市バス206 東山通・北大路バスターミナル行「馬町」まで約13分、下車徒歩1分。
    [D1のりば] 洛バス100 清水寺祇園・銀閣寺行「五条坂」まで約13分、下車 徒歩4分。
  • TAXI 京都駅から7~8分程度。
    「東山五条西入一筋目下がる」と運転手にお伝えください。
ミィコ

京阪本線の清水五条駅からは、交通量の多い五条通り沿いを歩くことになるので、正直なところ風情はあんまりありません。

【5】近くの見どころ

この周辺には、たくさんの観光スポットがあるので、行き当たりばったりでも結構楽しめると思います^^ とはいえ、時間が限られる場合は、しっかり下調べをして行きましょう!

・五条坂→ 清水寺→ 高台寺→ 祇園へ

五条まで来たなら、お土産屋さんや、カフェなどが密集する五条坂は外せません。

清水焼を扱うお店もたくさんあり、いかにも観光地といった賑やかで華やいだ雰囲気です。途中、八坂の塔、八坂庚申堂・清水寺など、人気のスポットも色々あります。

お店を見ながら散策していると、産寧坂から二年坂、高台寺、気が付けば八坂神社・祇園に到着します。

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・京都国立博物館→ 智積院→ 養源院→ 三十三間堂へ

記念館から南の方へ行くコースは、五条坂とは対照的に落ち着いた感じです。

京都国立博物館
千年の都京都ゆかりの文化財を中心とした展示です。
三十三間堂
前後10列の階段状に整然と並ぶ等身大の1000体の観音立像が有名。

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※この記事の史実に関する記載は、寛次郎記念館公式サイト、パンフレット、日本民芸館公式サイト、Wikipedia等を参考に作成しました。