豊国神社(とよくにじんじゃ)は、豊臣秀吉を祀る神社です。
江戸時代に徳川家康によって廃絶されましたが、明治時代に復活。天下人となった秀吉にあやかって、出世開運・厄除招福・商売繁昌などの御利益で信仰されています。
豊国神社の歴史や、境内の瓢箪モチーフの由来、可愛いひょうたん置物おみくじをご紹介します。
ちなみに、阿弥陀ヶ峰の秀吉のお墓「豊国廟」までは、豊国神社から徒歩約30分~くらい。約500段の石段が結構キツイけど、さらなるご利益を求めて行ってみる価値ありかも!
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【1】豊国神社とは
安土桃山時代に天下人となった豊臣秀吉をお祀りする神社。
なんと、自身の死後は「新八幡神*」として祀るように遺言していたそうです。図々しさもここまでくると、あっぱれって感じですね^^
でも、さすがに「新八幡神」案は朝廷に却下され「豊国乃大明神(とよくにのだいみょうじん)」となりました。
*八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)とは、日本のNO.1 武運の神(武神)として崇敬を集めた神様です。第15代 応神天皇と同一視されています。
豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)[1536~1598]
出典:小学館デジタル大辞泉より抄録
安土桃山時代の武将。織田信長に仕え、信長の死後、明智光秀・柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一。この間、天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり、豊臣を賜姓。また、検地・刀狩りなどを行い、兵農分離を促進した。のち、明国征服を志して朝鮮に出兵したが、戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。豊太閤。
・豊国神社の歩み
- 慶長3年(1598年)豊臣秀吉は伏見城で死去。遺体は火葬せずに安置されました。
- 慶長4年(1599年)豊国神社創建。
遺言により東山の阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、その麓の太閤坦(たいこうだいら)に廟所が建立されました。そして、後陽成天皇から「豊国乃大明神」の神号が与えられ、社は「豊国社(とよくにのやしろ)」と命名されました。
境内域30万坪を誇る壮麗かつ壮大な社で、毎年4月と8月に行われた豊国祭には朝廷より勅使が遣わされ、諸大名の参拝や寄進が相次いだといいます。 - 慶長年間(1596年~1615年)は繁栄しましたが、慶長20年(1615年)に豊臣家が滅亡すると徳川家康の意向により神号は剥奪、神社も廃絶・破却されました。秀吉の遺体は山頂にのこされ霊屋は修理禁止とされ、江戸時代を通して再興が認められることはありませんでした。
- 明治元年(1868年)再興。
明治天皇が「秀吉は天下統一を果たしたが、幕府を作らず天皇を尊重した人物」であると再評価し、新日吉神社(いまひえじんじゃ)の神楽殿を仮拝殿として再興。 - 明治13年(1880年)旧方広寺大仏殿跡地(現在地)に社殿が完成し遷座が行われました。
- 明治31年(1898年)阿弥陀ヶ峰山頂の荒廃していた陵墓に新しく石造五輪塔を建立。この工事の際、土中から素焼きの壷に入った秀吉の遺骸とおぼしきものが発見され、丁重に再埋葬されたといいます。
「ホウコクさん」の名でも親しまれています。
【2】豊国神社 見どころ
一番の見どころは豪華な唐門(国宝)。
時間があったら宝物殿もおすすめ。正統派の文化財「豊国祭礼図屏風」などの他、秀吉の歯、愛用の木製枕や刺身用皿などレアなお宝も展示されています。
・豊臣秀吉像
太平洋戦争中に制作された陶器製の像です。
1995年の阪神淡路大震災で台座が壊れて以来、倉庫で保管されていましたが、修理をして令和改元に合わせて再公開されました。
・唐門(国宝)
豪華な唐門は、大徳寺・西本願寺の唐門とならぶ「京都の国宝三大唐門」です。伏見城の遺構と伝わり、二条城から南禅寺塔頭・金地院を経て移築されました。
【チェックポイント】
- 扉の「鯉の滝登り」の彫刻:立身出世を意味する中国の故事「登竜門」を表現。
- 欄間の「飛び鶴(目無し鶴)」の彫刻:伝説的な彫刻職人・左甚五郎作とされます。目を入れると飛び去るので、あえて彫らなかったとか。
- 勅額「豊国大明神」:慶長13年(1608年)に、後陽成天皇から下賜されたもの。
・拝殿、本殿
拝殿と本殿は明治13年(1880年)の建立。本殿の南隣にある摂社・貞照神社(さだてるじんじゃ)は、秀吉の正室・北政所をお祀りするために大正14年(1925年)に建立されました。
通常は、かなり離れているけれど唐門からお参りします。ちなみに正月三が日だけは、唐門が開けられ本殿の前まで行くことが出来ます。
・宝物殿
宝物殿は桃山風デザインの鉄筋コンクリート造り。
「豊国祭礼図屏風(狩野内膳筆・重要文化財)、鉄燈籠(辻与二郎作・重要文化財)、桐鳳凰蒔絵唐櫃(重要文化財)など、約80点の文化財が常時展示されています。
中には、金の宝塔に納められた秀吉の「遺歯」や、秀吉が愛用したという獏をモチーフにした木製枕、刺身用の愛用の皿など、変わったお宝もあります。
所蔵文化財の中でも特に有名な日本刀「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」は、京都国立博物館に寄託されているので写真だけです。
せっかく来たのに、唐門からの参拝だけじゃ物足りない‥と感じた時は宝物殿も是非どうぞ。
【3】縁起物「千成瓢箪」
豊国神社では、絵馬や授与品などに瓢箪(ひょうたん)モチーフが採用されています。
実は、瓢箪は末広がりの形が縁起が良いと言われる縁起物であると同時に、豊臣秀吉の馬印(うまじるし)としても有名なのです。
馬印とは、戦国時代に武将の所在を明示するために立てた旗のこと。秀吉は戦に勝つたびに瓢箪の数を増やしたことから、後に千成瓢箪(せんなりびょうたん)の図柄が出来たといいます。
・手水舎のひょうたん
金色の瓢箪から水が流れています。
・ひょうたん絵馬
唐門には、ひょうたん絵馬がぎっしり! これこそ千成瓢箪ですね。
・可愛い置物おみくじ
瓢箪と将棋の駒「左馬(ひだりうま)」、二つの縁起物が一緒になったおみくじです。「左馬」は福を招く商売繁盛の守り駒とされています。
金色の瓢箪は縁起物感にあふれています!
【4】豊国神社 アクセス
豊国神社は京都国立博物館の北隣です。近くには三十三間堂、智積院などの有名寺院があるので、一緒に参拝するのも効率的。
秀吉のお墓「豊国廟」は、豊国神社から豊国廟ふもとの鳥居まで徒歩約15分、さらに山頂のお墓までの約500段の石段があるので、片道約30分くらいかかります。
参道途中には明治元年に豊国神社が最初に再興された「新日吉神宮」があります。
・最寄駅から
- バス停「博物館三十三間堂前」から徒歩約5分。
- 京阪本線「七条駅」から徒歩約10分。
A地点:京阪本線「七条駅」
B地点:豊国神社
C地点:市バス「博物館三十三間堂前」
・京都駅から
- 市バス 京都駅前バスターミナルのりば案内
[D1のりば] 洛バス100 「博物館三十三間堂前」まで約9分。
[D2のりば] 市バス206、208 「博物館三十三間堂前」まで約9分。 - TAXI 所要時間 約6分
総距離 約1.7km タクシー料金検索
※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。
・祇園四条から
- 京阪本線 淀屋橋行きに乗車「七条駅」まで約3分。
※特急も停車します。
近くには、三十三間堂、智積院などの有名寺院があります。
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※この記事の史実に関する記載は、豊国神社パンフレット・駒札、京都大辞典、Wikipedia等を参考に作成しました。
豊国神社
所在地 京都市東山区大和大路通正面茶屋町530
TEL.075-561-3802
境内無料
豊国神社 紹介サイト
宝物館(有料)
拝観受付時間 9:00~16:30
拝観料 大人 300円、大学生・高校生 200円、中学生・小学生 100円