錦天満宮(にしきてんまんぐう)は、京都の台所といわれる「錦市場」の東端、賑やかな商店街・新京極通りに鎮座しています。参道の石鳥居の端がビルの壁に埋め込まれている事でも有名です^^
お買い物がてら学問の神様・菅原道真に参拝できる便利な立地。そんな場所柄もあってか、御利益は知恵・学問に加えて商才も謳われています。
フレンドリーな印象の天満宮ですが、実は、菅原道真の没後、鎮魂のために建立された歓喜寺の鎮守社という由緒深い歴史があるのです。
錦天満宮の歴史や見どころ、御朱印をご紹介します。
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【1】錦天満宮とは
錦天満宮は、学問の神様として有名な菅原道真をお祀りする神社です。
京都で錦(にしき)と言えば「錦市場」。なぜ学問の神様がこの地に?
道真が亡くなると、御所の近くにあった道真の邸宅「菅原院」は、鎮魂のために「歓喜寺」に改められ、その境内に道真を祀る小祠(しょうし)が作られました。
その後、歓喜寺は移転し歓喜光寺となり、天正年間(1573~1592年)豊臣秀吉の都市計画により現在地に移転、さらに明治政府の神仏分離政策によって東山五条へ(後に山科へ)へ移転しました。
歓喜光寺の鎮守社だった錦天満宮だけこの地に残されたのです。
・錦天満宮の歩み
- 延喜3年(903年)大宰府へ左遷された道真は、再び都の土を踏むことなく死去。道真の死後、邸宅・菅原院は「歓喜寺」という寺名に改称。境内に道真とその父、祖父を祀る小祠が作られました。
- 長保5年(1003年)歓喜寺は、嵯峨天皇の皇子・源融(みなもと の とおる)の旧邸 六条河原院へ移転、塩竈宮を鎮守に天満大自在天神(菅原道真を神格化した呼称)が祀られました。錦天満宮のはじまりです。
- 300年後、歓喜寺は善導寺と合併して移転、寺号は「歓喜光寺」に改称。
※歓喜寺跡地は天満宮に改められました(菅原院天満宮神社)。 - 274年後、天正年間(1573~1592年)豊臣秀吉の都市計画により歓喜光寺は現在地に移転。錦小路通の東端にあたることから社名は「錦天満宮」になりました。
- 天明8年(1788年)天明の大火。元治元年(1864年)禁門の変により焼失。
- 明治5年(1872年)明治政府の神仏分離令によって歓喜光寺は東山五条へ(後に山科へ)移転し錦天満宮はこの地に残されました。
そして、東京遷都で衰えた市民の士気を盛り上げるべく、新たに作られた「新京極通り」のために社地を縮小し現在に至ります。
菅公聖蹟二十五拝/第二番:錦天満宮
明治時代、松浦武四郎が都から九州(太宰府)まで全国の天満宮の中から、菅原道真との由緒深い25社を選んだものです。第一番:菅原院天満宮神社、第二番:錦天満宮、第二十五番が北野天満宮です。
※松浦武四郎:幕末から明治にかけての探検家・浮世絵師・著述家・好古家。
・御祭神と御利益
- 御祭神:菅原道真(すがわら の みちざね)
菅原道真 (すがわら の みちざね)[845-903年]
出典:講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus より抄録
平安時代前期の公卿,学者。承和12年6月25日生まれ。菅原是善の3男。文章博士。宇多天皇に重用される。寛平6年(894)遣唐使の中止を建議。昌泰2年(899)右大臣となるが,左大臣 藤原時平の中傷により,大宰権帥に左遷され,延喜3年2月25日大宰府で没した。59歳。その祟りをおそれて正一位,太政大臣を追贈され,天神として信仰された。
- 御利益:知恵・学問・商才、招福・厄除け・災難除け
繁華街唯一の鎮守社だけあって、商才の御利益も謳われています。
地元の人だけでなく観光客にも親しまれている神社です。
・大願梅(たいがんうめ)
大願梅の中に、願いごとを記した願い紙を入れ、木栓で封をして境内の『大願梅の樹』に吊るして奉納します。奉納した大願梅は月次祭にお焚き上げされます。
奉納せずに持ち帰って、お守りにしてもOK。
繁華街にあるけれど、菅原院/歓喜寺にルーツをもつ、菅原道真との由緒深い天神さんなのです。
【2】見どころ
商店街の中の天満宮ということで、あまり広くない境内に臥牛像・本殿・摂社・社務所が所せましと並ぶ賑やかな神社です。
一番有名な見どころは、天満宮の前にある石鳥居かもしれません^^
・石鳥居
錦天満宮の参道、錦小路通りにある鳥居は1935年(昭和10年)の建立です。後に、両隣にビルが建設されると、鳥居上部の両端が左右のビルに埋め込まれる事態になりました!
もちろん、わざとじゃなくて、鳥居が建立された後に行われた区画割りに設計ミスがあったのが原因だそうです(柱の位置だけで道路幅を決めてしまった)。
痛い設計ミスですが、それはそれで話のネタになっているので「災いを転じて福となす」でしょうか^^
・臥牛
臥牛(がぎゅう)は勤勉・慈愛・健康の象徴として奉納されました。参拝者に「撫で牛」として親しまれ、頭がピカピカに輝いています。
天満宮と牛
出典:錦天満宮 公式サイト
神社で祀る神には、国つ神(土着の神々)と天つ神(高天原から来た神々)があります。天つ神”天神”は雷鳴とともに雨を降らせる雷神や農作物の生育にかかせない天候を守る農耕神としても信仰され、天神を祀る神社には、農耕のシンボルや天神の神使である牛の像が置かれておりました。
平安期になると、都で起こった数々の凶事や事象が、無実の罪で亡くなった道真公の怨霊説として広まり、その霊を慰める為、道真公の神号”天満大自在天神”により天満宮が建立されました。その後、道真公を祀る天神信仰が広まるにつれて、本来天神の使いとされる牛と道真公の牛にまつわる数多くの伝承とが結び付いていきました。
・京の名水「錦の水」
錦の水は、地下30数メートルより湧き出る清らかな地下水。年中17、8度の水温を保っている良質な水とのことです。
・拝殿、本殿
現在の社殿は明治時代の再建。拝殿では、随身(ずいじん)が御祭神をお守りされています。
随身(ずいじん)
出典:Wikipedia
日本の神道において、神を守る者として安置される随身姿の像のことも「随身」といい、この場合は随神とも書かれる。門守神(かどもりのかみ)、看督長(かどのおさ)、矢大神・左大神とも言う。
・摂社
本殿の左手に塩竈神社、日乃出稲荷神社、白太夫神社、七社之宮が鎮座されています。
塩竈神社は、長保5年(1003年)に歓喜寺が六条河原院に移転した時に源融をお祀りした神社。歓喜光寺の移転とともに現在地に移されました。
繁華街の真ん中だけあって、参拝される人で賑わっています。
【3】御朱印、おみくじ
御朱印は書置き(印刷)で、参拝日のみ記入していただくスタイルです。御朱印帳への直接手描きはされていません。
おみくじは自動で動く、カラクリ「獅子舞おみくじ」です。
・御朱印
・カラクリ おみくじ
人が近づくと神楽が鳴って獅子舞がはじまり、お金を入れると獅子がおみくじを運んでくれます。
総合みくじ・恋みくじ・こどもみくじ、など6種類の中から選べます。
からくりおみくじはエンジニア出身の宮司さん自ら設計して作られたそうです^^ 紙芝居ロボットもあります。
【4】錦天満宮 アクセス
最寄り駅は、阪急電車京都線「京都河原町駅」。
9番出口から錦天満宮まで徒歩約3、4分。
・京都河原町駅から
[鳥居を通るルート:青]
9番出口→ 寺町通り→ 錦小路通り→錦天満宮鳥居→ 錦天満宮
「京都河原町駅」9番出口のある新京極通りから行くと早く着けますが、鳥居は通りません。また、「烏丸駅」からも徒歩10分くらいです。お店を見ながら散策するのもおすすめ。
・京都駅から
- 京都駅前バスターミナルのりば案内
市バス [A2のりば] 市バス205系統 四条河原町・北大路バスターミナル行に乗車「四条河原町」下車。乗車時間:約14分。 - 地下鉄烏丸線 国際会館行に乗車「四条駅」下車。[阪急京都線に乗換え]→「京都河原町」下車。所要時間:10~15分。
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寺町が寺院の縁日で発展したから、もっと盛り上げるべく新京極通りを作ったそうです。昔は錦天満宮の前の新京極通りも境内だったんですね。
※この記事の史実に関する記載は、錦天満宮公式サイト、駒札、パンフレット、Wikipedia等を参考に作成しました。
錦天満宮
所在地 京都市中京区新京極通り四条上る中之町537
TEL.075-231-5732
参拝時間 8:00~20:00
境内自由
錦天満宮 公式サイト